心の世界には姫も奴隷も女王も娼婦も女神も悪魔も混在している。


自己判断って危険ですよ、というお話をよくしています。
心の世界はとても広くて深いので、「そう思いたいからそう思っている」ということが多いからです。
「自信がない」というのもそう思い込みたい私が作る“幻想”であることも少なくないんです。

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こんにちは。毎日メルマガ楽しみにしています!
根本さんのブログに出会い、自分は自立系武闘派女子なんだと自覚しました。そして先日「助けたい症候群、娼婦 奴隷マインド」のセミナーに参加したのですが、んん??……
これは私ではない。聴けば聴くほど、私には当てはまらないなと思ったのです。
そんなことってあるでしょうか?
頼まれたら断れない。仲間のこととなれば、どんな敵にも立ち向かう。
人に頼るのが苦手。迷惑かけるくらいなら死んだ方がいい。
いろんな意味で落ち着いていて条件の良い人ではなく、問題のある人に惹かれる。
そして疲れて、最近生きにくいと感じている。…
などなど、間違いなく私は武闘派なはずです。私の為のセミナーだと思った。なのに、私には当てはまらないと感じる。
そう感じた一番のポイントは、「私は好きで人を助けている。そうしないと認められない、愛されないという動機からではない」と思った点です。助けたかった自分というのも考えてみたのですが、いたようないなかったようなで。よくわかりません。
また、恋愛においてはどこかで、「なんだかんだ言って結局私のこと好きなんでしょ?」という思いがあることに気づきました。これはいわゆる姫マインド??
でも自分に自信は感じていません。私は一体??闇が深いのでしょうか(笑)

奥深い心理学の世界に迷い込み、悩めるアラサー子羊に救いの手を差し伸べて頂けたら幸いです。長々と拙い文章で失礼致しました。
(Iさん)
***

なかなか心の世界って深いでしょ?
心理学を学び始めると、その奥深さ、広さに慄いて「うーん、これはどういうことなんだろう?」ということがいっぱいと出てきます。
そういう疑問を持つことはすごく大切なことで、それを一つ一つ理解していくと、心のことが理解でき、そして、自分のことも分かるようになるんです。

例えば、Iさんの事例とは異なりますが、分かりやすい例として「罪悪感」のパターンをご紹介しましょう。

罪悪感という感情は「自分が悪い。自分のせいだ。自分はひどい奴だ。だから罰を受けなければならない。愛を受け取ってはならない。」という思いを作り出すものです。

だから、ふつう罪悪感を感じたら「申し訳なさそうな」感じになるし、「ごめんなさい」と謝ります。

けれど、その罪悪感が強くなればなるほど「もし、自分が悪いと認めたら、とんでもない補償をしなければならない」という思いが出て来るので、自分が悪いとは認められなくなります。
そうして「俺は悪くない。俺が正しい。」と「正しさ」という防衛をします。
時には「お前が悪い」と他者攻撃に出ることも少なくありません。
そして、自分が自分で正しいと思い込みます。

そうすると、罪悪感を感じているんだけど表面的には罪悪感を感じていない、という風に見えますし、自分でもそういう風に感じます。
「だって悪いのは○○だもん。俺、悪くないし」と言う風に。

そうすると「夫が浮気をしてるんです妻」たちが、「夫の様子を見てると全然悪びれてるようにも見えないし、罪悪感なんて微塵もないように感じます。」と根本先生にクレームを入れてくるようになるわけです。

そうすると偉大なる根本先生は「そらそうだよね」と天を見上げながら、その質問をさらりと交わすわけです。

でも、Iさん始め、私の読者の97%を占める自立系武闘派女子はその逃げ腰の私のしっぽを踏みつけて「おら、そんなん説明になってへんやないか!」と恐喝してくるので、チキンである私は「す、すいません」と平身低頭して上記の説明をするわけです。
そして、

「もし、夫がほんとうに罪悪感がなかったとしたら、きっと『今日のAちゃんとのデート、めっちゃ楽しかったわ~』ってまるで友達とご飯食べて来たかのように語りますよ。隠す、正しさを主張する、という態度は罪悪感を感じてる証拠なんですよ」

