呼び捨てで呼ばれる快感に目覚めた日。



お正月は子どもたちと実家に帰省して寄生している。朝起きたらランニングするのだが、今日は暖かく風もないから調子に乗って五キロほど走ってきた。(ふだんは三キロくらい)

そういえば、と母校(小学校)まで遠回りしながら行ってみる。かつては結構遠いイメージがあったのだけど、大人になってしまえば全然近い。子どもの頃の感覚で町を歩くとそんな不思議な思いが味わえるものだ。

うちの実家辺りはどんどん家が建っていて、記憶のなかにある風景とはすっかり変わってしまったところがたくさんある。新しい道ができていたり、空き地が整備されて新築の家が建っていたりして、帰省する度に新鮮な発見がある。

とはいえ、記憶もだいぶ薄れているので、「ここはたしか友達の家だったはずだけど、何君だっけ?」なんてジレンマもよく出没する。

昨晩は同窓会的集まりに顔を出してきた。同級生だからみんな46歳のおっさん、おばはんなのだけど、顔はあんまり変わってないし、すぐに誰なのかを思い出せるのはこれまた記憶の不思議なところだ。

とはいえ、名前が出てこない、ということが頻発する。えーっと誰だっけ?顔は分かるねんけどなあ、という会話をよくしていた。

それぞれの近況などを話しているうちにあっという間に四時間も過ぎてしまってた。

スウェーデンや東京など、地元を離れて生活している奴もいれば、ずーっと地元に暮らしている奴もいる。

私は18でこの町を離れたので、ずっと地元に住んでいる人の気持ちにとても興味を持って、あれこれ聞いてしまった。彼らにしてみれば当たり前のことなので「ふつーだよ」の一言で終わってしまうのだが。

しばらくしゃべっていたらあることに気付いた。ここでは呼び捨てで呼ばれる。「根本はいつもうまいもん食ってるよな」「あちこち移動ばっかりして根本は疲れないの?」みたいに。

ふだんは先生だったり、さん付けで呼ばれることばかりなので、かえって新鮮で、かつ、快感でもあった。ふだんからあまり他人に気を使わないタイプだけど、なんかホッとする。

とはいえ、Facebook見てるとか、本読んでるとか、職場のスタッフがメルマガを読んでくれてるとか聞くと、なんだかとても恥ずかしくなってしまった。

ともかく地元に帰ってきた感がしっかり出てきて地に足が着いた気がした。みんな大人になっていい奴ばかりでよかった。なんとなく足が遠退いていたのだけどまたこういう機会があれば参加したいと思う。


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