「ないもの」に注目して自分を責める習慣を手放して、「ないもの」を許せる自分になる方法



私たちは他人軸で生きていると「ないもの」を見つけて否定して、頑張って何とか「あるもの」にしようとするのですが、それはなかなか苦しい生きです。
「ないもの」は許し、受け入れ、「あるもの」を認める人生はいかがでしょうか。

私がよくする話なので「ああ、それ、聞いたわ」と思ったり、「それ、前にブログで書いてたやんな?」と気付いたりする方もいらっしゃるかと思いますが、ぜひ、新鮮なるお気持ちで読んで頂けるとこれ幸いでございます。

だって、20分もかけて図を描いたんですもの。。。

さて、カウンセリングの中で私が言い淀むことがちょくちょくあります。
それは「そういうところはこの方のいいところ、長所、魅力、価値、才能、素敵なところ、可愛いところ、かっこいいところなんだけど、それを言うとまた即座に否定するんやろなあ」とうだうだと考えているときです。

ちなみに私が「そういうところって○○さんの素敵なところなんですよね。とても気づかいができるというか、感受性が豊かというか、女性らしいというか」と価値を見て伝えたとき、

初めての方:「え?そうなんですか?あ、ありがとうございます。(棒読み)」

2,3回目の方:「ええー、そうですかあ?根本さんだから言ってくれるんでしょ?」

常連さんの方:「いや、ちが・・・い、いや、ありがとうございます。頑張って受け取ります。」

ベテランの方:「それ、根本さんしか言うてくれへんで。ほんまにそうなん?なあ、ほんまにそうなん?」

という風に反応が変遷していくものです。

「あの人も、昔は素直だったなあ・・・(遠い目)。」

さて、そもそも私たちは「本能的に不快な部分を見つける」ところがあります。
例えば、肉体でも「痛み」って大切な信号でしょ?そこを守りなさい、そこをケアしなさいってサインです。だから、痛みを感じられ無くなったら偉いこっちゃなのです。

内面についても同じで、私たちは放っておくと「不十分なところ」「できてないところ」「問題点」などを見つけ出してしまうんです。
それは「成長意欲」と言ってもいいですが、やはり生命維持とか防衛本能とかのレベルで語ってもいいんじゃないかと思います。

ただ、それは「体や心を守る」とか「心地よい状態に自分を保つ」ために使われる本能なんですね。

例えば、私のブログの読者数の半分ぐらいの方は時々道路で何もないのにコケたりするでしょう?で、膝を擦りむくとするじゃない?そこでイケメンが「レディ、大丈夫ですか?」って声をかけてくるのを少し期待するけど来ないよね?

で、皆さん、そこで擦りむいた膝に向かって「お前、何擦りむけてるねん!このドアホが!もっと強くならんかい!!」って絶叫したりします?
しませんよね?

「あー、いたたたー。誰かに見られちゃったかな、恥ずかしい。イケメン来えへんなあ、くそー。あー、いたたたたー、消毒、消毒、バンソウコウ、バンソウコウ」て、傷口をケアしようとするでしょう?

それと同じこと、仕事でミスした時にしてあげてる?彼氏とケンカしちゃったときにしてあげてる?片付いてない部屋を見たときしてあげてる?

してないでしょ?

なぜか、心、性格などについては私たち猛烈に否定し、ダメ出ししてません?

私たちはその本能に従って、「あるもの(価値、魅力、才能、できること、得意なこと)」よりも、「ないもの(持ってない、できない、未完成、完璧でない)」の方に注目してしまいません?

「あるもの」にあまり価値を見出せず、感じられず、「ないもの」に否定したり、ダメ出ししたりしてしまいません?

まあ、これは先ほど「本能」って書きましたけど、ダメ出ししたり否定したりするのは本能じゃないんです。

そういうところを見つけるのは本能だけど、責めるのは「習慣」なんです。
「習慣」なので変えられるんですよ、というのが今日の話なんです。

で、この「習慣」というのは多くの場合、周りから学習しています。

〇親や周りの大人たちも同じように自分を責めていた。
〇親や周りの大人たちが私の「ないもの」を責めた。

ということです。
そして、その方法を学習し、うまく行かなかったときに「自分で自分を否定し、ダメ出しする」という、俗にいう“ひとりSMごっこ”を開発するようになるのです。

