沖縄から帰って来たけれど、まだまだマブイは向こうにいるらしい。



そもそも今回はG20が大阪で開かれる関係で、娘の高校が休校になったお陰で沖縄に行くことができたのである。
とはいえ休校になったのは2日間だけで、すなわちそれは沖縄への旅が3泊4日なることを意味する。
(休校前日の最終便で旅立つことも可能だがそのためには学校に旅道具を持って行くことになり、時間的にも難しかった)

3泊4日というのは一般的な沖縄ツアーの日程だが、深刻な沖縄病に罹患している根本家においてはかなり短い。なんせ、ここ数年は「短くて5泊、長ければ1週間以上」という旅程を組むのが常識だったからだ。しかも、前回の旅(それも短かったのだが)でお気に入りの宿を見つけてしまい、ますます滞在欲が高まっている昨今である。

案の定、帰る日は全員が気分が沈みがちで、笑顔が減っていた。
私は空港に向かう車中、「帰りたくない」という抵抗が強すぎて信じられないくらいの眠気に襲われ、妻は涙を流し、子どもたちは現実逃避に忙しかった。

1週間以上も沖縄にいるとすっかり満喫できるので帰って来てもすぐに日常生活が始められるのであるが、こう欲求不満な状態だと、完全に魂(マブイ)は沖縄本島あたりをさまよっているのである。しかも、娘の学校の都合により、次いつ来れるかが分からない、ともなれば、家族全員で娘に学校をサボらせようとする始末である。

よって大阪にいる今日も意識は沖縄に飛んでおり、せっかく時間もあることだから色々とネタを書こうと思う一方で、写真を見返してはニヤニヤしてしまう。そして、私の妄想によれば、この記事を書いた後は、あの日差しがさんさんと降り注ぎ、青い海が臨まれるガジュマルの木の下に、オリオンビールを持ってぼーっとしに行く予定なのである。

こんなにも禁断症状が出るのは久しぶりなので、よほど日程が短かったんだと思う。

ウチナーンチュたちによれば、今年の梅雨は長く、そして、雨も多く、この梅雨明けは例年以上に望まれたときであったらしい。
そういえば、講演会のために沖縄に降り立った日の午前中は、すごい雨だったと聞く。そんな日がけっこう続いていたそうだ。

梅雨明けした途端、空気が変わった。
日差しは強く、空気は濃く、それゆえ、海も空も青さが増した。
今年はその境目を体験できたということで、とても貴重だと思う。
例年より梅雨明けが遅れていた分、明けた瞬間に真夏が来たみたいだ。

それでも7,8月のあのむわっとする湿気はまだ強くなく、日陰に入ればそれなりに涼しさを感じられるのは、梅雨明け直後の特典である。
そして、この島はいつでも風が吹いているから、しばらく木の下にいればすーっと汗が引いていくのを感じられる。

とはいえ、朝の日課であるジョギングはなかなかハードである。
つい朝寝坊してしまい、家を出るのが9時を過ぎてしまうとものすごい暑さの元を走ることになる。なんせ、沖縄に来る前は軽井沢にいたのだ。暑さに体が全然慣れてない。
しかし、きれいに舗装された一本道(沖縄は補助金がたくさん出るので田舎でも道がとても整備されている)を走るとこんな海が突然目の前に現れてくる。

両側には畑が広がり、さとうきびが風に揺らいでいる。道路の向こう側にはきれいな海が広がっている。
沖縄のイメージそのままの景色にふと出会う瞬間である。
とはいえ、こうした半分農道である道に出会うには車の移動ではなかなか難しい。ジョギングしながらあちこちを探検している恩恵である。

そして、その道路の向こう側にはこんな海が広がっている。
沖縄の人にとって海は泳ぐものではなく眺めるものらしい。私も最近はそれを実感するようになってきた。

とはいえ、今回は久々に海に入ったのであるが。
宿の近くに大きな岩があり、そこから飛び込んでみた。思ったより浅くて、うまく飛び込まないと足をやられそうだ。
生暖かい海の水はとても塩辛くて、その分、とても浄化されるような気がする。海坊主のように海の中の岩場に座ってぼーっとしているだけで、様々なものが抜け落ちていくのが感じられるのだ。

そして、夕方になれば夕日が真っ赤に世界を染める。沖縄は夕暮れが大変遅く、7時を過ぎてこの様子である。

現在、我が家で最も深刻な病状を示しているのが意外にも妻で、今回も思わず涙を流すほど帰るのを嫌がっていた。

一方、私は「イオンに行きたい!」と主張する娘と買い物に出かけている。
最近はホテルで2部屋取るくらいならば、と一棟貸しの宿を借りていて、もっぱら自炊生活なので、スーパーへの買い物という日常が沖縄でもふつうに展開されている。
今回もそうだけど、沖縄料理は宿でチャンプルーやそばを作る以外、口にすることがだいぶ減ったような気がする。

名護の旧市街を車で走り抜ける。沖縄は海、空、自然というイメージだけど、私は那覇はもちろん、名護やコザあたりもかなり好きなのである。
こうしたアーケード街は郊外にできたイオンなどの大型ショッピングセンターの影響で寂れてしまっているところも多いが、それはそれでワクワクが止まらないのである。
暑い日差しを避けながら、ぶらぶらと歩き、建物は古いけれど、最近できたカフェみたいなところでブルーシールのアイスなんかを食べたいのである。

娘の誘いにホイホイ乗ってイオンに行ったのは妻の発案でBBQをすることになったからだ。
近くの居酒屋に食べに行くものと思っていた私としては意外だったが、BBQと聞けば当然ながら反対する理由は皆無である。

スーパーでなるべく沖縄産の食材を手にいれ、さらに宿の程近くにある車海老の養殖場で都会では信じられないくらいの安値で車海老を仕入れた。
これがめちゃくちゃ美味かったのである。

炭に火を起こすのもいつしかすっかり慣れっこになっている。日々、公園で焚き火をしている成果がここで発揮されるわけである。

いやいやながら大阪に戻るべ、という頃、宿のオーナー一家が仕事仲間夫婦と共にやってきた。
沈みがちだった気分はそれでだいぶ快復されたと思う。
ピザを食べながらあれこれと話をする。

沖縄に住む、ということ。
家を借りる、ということ。
学校のこと。

オーナーは土地・建物オタクらしく、いろんな情報を知っている。
急ぎではないから、気長に情報を待とうと思う。
そう、すぐに移住というわけではないが、いい物件があればそこを借りようと思っている。デュアルライフとやらをやってみようと思うのだ。
(年中旅をしているので、デュアルとは言えないかもしれないけれど)

オーナーの子どもたちと息子でスイカ割りをし、息子はカブトムシみたいにスイカにかぶりつき、短い旅は終わった。

いつでも行けると言えば行けるけれど、その日が決まっていないのがもどかしく、ついさっきもお盆の航空券を調べてしまった。
当然ながら高値であるが、かといって行けない値段ではない。
沖縄病の治療には沖縄に行くしかない、というのがもどかしいところである。しかも、行くたびに病が深刻になってしまうのだ。
とはいえ、もし、内地にいながらその病を治す薬があったとしても当然ながら要らないけれど。


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