*
何かしてあげたいけれど、それが相手の負担や重荷になるんじゃないか?という疑問を頂きました。
では、それをコミュニケーションしていくのが「与える」一歩ではないでしょうか。
*
今日はリクエストにお答えしましょう!
**********
11/21の「忙しい夫との付き合い方」という記事について。
寂しい時こそ自分から与えられるチャンス・近づくチャンスっていうオお話に大変感動したのですが、旦那様が忙しくて奥様にかまってあげられない時ってきっと罪悪感感じていますよね??
そういう時って旦那さんの喜ぶことをしようとしても逆に重たく感じられたりしないのでしょうか??
さじ加減が難しいです。
(Kさん)
**********
確かに近づくチャンスなのですが、何をするかによって重たく感じられてしまうのは無理ないですよね。
以前、こんな奥さんがいらっしゃったんです。
子どもも少し手を離れて来たので何か身になることを学びたいと思い、マッサージの学校に通うことにしたんですね。それをいずれ仕事にしてもいいし、まずは疲れてる旦那さんにしてあげよう、と。
そして、深夜になって帰ってくるご主人にほとんど毎晩マッサージをしてあげてたんだそうです。(まあ、なんて羨ましい(笑))
でも、旦那さん。マッサージよりも寝たかったんですね。
だから、ある時「せっかくしてくれるのはいいけれど、俺は眠りたいんだ。寝てもいいかな?」と言われたんですね。それ以来、なんかしてあげていいものかどうか迷うようになったそうなんです。
「してあげたきゃしてあげればいいし、旦那さんが寝たいって言うんなら寝かしてあげたらいいし、その都度決めたらどうでしょう?」
というのが私からの提案でした。
マッサージをして旦那さんを楽にしてあげたい、という思いは「愛」ですし、「与える」ことになります。
だから、それ自体は素晴らしいことですね。
しかし、それが旦那さんにとってはある日は有難く、ある日は迷惑になることもあります。
そして、もちろん、奥さん自身にもある日は嬉しく、ある日はしんどいときもあるでしょう。
そのために「言葉」があり、「コミュニケーション」があるんですよね。
ルールを決めるんじゃないんです。
でも、そこに夫婦の壁(このご夫婦の場合はとても薄いタイプの壁ですが)があると、「気を使う」「嫌われないように振舞う」「迷惑じゃないかを考えて行動する」「相手の顔色を伺う」という“余計な”神経を使ってしまうんですね。
それこそがストレスの源泉ですから、『できるだけ気を使わずに、嫌われないように、迷惑をかけない行動を決めてしまえば顔色も伺わずに済む』という“防衛的”行動に出ます。
それでお互いの間に『ルール』を決めるんです。(暗黙のルールも含む)
「帰ってきたら旦那さんにマッサージをしてあげるようにしているんです。」というルールです。
一度それが決まってしまうとなかなか変わらないのですよね。
ルールを守る、という風に進んでしまいますから。
さて、Kさんのお話しに戻りましょう。
上記奥さまの話で何となく伝わりましたでしょうか?
>旦那様が忙しくて奥様にかまってあげられない時ってきっと罪悪感感じていますよね??
>そういう時って旦那さんの喜ぶことをしようとしても逆に重たく感じられたりしないのでしょうか??
もし、ご夫婦間で、ご主人から「忙しくてお前をかまってやれなくてゴメンな。俺、いつも罪悪感感じてるんだ」という言葉や、奥さんから「色々してあげたいんだけど、それって重たくない?」という言葉が自然と出るようになっていないとしたら、お二人の間には壁がセッティングされていますよね。
だとしたら、そのコミュニケーションを始めにチャレンジしてみてはいかがでしょうか?
こういうメッセージを下さるということはKさん、色々としてあげたい方だと思うんですね。
「○○してあげたいんだけどどう?」と言うレッスン。
「○○してあげたいんだけど今日はどうする?」というレッスン。
そんなつもりで取り組んでみてはいかがでしょう?
そうして、奥さんの方から壁を外して行きましょう。
きっと夫婦関係を一歩深めるときですよね。
まさに近づくチャンスではないでしょうか。
何かを「与える」「してあげる」というのは、何もマッサージや料理やセックスをしてあげることだけではありません。
コミュニケーションすることもちゃんと「与える」ということ。
そこで「愛」を伝えることができます。
ちなみに「愛」は決して重たくありません。
もし、相手に重たく伝わるとしたら、それは一見「愛」に見えるけれど別のもの(例えばニーズ、期待など)ではないでしょうか。
これもまたKさんの愛を磨くチャンスなんですよね。
また素敵な女性、奥さんに成長しちゃいますね!