シャドウ~生きられなかったもう一人の自分と共に歩む方法~



子どもの頃諦めた夢、抑圧した感情があると、それはあなたの心の奥深くに眠っています。
そして、その夢を叶えた人、その感情を出してる人を見るとむかつくのです。
でも、それは大きな気付き、神様からのプレゼントなのです。

「あの時、こうしたらよかったのに」とか「そこであっちを選んでいたらどんな人生になったんだろう?」などと思うことってありませんか?

もし、あの時、あの学部を受験していたら・・・
もし、あそこで思い切って東京で就職をしていたら・・・
もし、ちゃんと告白していたら・・・
もし、勇気を出して転職したのなら・・・

パラレルワールドという言葉がありまして。
その「もし・・・」を生きてる自分がいる、と。
この世は何層にも次元が分かれているので、あの時東京に行った自分も存在している、と。
ふだんはそれらの層は独立しているので行き交うことはないけれど、何かの拍子に回路が繋がって行き来してしまうことがあるみたい。
そうすると突然自分の前には知らないけれど、知っているような世界が展開されることになります。

ところが、実際自分の意識がほかの層に行くわけではなく、今生きているこの層に別次元の自分が召喚されることがあります。

それが「シャドウ」と呼ばれるもの。
別名、「生きられなかったもう一人の自分」です。

あの時、思い切って転職していたらどんな人生になったんだろう?と思って少なからず後悔していると、あなたの前に、「同じ年齢で転職をしてけっこう人生がうまく行っちゃった人」が召喚されるんです。

それは打ち合わせに赴いた取引先の上司として現れるかもしれないし、たまたま飲み屋で隣り合わせになったフリーのイラストレーターとして現れるかもしれないし、地元に戻ったときにばったり道で出会った同級生として現れるかもしれません。

そして、分かりますよね?
その後悔してる度合いだけ、あなたはその人に「むかつく」ことになります。
「嫉妬」します。「悔しく」なって、「羨ましく」なって、「自己攻撃」に陥ります。

それを素直に表現できればいいんだけど、後悔の度合いが大きいほど「いいですね~」とは言えません。
むしろ自分を「正当化」してみたりするでしょう。

そして、しばらく「なぜ、あそこであっちを選ばなかったんだ!」と激しく自分を責めることになります。

でも、それは見方を変えればチャンスです。
「今からでも間に合うで」という。
「その時出せなかった勇気を今、出そうよ」って神様が援助してくれたのかもしれません。

ところが、私たちはそこで葛藤します。
「かつてその人生を選べなかった自分」が再び今、ここに出現するのです。

「でもなあ、今さらなあ」
「あいつは成功してるけど、自分が成功するかどうかなんてわからないしな」
「あの時だったら行けてたけど、今はもう時代が違うよな」
「年齢が年齢だしなあ」

さまざまな言い訳が出てきます。

でも、ふとそこで思い出してみるんです。
「あの時もそうだったなあ」と。

「あの時も迷ったんだけど、あっちを選べなかったなあ。
 それで、そのあとめっちゃ後悔したんだよなあ。
 じゃあ、もう後悔しないように、今、またどうしたいのかを考えてみよう。
 そして、その方向に勇気を出して進んでみよう。」

シャドウはそんな風にあなたを救うエンジェルでもあるのです。

生きられなかったもう一人の自分と出会うことで、全然違う世界を生きているもう一人の自分と出会うことで、あなたの人生が変わるきっかけが与えられるのです。

さて、どうしますか?ってなるのです。

やはり神様はハードプレイが好きみたい?(笑)

一般的に「シャドウ」というと、自分が抑圧している部分を映し出してくれる人を言います。
子ども時代から「我慢」をしてきた人にとって、我慢せずに、言いたいことを言い、したいことをしている人のことはむかつきますし、嫌になります。

その人の中に「本当の自分」を見てしまうんです。
その自由な人はまさに「生きられなかった自分」なんです。

「ああ、狙ってたモンブランのケーキ、取られた!!くそーっ!あれ、俺が食べたかった奴なのに!!ちくしょー、取られたー!!!きーーーっ!!!」ってなるんです。

でも、それは神様がその人をあなたの前に遣わしてこう教えてくれるんです。

「これがほんまのあんたやで。はよ、こういう風に生きや」って。

そう、神様は優しいんです。
なかなか直接その姿を表せないから、人をあなたの前に遣わすんです。

でも、嫌ですよね~。
だって、そいつのこと、嫌いだもん。「えーっ、それやだ、それしたくなーい!」って平然と言うような奴なんて好きになれないもん。

だから、「思い出してみましょう」ってことにします。
子どもの頃はどうだった?どんな子だった?って。

あるいは「類友の法則」を使います。
あなたの周りにそんな「自由な奴」っていない?
もしくは、あなたの今と同じ「自由を抑圧してる奴」っていない?

感情的に受け入れるのはちょっと難しい。
けれど、頭で受け入れるのはまだ少し簡単。

だから、そうして「分かるんだけどなあ、でもなあ、でもなあ」でいいんです。

最初に勇気を使うのは「認める」ということ。
指をさして「あれは私」って言ってみること。

ぞわぞわぞわーーっ!として、いややーっ!無理やっーー!!ってなったら、こんなナレーションを入れてください。

「抵抗が強いのは、それだけ抑圧した力が強いから。すなわち、まさにそれが本当の私。イエイ!」

認めてしまえば、心は受け入れ態勢を整え始めます。
この辺、感情的に納得するのってけっこう難しいっすからね。
まずは、頭で理解することで、方向性を決めるんです。

時にはインナーチャイルドのケアが必要なこともあります。

本当の自分を押し込めた歴史があるんだから、当然、そこは親との関係が影響してきます。
すなわち、子ども時代の自分と向き合ってみるのがセラピーの王道です。

もし、「自由な子」がむかつくのであれば、こんなイメージをしてみてください。

「自由にのびのびと好きなことしている4歳くらいのガキ」。あ、失礼しました、4歳くらいの子ども。

「怠け者のガキ」
「感情的に泣きわめいてるガキ」
「気分屋でわがままなガキ」

大人の気分屋はむかつくけど、そんな4歳児は許せたりします。

けっこうこのやり方は効きます。

「嫌いな奴を見つける」
 ↓
「それを自分のシャドウとして認める」
 ↓
「そいつを4歳児に変える」
 ↓
「内なる自分として可愛がる」
 ↓
「いつの間にかそれが自分の一部となる」
 ↓
「ますます生き易くなる」
 ↓
「その嫌な奴を許してやってもいい気になる(上から目線)」

だから、嫌な奴を見つけたときに切ってしまうのが一番もったいないことなんですよね~

『シャドウを見つけたら、それはチャンスと思え!』

で、今日、なんでこんな話をするか?っていうと、今月の心理学講座(リアルの方ね)にイマイチ人が集まってなくてね。
おいおい、広めの会場借りてるのに、これじゃあ、ものすごく閑古だぞ、という危機感があってこの記事を書いたんですね。

要するにこれ、100%宣伝用なんですわ。
ステマっていうの?こういうの?(笑)

だから、そんな人の表と裏の心理を知りたい人、役立てたい人は心理学講座に参加すると良いですよ。
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