誰かのNo.1になるには、自分をNo.1にするの?それとも相手をNo.1にするの?2つの記事で矛盾してないっすか?



夏にひやっとさせてくれるメールを頂きました。もう6月ですし、夏ですよね(笑)
とはいえ、頂いたのは3月なんですけどね。
だいぶ、お待たせしちゃってすいません。

ということで、時間差でメールをご紹介する記事ですが、今日は面白いですよ。
なんせ2本のブログで言ってることが真逆なんですからね。

根本さんどっち?どっちなの?私とあの女とどっちを選ぶの?ってくらい混乱します。えらべなーいって・・・。

***
今日のブログについて質問があります。
私は以前、誰かのNO.1になるにはどうしたら良いのか?とリクエストしました。
「母に父を取り上げられた私が誰かのNo1になって素敵なパートナーシップを築くには?」

その時に、
>ずっとお母さんをNo1にして来られたんだと思います。
>誰かのNo1になるには・・・自分が自分をNo1にしてあげればいいのです。

とアドバイス下さいました。

今日のブログを読んでいて、父・母・元旦那・元彼・仕事・趣味が一番になっていることがあるとあり、それは納得しました。
「どうしていつも私はNo.2(2番手、選ばれない)の恋ばかりなんだろう?」
でも、自分が一番なこともあると書かれています。

自分以外の誰かや何かを一番にすると彼氏は二番になる。自分を一番にしても彼氏は二番になる。ということは彼氏を一番にすれば良い?
でもそうすると、自分は二番になって、自分自身がないがしろになってしまわない?と思いました。

理解出来ていない故の質問だろうと思いますが、教えて頂けると幸いです。
(Kさん)
***

うわっ。バレた。その場のいい加減なノリで書いてるのがバレた。しまった・・・(滝汗)
どうやってごまかそうかなーーーーー。
いや、素直に謝っちゃおっかなーーーー。
うわー・・・どうしよう・・・どうしたらいい??(笑)

まあ、このブログを読んでくださってる方も「あれ?この間と逆のことをこの人言うてるで。」と思ったことのある方もいらっしゃると思います。

「心理学」って「ああ言えばこう言う学」と読みますからね。
確かに論理性に甚だ欠き、かつ、矛盾していることも多いのですよね。

さて、言い訳をさせていただきましょう。

「今日のブログ」と書いて下さってるのははるか以前、3/10の「どうしていつも私はNo.2(2番手、選ばれない)の恋ばかりなんだろう?」という記事なわけですが、この中で「自分をNo.1にしてる」というのは次の記述かと思います。

>「やっぱり私を第一に考えてくれる人、すごく愛してくれる人がいいの。甘やかせてくれて、わがまま聞いてくれるような人。家事とかもあまり得意じゃないからできる人がいい。あともちろんちゃんと稼いでくれて私は専業主婦になりたい。」(自分がNo.1)

この記事は「彼以外のものをNo.1にしてしまっているから、彼にも自分をNo.2扱いにされる」という話でした。
例えば、この前の部分を引用すれば、

>「お母さんが『もし私に手に職があればお父さんと離婚できるのに』ってずっと言ってたから、私は結婚しても仕事を辞めずに続けると思う。今の仕事も続けられることを条件に選んだ会社なの」(仕事がNo.1)

>「私、海外旅行が好きで年に1度は何があっても行くようにしているの。それでいつもどこに行こうか?誰と行こうか?って考えているのが楽しいの」(趣味がNo.1)

なんて書いてるわけですが、彼よりも仕事を優先してる、彼よりも趣味を優先している、ということで、彼からも別のものを優先されるようになる、という「投影」の応用を語ってるんですね。

まあ、偉そうに。

ところが、Kさんがリクエストを下さった昨年9/28の「母に父を取り上げられた私が誰かのNo1になって素敵なパートナーシップを築くには?」という記事で偉大なる根本先生は

>自分の目にするものがすべて「投影」だとすれば、誰かのNo1になるには・・・自分が自分をNo1にしてあげればいいのです。

などと偉そうに語っているわけです。
あ・・・、矛盾してるんじゃないの?ね?どういうこと?ね???どういうこと???おかしいんじゃないの???詐欺よ、詐欺!!

しかも、両方投影って言葉使ってますね・・・はははは。

さて、言い訳タイム。その1.

3/10のブログでは私、ちゃんと逃げ道用意してるんです。

>ただ、これに当てはまるからと言っていつもNo.2になるわけじゃないですよ。
>いつもNo.2になっちゃうな、選ばれないな、と感じている人は「もしかして私も何かをNo.1にしてる?」って考えてみるといいでしょう。

えらーい!!根本くん、えらーい!!(笑)

あ、逃げ道ちゃう。可能性を示しているんですよ、それが100%じゃないって。

だから、どっちもあり得る、という話です。

自分をNo.1にしていないから相手にNo.1に見てもらえない、というのと、相手をNo.1にしていないから、相手にNo.1に見てもらえない、ということが同時に成り立つ、というんです。

これ、真面目な話、心の世界にはよくある矛盾です。
どっちもあり得る、という。

わけわからんでしょ?論理的じゃないので。
そのできごとを分析すると、どっちも言えたりするんです。

まさにああ言えばこう言う学ですね。はははは。

さて、言い訳その2。

これは言葉の綾と言ってしまえばそれまでなんですけどね。

3/10の記事の例を見ても分かるように、この事例の女むかつきません?(笑)
一応「自分がNo.1」と書いていますが、9/28のKさんの記事の「自分がNo.1」とちょっと意味が違うんです。

3/10の方は正確に言えば「自分の欲求がNo.1」と言うべきでしょうか。
「私が、私が」となってしまっていることを指しています。

一方、9/28の記事の「自分がNo.1」というのは、自分自身を大切な存在にする、という意味で使っています。
自分を愛する、自分を大切にする、という意味で、自分のニーズをぶちまけて生きる、というのとはちょっと違うのです。

ということでこれが本当の答えですね。
そんな「ニュアンス」を理解して頂けたら嬉しいです。


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