「ばぶちゃんの日常」



家の扉を開けるとー、うきゃーっと奇声を上げながら、満面の笑みでばぶちゃん(1)が近づいてくる。
「パパの帰りをずーっと待ってましたーっ!!」的オーラを満載しての再会は日々感動の嵐であり、つい、何もかもを忘れて抱き上げてしまうくらいの勢いを持つ。

ちなみに、その頃、娘(8)と言えば、宿題/ipad/お絵かき/お人形遊びの真っ最中であり、ちらっと横目でこちらを見て「おかえり~」と言うのはまだ良いほうで、かなりの確率でスルーされるようになった。
かつては娘もパパーって駆け寄ってきて抱っこをせがんだのに、早くも過去の栄光として過ぎ去っている。(遠い目)

「息子が生まれて良かった」と心底思うのは案外こういう瞬間かもしれない。

渡ることになる。


さて、ばぶちゃんの笑顔にほだされて、ふいうっかり抱き上げてしまい、彼の更なる笑顔に触れた瞬間、「しまった!」と事の大きさに気付くのである。

それを毎日繰り返しているあたり、私もたいがい学習能力がない。

妻は腰があまり良くないため、推定10kgのばぶちゃんを抱き上げるのは死活問題へと直結する。
娘はばぶちゃんを抱っこしたいのであるが、その誰に似たのか強引かつ容赦ない抱っこは彼の好みではない。

以上2点の理由により、彼はパパが帰ってくるのを首を長くして待っているのである。

一度、彼を抱き上げてしまえば、あとは彼が将軍様である。
ニコニコしながらあちこち歩くことを強要され、疲れて床に下ろそうものなら、床を叩いて号泣するのである。

つい「家族を見捨てて仕事に行っている」「しかも、時には出張と称して福岡や名古屋などで夜中まで遊び歩いている」との罪悪感を抱える身としては、その泣き声がしくしく心に響くのである。

よって、泣き喚く息子をよいしょっと抱え上げてしまうのである。

しかし、赤ちゃんはとても素直である。

床に下ろされれば号泣し、暴れるのだが、抱き上げれば一気に泣き止み、ニコニコし始める。
わずか1秒足らずの間に、その感情の切り替えができるのである。

さあ、大人の皆さんはどうだろうか?
彼に対してめちゃくちゃ怒っていた気分が、たった1秒で、天使の笑顔に変貌するだろうか?
さっきまで会社のことをぼろくそに言っていながら、瞬間的に、仕事への愛情を語れるであろうか?
また、そのためにはどれくらいのご褒美が必要であろうか?

あまりに尊敬に値するので、私は時々、わざと床に下ろしたり、抱っこしたりを繰り返して、その感情の切り替え能力を調査したりしている。
心理学の実験として大変有意義なのである。
特に最近は「先を読む」ほどに脳が発達したと見えて、床に下ろそうとした瞬間から泣き出し、抱き上げようとした瞬間から笑い出すという成長が見て取れ、それにも感動する次第である。

さて、そんなにずっと抱っこもしていられない。
とりあえずは、着替えもしなきゃいけないのだが、泣き叫ぶ姿は耳にも心にも痛いし、近所にも迷惑になる。
よって、彼を抱っこしたまま私の部屋に連れて行くのである。

普段、立ち入りを禁止されている私の部屋には彼にとって魅力的なものがたくさんある。
なぜか赤ちゃんは回るものが好きで、カーペットの汚れを取るコロコロを代表に、トイレットペーパーホルダー、そして、ベビーカーの車輪と彼はことあるごとにそれらをぐるぐる回して喜んでいるのである。
コロコロは汚れが取れてかえってありがたいのだが、ベビーカーの車輪はむしろ手が汚れるわけで、親としては触らせたくない。
しかし、彼は当然のように私の部屋に入れば、入り口においてあるその車輪へと手を伸ばすのである。

その他、「ブックカバーが着いている本」(これは、カバーを外して遊んだり、外したカバーを試食して楽しんだりする)、「amazon.comの空き箱」(ダンボールをかじって味見をしたり、振り回して遊んだりする)、「引き出しの中のメガネ入れ」(投げて遊んだり、かじってみて強度を調べたりする)、「引き出しの中のセージと灰皿」(浄化作用があるというセージの味見をしたり、灰皿をくわえて味見をしたりする)等、常々変わるがお気に入りの宝庫である。

いくつかシャレにならないものを口に入れていることもあり、厳重な注意を要するのである。

とはいえ、着替えが終わればキッチンに戻り、妻と料理を作ることになる。
リビングに連れて来られて放置された彼はベビーゲートの外に張り付いて泣き叫んでいる。
時に罪悪感に押されてゲートを開ければ、カゴの中から勝手にジャガイモを出してきては遊んだり、床においてある大きな鍋で遊んだり、いたずらし放題である。
よって再び、国外追放ならぬ、ゲートの外に追放となるのであるが、やはり柵にかじりついては泣き喚くのである。

したがって我が家では、夕食が始まるまではBGMにばぶちゃんの泣き声ならびにわめき声が採用されている次第である。

すくすく育ち、かわいさも満点ではあるのだが、それに伴うリスクもまた膨大である。
先日も、柵の囲いの間から手を突っ込んで観葉植物の土をあちこちに散乱させていたし、公園に連れて行けばあろうことか、砂を頭からかぶってご満悦である。
妻の口癖が最近「先が思いやられるわ」になってきたが、至極同感である。

さて、この原稿を書いている今も、自分用のコップからストローで水を飲んだ挙句、ぶぶぶぶぶぶーっと噴き出しては遊んでいる。リビングの床に広がる水が面白いのだろう。
しかし、それはあんたが雑巾がけができるようになってからにしてくれ、と切に思いながら、作業を中断し、布巾を取りに行くのである。

砂場のばぶちゃん砂被りをまさにしようとしているばぶちゃん(1歳3ヶ月)。当然、この後、ママの悲鳴が響き渡る。

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