「お散歩について」


ツイッターとか、メルマガのちょっとしたコラム欄などでちょくちょく「朝のお散歩で・・・」などと書いているので、それを見てくださったお客様などから「ダイエットですか?体調管理ですか?いいですね。健康的で」などとお褒め頂く。
大変ありがたいお言葉なのであるが、若干、チクッと心に刺さるものがある。

実は遡ること4,5年前、正月休みで実家に帰省していたときに、うちの母殿の書棚に島田洋七さんのエッセイがあった。
そのどこかのページにこんな記述があったのである。
「朝、4,50分歩くようにし、また、ウコンを飲むようにしたら、驚くほどに酒が残らなくなったんですよ。朝はぱっちり目が覚めるし・・・」

要はそういうことなのである。


その一文を目にした瞬間、呑み助である私は、ぜひ、やらなければいけないと思い立ち、大阪に帰るや否や、早速、朝からテクテクと歩き始めたのである。
以来、出張先でも朝、体が動けば散歩に出かけるようになり、東京ならば代々木公園を、名古屋ならば名古屋城を、福岡ならば大濠公園を主戦場に、1日1万歩を目指して歩くようにあしている。

それ以来、寝つきがそれほど良くなかった私がすーっと眠りにつけるようになり、また、朝、起きた後も酒が残っているということがかなり少なくなくなったように思うのである。
(浴びるように飲んだ翌朝には「これはヤバイ」という状態であることも“たまに”ある。)

ただ、それ以上に、体に良いことをしている、とか、朝から外に出て気分がリフレッシュしている、とかの精神的な効能の方もかなり大きく、「ウォーキングは朝よりも夜の方がいい」という説もあるらしいのだが、やはり景色が何も見えない夜よりも、朝の方が快適だと思ってしまうのである。

さて、お散歩は決まったコースをストイックに歩くのも良いが、知らない街を歩くことにより様々な発見をしたり、また、その土地の方と挨拶したりしながら、一時的だけど“住民”気分を味わったりするので、私はちょくちょくコースを変える。

例えば、我が家は大阪の北部、千里ニュータウンの端っこの方にあるのだが、引越しして2年半の間に、大きく3回ほどルート変更をしている。
現在は、開発後40年が過ぎ、マンションの建て替え工事も華々しい千里ニュータウンの並木道をテクテクと歩いている。
春には若葉が、夏には木洩れ日が、秋には落葉が大変目に麗しく、冬枯れの景色もまたしんみりとして美しい。
普段は50分から1時間程度であるが、時間に余裕があるときは最長2時間ほどコースを延長し、豪邸街を惚れ惚れしながら抜けてみたり、通勤客に紛れて駅に向かう遊歩道を歩いてみたりしている。

また、東京出張中においても、主には代々木公園をぐるっと周り、NHKの脇を抜けて、神山町の越後屋豆腐店にて豆乳を2杯、富ヶ谷のルヴァンで玄米キッシュなどを朝食用に購入するコースが一般的であるが、それに少々面白味を感じなければ、明治神宮を回ってみたり、下北沢~三軒茶屋、初台・幡ヶ谷方面に向きを変えてみたりもする。

土地勘が無い道を歩くのは不安でもあるが、意外な発見や知っている道に出たときの感動もひとしおなので、ほとんと地図を見ることなく出かけみる。

さて、そんなお散歩において、もっとも重要なことは何かご存知だろうか?
もちろん、私見なので異論を唱えられる方も多いかと思うが、実は“トイレ”である。

私、性格はとてもセッカチであり、そのせいか知らんが、真に内臓もセッカチなのである。よって食べたものは一定時間を経て供出される運命にあり、故に、朝のお散歩は常に“トイレ・リスク”が伴うことになる。

この4,5年で、幾度と無くピンチを迎えた。
自宅まで走って帰り、エレベータの中で紐を緩め、ドアを開けた途端、トイレにダッシュすることも数え切れないほどあり、不本意ながら公園や神社の小汚いトイレに駆け込んだことだって、思い出すのも嫌なくらいある。