と語って武闘派女子を丸め込むわけです。

実際、私の元には「結婚してるんですが、彼氏がいるんです。でも、全然罪悪感を感じないんです」という方もよく相談にいらっしゃいます。
で、「本当に罪悪感を感じてないんだったら夫に彼氏のことを友達とランチしてきたくらいのノリで話ができますけど、してます?」って聞くと、「とてもそんなことはできません」とおっしゃるので、「それが罪悪感なんですよ」ってお伝えするわけです。

でも、実際、その奥さんが罪悪感を感じていないのは事実なんですよね。
だから、その奥さんは「理屈は分かるんやけどさ、実際、感じてへんもんは感じてへんわけやんか?どういうことやねん!」と私のしっぽを再び踏みつけるわけです。

そう、浮気されてる妻も、してる妻も私のしっぽを踏みつけるんです!!嗚呼。どうして私がドMだって知ってるの???

あ、いや、そういうネタではありませんね。今日は・・・(笑)

何が言いたいか?って言うと、「自分が○○と感じていることが心のすべてではない」ということです。

「本当は罪悪感を感じてるんだけど、それを感じたらヤバいから感情を麻痺させて、罪悪感が感じられなくなっている」ということが頻繁に起きているんです。

感情って何層にも何層にも積み重なっているんです。

私はいい夫/妻だ

罪悪感なんて感じていない

私は間違っていない。私は正しい。

私は悪い

という風にね。

「なに勘違いしてるのよ。私があんたのこと好きだって?バカにしないでよ」

「あんたのことなんて何とも思ってないわよ」

「全然自分に自信がないし、好きになってもらえるとも思えないし」

「だって好きだってバレるの恥ずかしいじゃない」

「本当は大好きなんだけど」

という風にね。
それで、恥ずかしがりやな自立系武闘派女子は「好きな人に好きって言えない」って悶々としてしまうのです。

そもそも自己判断ってのはすごくリスキーな時も多いんですね。
「こう思いたいからそういう判断をする」
ということが頻発するからです。

私、あちこちから心理テストの作成を依頼して作るんですね。
そういえば、自立系武闘派女子の傾向一覧も作りましたね。

http://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/15420

こういう自己診断って「そう思いたいからYesと思う」「そう思いたくないからNoと思う」という主観はなかなか排除できないんですね。
客観的に診断してるつもりでも、どうしたって主観が入ってくるんです。

ちなみに他者を診断するにしても、その人に対して自分がどう思いたいか?って主観を排除するのって超難しいんです。

人が人を評価するってのは自分のそうした主観(感情と言ってもいい)に左右されますね。

実際、私から見ればバリバリの自立系武闘派女子の方が「あの一覧を見たら、意外と私、違うかもって思ったんですよー」って言うので、「アホか」と一蹴したんですけど、この会話には彼女の主観と私の主観が入り混じってるんです。

自立系武闘派女子とは認めたくない彼女vs自立系武闘派女子と認めたい私、のせめぎあいです。
その時、信頼関係があると「まあ、根本さんがそう言うんだったらやっぱり私はそうなんだ」と彼女の“主観”が思うわけで、それを聞いて私の“主観”が「そうでしょ?どうしたって武闘派女子ですよ」て会話になるわけです。

しかし、彼女が私のことを単なるチキンだと思ってると「根本さんはそう言うけど、私、別に○○だし、○○だし、○○だし、・・・」と武闘派女子とは思いたくない彼女の“主観”が反論をしますよね。

だから、本当は何が正しいのか?なんて誰にも分らないんです。
誰にも分らないってことは分かる必要がないってことです。

こういうのをかっこよく言うと「無知の知」って言いますね。
「私は知らないことを知っている」わけです。

だから「これって私がそう思ってるんだけなんだよな~。主観なんだよな~。そうじゃない可能性もあるよなあ~」って受け止めることをいつもお勧めしています。
そうすると物事を広くとらえることができるので、心に余裕が生まれます。