当然ですけど、「ないもの」ばかりに注目して、そんな自分を否定していたら、自己肯定感は地に落ちます。

また、「あるもの」についても、周りの人の評価を待っていたら、それは他人軸ですから、自己肯定感はあがりません。

自己否定が強くなればなるほど、ますますその傾向が強まるわけです。

で、自己肯定感というのは「ないもの」に対して「許し」や「それでOK!」と肯定することを言うんです。

「まあ、うちも完璧やあらへんからな。ミスすることもあるわなあ。次、気を付けよか」とバンソウコウを心に貼ってあげるわけです。

「ないもの」を「あるもの」にすることを目指すんじゃないんです。
それは目指すことが、楽しい、意味・意義がある、その方が素晴らしい!と前向きに感じるときはもちろんOKです。

そして、「あるもの」に対しては、「自分ではそうは思われへんねんけど、ええところもあるみたいやなあ」と「認める(承認する)」ということが自己肯定感です。

そもそも「ある」とか「ない」とかって誰が決めてるねん、というと、自分なんですね。
他の人が「ない」って決めたように思うことでも、それを受け入れたのが自分である以上、自分が選択して「ない」と思ってるんですね。

ここが心の世界の妙なんですけど、そして、すべての問題は自作自演と語られることになるのですけど、「ある」「なし」の基準も自分が決めたことだって気付くことが大事なのです。

「ない」と思えば「ない」し、「ある」と思えば「ある」のです。

そこに「完璧主義」という思想や、「周りの評価を気にする」という他人軸的思考が入ってくると、「誰が見ても【ある】ものしか【ある】と認めたらあかんねや」という非常に厳しい判断をしてしまうのです。

だから、「ある」と思えばいいんです。
ちなみにこれは「夢の実現」「目標達成」「ライフワークを生きる」「ヴィジョンを現実化する」などの時には必須科目になります。

要するに「あっても、なくても、どっちでもええねん。責めたり、否定したり、ダメ出ししたりせんようにするのが大事なんや」というわけです。

もちろん、そこではさらに複雑なものがありまして、「責めたり、否定したり、ダメ出ししちゃう今の自分を肯定する」というのもすごく大切な心がけなんですけどね。

そうして、自分を否定せず、肯定すること、そういう新たな思考を習慣化させることができればどんどん楽になっていきます。つまり、自己肯定感があがっていくのです。

習慣を変えるので、ちょっと意識したり、頑張ったりしなきゃいけない場面も出てきますし、試行錯誤しますから迷いも出て来るものと思いますが、そんなに焦るもんじゃないですからね。

じっくり取り組んで頂ければと思います。

さて、そんな自己肯定感をあげるための参考図書の紹介です。
あら、偶然にも根本裕幸さんという人が書いた本が最近出たんですよね~。ご存知でしたか?(笑)

発売直後に重版(増刷)が決まった新刊。
「敏感すぎるあなたが7日間で自己肯定感をあげる方法(根本裕幸著)」

この新刊発売記念講演会、各地で開催します。
10/6(金)名古屋、10/28(土)札幌、11/10(金)那覇。
その他の地域も増やしていくつもりです!
http://nemotohiroyuki.jp/event-cat/20693

そして、そんなことを実際にやってみるワークショップも10月に開催されるわけです。
「自分軸で生き、自己肯定感をあげるワークショップ」(10/8大阪、10/21東京、10/28札幌)
http://nemotohiroyuki.jp/event-cat/20816

<読者から頂いた本の感想>

自分らしい人生を築くエッセンスが詰まった1冊だと思いました!1~3日目はやりたいことを母に否定され続けたことを思い出し、どよーんとした気持ちになったり、頑張っているにも関わらず、鬼のように自分を責めるパターンがあることを再認識しました。(まあ、これもしょうがないですね!)4日目以降は今まで本当によくがんばってきたなと自分を褒めてあげたいと思えました。今、本当にやりたいと思っていることは、いろんな想定外に気が滅入ることも多々ありますが、少しずつ進んでいるので、この調子でやっていきたいと思えました!
(Kさん)
最初の一行目から泣きました。ちょっと前の私そのもの。読みながら当時のことが思い出され、涙が止まりませんでした。
そこで緩んだのか、過去と向き合うのが怖いと思う間もなく、各章のワークをしながら号泣。
読み進めるがしんどくなり、私は途中でインターバルが必要でした。
過去と向き合うのはとても苦しくてつらくて怖くてほんとにそのまま逃げたかったです。
過去にトゲが刺さった場所の上にかさぶたができていて、今は普通に生活できているのに、わざわざそのかさぶたをはがし、トゲを抜くような作業。
それでも最後まで読んで良かったと思えます。気づかないふりをしていても、トゲは存在します。結局、そこに向き合わないと今の状態から抜け出せないんですよね。
いろいろと忘れていたことを思い出させていただくきっかけになりました。
(Aさん)

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