とはいえ、現在のところ、志半ばで果てた経験もなければ、公開の場でそっとパンツを下ろした経験もないことは、密かな誇りである。

ちょっと便意を感じれば、そこから最寄のトイレまでの距離と所要時間を感覚的に割り出し、余裕があれば何事も無かったかのように、急を要すればそれに応じた速度にてトイレに向かう。
色々な意味で冷や汗ものな冒険ではあるが、ギリギリで間に合ったときの安堵感と達成感、また、その開放感はたまらないものがあり、その感動を得たくて便意が襲ってくるのではないかと思われるほどである。

以下、下の話が続くので、気分が悪い方、食事中の方は遠慮されると良いかも知れない。

そうした我が性質もあり、歩行中は音楽を聞いたり、きくまるの音源チェックをしたりしながらも、常に意識の一部は「もし、ここで急な便意に襲われたらどこに行くか?」をシミュレーションしている。

もっともメジャーなのはコンビニであるが、朝は意外と混雑していることも少なくなく、急を要する状態でありながらの2人待ちは致命傷になり得る。
よってできれば避けたい手段ではあるものの、結構お世話になっている。
過日は、名古屋にて5段階評定にて危険度5に達した状態でセブンイレブンに駆け込み、まさに地獄で仏に会う思いをした。それ以来、個人的にセブンには並々ならぬ愛着を感じている。私は恩義に厚い性格なのである。

また、公園のトイレはご存知のように衛生状態があまり良くなく、できれば避けたいのであるが、前述の通り、私のお散歩コースの主幹を為すのが各地の公園であるため、結果的にかなりお世話になっている。
また、「公衆便所」としてかなりメジャーな存在であるが故に、誰に憚ることなく入ることができるのは男子にとっては有難いものである。
もちろん、緊急事態を迎え、逸る便意を抑えつつ駆け込んだ後、その汚れ方にげんなりすることも少なくないが、真に有難い存在なのである。
また、紙を常備している公園はほぼ皆無なので、お散歩道具としてポケットティッシュは私のお散歩道具において欠くべからぬアイテムである。

さらに、喫茶店やファミレスの類はもっとも安全なトイレポイントであるものの、入店してトイレだけを借りるというのも礼を欠くような気がして性格上できないのである。よって、私にとってはこの手段が事実上の最終兵器となる。
先日も、大人としての威厳を保てなくなる可能性が限りなく高くなったため、最寄のファミレスに飛び込んだことがある。九死に一生を得る気分を味わえたのは良かったのだが、その代償に2度目の朝食を摂ることになってしまった。「コーヒーだけください」と言えない私である。

さて、そんな風に、様々な経験を積むと“勘”というものが冴えてきて、トイレがある場所を直感的に探し出せるようになっている。

かつて「ん?このオフィスビルは1Fにトイレがありそうだ」と感じて突入したところ、見事に、快適な朝のお通じを体験できたこともある。
また、この駅には改札の外にトイレがありそうだ・・・との直感に従って探索したところ、見事に発見できたこともある。

先日、大阪にてロングコースを歩行中に「まだ大丈夫だろう」と思っていた大腸が、いきなりイエローカードを突きつけてきたことがあった。
私の頭の中にある“最寄トイレ検索”の結果によれば、あと5分はかかりそうな状態で、緊急度も限りなく5に近く、これはヤバイ、いよいよ、来るべきときが来たか・・・と背の高い雑草が生い茂る場所を探し始めたときである。
ふと近くにスーパーマーケットがあることに気付いたのである。駐車場を完備したスーパーは時に屋外にトイレが設置されているのである。もし、それが杞憂に終われば大惨事となる、というプレッシャーの下、搬入口方面にぐるっと回ると、そこに小奇麗なトイレがちゃんと扉を開けてくれていたのである。

そういう経験を積み重ねると、自然と「自分は運がいい」と思うようになっていた。
今までが大丈夫だからって、今日も大丈夫、という保障は全く無いのであるが、「いざとなれば何とかなる、だって僕は運がいいんだから」と信じており、だから、最近などは、少々の便意など余裕で受け止めることができるようになったのである。

やはり経験から来る自信は絶大なのである。
そんなことを、限りなく“下”な体験から学んだのである。

 

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