っていうか、心に余裕があるときしか、そういう見方はできませんけどね。

一方、「私が○○って思うんだから○○なのよ!」ってのは思い込みって奴です。

ということで、Iさんのお話。

Iさんが紛うことなき自立系武闘派女子であることは間違いないでしょう(と私の主観が判断します)。

そして、Iさんが「私のための講座だ」と思って参加して下さった講座に出てみたところ

>これは私ではない。聴けば聴くほど、私には当てはまらないなと思ったのです。

という風にIさんの主観がそう思ったということです。
その思いは間違っていないんだけど、正しいとも言い切れない、というのが心理学的な見方です。
だって、それがIさんの心のすべてではない可能性がありますから。

大事なのは「すべてではない可能性がある」というところです。

「本当に当てはまらない、のかもしれないし、当てはまらないと思っているけど、当てはまる部分も本当はあって、でも、それに気付いていないだけかもしれない」のです。

言い換えると、

「私に当てはまらないと思ったんだけど、実は当てはまってる部分もあって、でも、今の私にはそれが認められないってこともあるのかもな」

という風に思えたら、心に余裕が生まれるんじゃないかなあ、と思います。

罪悪感の例を出してお話ししたのは、実はIさんのご質問にそのまま答えてしまうと、

「まあ、確かにそうかもしれないですし、何とも言えないですよね。じゃっ!」

で終わってしまうからです。

Iさんも楽しみにしてくださってるメルマガがその一言で終わってしまったら事務所に怒鳴り込み掛けようと思うでしょ???(笑)
ま、私は事務所持ってませんから、殴り込みかける先もないんですけどね。ほほほほ(笑)

つまり、Iさんのご質問に対しては文面だけでは私は何も言えないんですね。
これがカウンセリングなどでしたら、

>「私は好きで人を助けている。そうしないと認められない、愛されないという動機からではない」と思った点です。

というお話に対して、

「好きで人を助けているってどういう感じですか?」
「どうして、そう思えるんですか?」
「人を助けるってIさんにとってはどういうことですか?」

みたいな質問をしてみたいな、と思いますし、そこから出てきたIさんの言葉に対して、やはり疑問に思うことを質問してみたいな、と思うんですね。

「好きで人を助けている」という思いも“主観”なんですね。
「そうしないと認められない、愛されないという動機からではない」というのも“主観”なんですね。

そう思ってらっしゃることは決して嘘ではないのですが、それがIさんの思いのすべてなのか?は、分からないと思うんです。

ある層では確かにそうなんですけど、それを掘り下げてみて、やはりそう思ってらっしゃるのかは何とも言えないんですね。

また、

>また、恋愛においてはどこかで、「なんだかんだ言って結局私のこと好きなんでしょ?」という思いがあることに気づきました。これはいわゆる姫マインド??

というのも、実はそれだけでは姫なのか女王様なのかは判断できかねるんです。
「私のこと好きなんでしょ?(はあと)」だったら、姫マインドかな?と思います。

「私のこと好きなんでしょ?素直にそう認めなさい」だったら、女王様マインドです。

それに「どこかで」ということは「そうじゃないところもある」ということですから、Iさんの心の中に確かに姫か女王様はいるけれど、それ以外の要素もある、ということで、その要素が、

>でも自分に自信は感じていません。

という部分を作り出しているのかもしれません。

私たちの心の中には奴隷もいれば、姫もいるし、娼婦もいれば、女神様もいます。
そうした一見矛盾している要素が混在しているのが心の世界です。
しかも、それは自分の状態によって、また置かれている環境によってどんどん変わりますから、「私は○○だ」なんてことは本当は言えないんです。

「私には○○という部分がある」というが心の世界では正解なんです。

>私は一体??闇が深いのでしょうか(笑)

Iさんは人間ってことです(笑)

闇が深いのも間違いはないかもしれませんが、心の世界ってそういうものなのです。

ちなみにカウンセリングでも何でもそうですが、「言い切ってしまう」部分には何らかのツッコミどころが存在しています。

「絶対私は○○だ」という主張をしたいときは、○○でない私、を認めたくない、認められない私がいる可能性がとても高いのです。

だから、私は「なぜ、そう言い切れるんですか?」「なぜ、そう思われるんですか?」って質問を投げかけることが多いんです。

そうやって○○と決め付けたい裏に、何があるのかな?と興味を持つからです。

ということで、心の世界は闇ばかり、というお話でした(?)

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