桜は頑張って咲いていないし、チューリップになろうとも思っていない。


「そのままの自分で素晴らしい」のです。
もちろん、この話はどこにでも書かれているので、「そのままの自分って何ですか?」という質問も、ほんとうにたくさん頂きます。

それは日曜日にも書きましたが、自分が心地よい状態。
自分が自然体で、楽な状態。

でも、それって何ですか?と質問が続くこともあるので、いろいろと策を講じて分かりやすく伝えようとしています。


私たちは自分の何かを変えなくても、今のままで私たちは幸せを感じられるようになります。
そうでないのは、自分にそれが許可できないだけなのかもしれません。

あと、覚えていない、というのもあります。
かつて感じていた「幸せ」が時間やその後の様々な出来事によってかき消されてしまっているようです。
(私たちは少なくても子宮の中にいる頃は至福感を味わっていました。)

だから、私たちカウンセラーの仕事は『思い出す』お手伝いをすることです。

花は頑張って咲いてるわけではありません。
頑張ってなくても美しいし、可愛いし、健気です。
もちろん、美しくなろうと思っているわけではありません。
そのままでいて、美しいのです。

大阪の桜はもう散ってしまいましたが、満開の時に雨や風が強くなると「必死に花びらを付けて飛ばされないように健気に頑張っています!」的なレポートがありますが、もちろん、これは見ている人間が勝手に投影してるだけですよね。

桜はただそこで咲いているだけです。
そして、風が吹こうが、下で宴会が繰り広げられようが、ただ、そこにいるだけです。

また、桜は自分を否定して、チューリップになろうとは思っていませんよね。
チューリップの方が鮮やかできれいだから!とかは考えません。
桜は桜でいることだけを考えているかのように、デンとそこにいます。

木や花には多くのことを教えられます。
神社好きなので、ご神木を見ると思わず拝むだけでなく触れてしまったり、抱き着いたり、もたれかかったりしてしまうのですが、その時、堂々として毅然とした姿(これも私の投影ですけど)から「そのままでいること」を教えてもらっている気がします。

通勤中、道端で咲いてる花を見れば、「ただ、この花は咲いてるだけなんだよな、だから、美しいんだろうな」などと難しいことを考えて見たりします。

そうすると「私が花とは思えない」という声が聞こえそうなのですが・・・。
それに対して私の答えは「花も自分が花だと思ってない」です(笑)

いじわるな答えですけれど。

などと偉そうに話をするのですが、私自身もまだまだ「そのままの自分」を受け入れること、そのままの自分でいることを学び中。
人間関係や社会生活の中ではついつい「自分じゃない自分」を演じたり、そうなろうとしてしまうのですね。

だから、自己弁護も含め、気付いたときに『戻る』ことでいいと思っています。
神社に行ったとき、瞑想をしているとき、セミナー中。
そうじゃなくなったときに気付いた、ふと『戻す』ことができるときもあります。
ブログを書いている時も、比較的『戻る』ことができているかと思います。

そういう「できてる」ことを積み重ねればいいのかな、と思っているのです。

あなたは花です。木です。
だから、そのままで十分素晴らしいのです。

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