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自分が認めたくなくて抑圧している要素を見せてくれる人を「シャドウ」と呼びます。
そのシャドウを見事に引き受けてくれるのがパートナーというわけです。
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神戸メンタルにも数年通い、その他にも色々と自分で勉強をしたりして、「夫は鏡」をある程度理解した上での質問です。
結婚して1年ですが、夫が尊敬できず、毎日のように離婚したいと思います。夫の一番嫌いなところは、すぐにキレるところです。
運転中の態度もひどく、駐車場からなかなか出ない他人に対して、車の中でひどい悪態を吐きます。
また、少しでも例外的な出来事が起こった場合に、冷静に考える事が出来ず、すぐパニックになります。
夫の外出中に、私が家の内鍵を間違えてかけたまま、シャワーを浴びていて、夫が帰宅したことに気づかなかった時に、キチガイのように、内鍵のかかったままの家の扉を、私が物音に気づくまでしばらくの間、ガンガン音をさせながら開けようとしていました。
開くわけがないのに、この人頭がおかしいんじゃないかと思いました。物が見つからない時も、冷静に探すことができず、すぐパニックになり声をあげたり、物に当たったりします。
少しでも分からないことがあると、すぐに何かのせいにしてキレます。道路の地図が読みにくいと言ってはキレ、すぐ「分からない。~が悪い」と怒り出す始末です。
私自身は、例外的な出来事があっても大抵冷静に対処できるし、むしろそれを楽しんだりするのでいちいちパニックになる夫は頭が悪いのでは?と見下してしまいます。
夫婦は鏡、だとしたら私は自分の何を変えたらいいでしょうか。
(Tさん)
人のことはよう見えるのに、なかなか自分のことは分からないものでして。
改めて読み返してみてTさん、いかがでしょう?
この旦那さんは奥さんの何を映し出してるんだと思います???
夫婦は鏡ってよく言いまして、心理的にとても近い距離にある相手というのは、自分自身のシャドウを映し出すものとして重宝されております。
「ああ、自分の中にこんな要素があるんだなあ」と思うわけです。
例えば、私はセミナー中にパンツのチャックを開けていることで有名な講師なわけですけれど、何もあれは私が変質者だからしているわけではなく、ちゃんと排泄行為をしてますよ~という皆さんへのお知らせなわけです。
でも、自分では気づかないんですよね。
それで鏡という便利なものがあるんです。
もっとも鏡を見て気付かない私は目の前の受講生にご指摘いただくわけですけどね。
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夫婦は鏡という話をすると、たいていの人は嫌な表情を見せます。
特に不仲の時、うまく行ってない時などは当然でしょう。
なぜかというと、先ほどチラ見せしたように「シャドウ」というのがカギでして、自分が見たくなかった自分自身を見せてくれるのがパートナーというわけです。
でも、信じたくない人は信じなくていいです。
敢えて気分が悪くなる情報を目に入れなくてもね。
で、自分の中にあるけれど認めたくない要素を特にパートナーに映し出す(あるいは子どもに映し出す)わけですから、当然ですけど、その要素を見せるパートナーを嫌悪します。
つまり、
「自分でも嫌だなあ、と思う自分の要素を隠す、抑圧する、攻撃する」
↓
「抑圧した感情はパートナーに投影される」
↓
「パートナーが自分がイヤだなあ、と思った要素を見せてくれる」
↓
「よってパートナーを抑圧する、攻撃する」
という流れになっているわけです。
で、潜在意識ではそういう流れになっているのですが、表面的にはどうなるか?というと、
「自分でも嫌だなあ、と思う自分の要素を隠し、その反対側の仮面を被る」
↓
「自分が隠した要素とは反対の自分を演じる(ペルソナ)」
↓
「自分が隠した要素のことはすっかり忘れて、その演じている自分をほんとの自分だと思い込む」
↓
「そうすると目の前の隠した要素を持つパートナー(や子供)が現れる」
どいう流れになっております。
「自分が受け入れられなくて抑圧した要素を持っている人を受け入れられると思う?」と言えば、当然ながらNo!!!!!!なので、たいていその要素を持つパートナーのことをバカにしたり、攻撃したり、無視したり、コントロールして変えようとしたりするわけです。
でも、当然ながらその要素は自分の内側にあるわけですから、どんなに攻撃してもコントロールしてもそれはなくなりません。
それでケンカしたり、離婚したり、浮気したりするわけです。
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ということで聡いTさんならここまで読まれてきて自分が何を抑圧しているかはお分かりだと思います。
ここから先は「ええー、まじー?いやだわあ・・・そんなん屈辱的やわ」という思いと共にご覧ください(笑)
ということで、すぐキレる夫が目の前にいる、ということは、Tさんの中にもとても感情的な自分がいる、ということです。
それを抑圧するので表面的にはクールな私になっているのですね。
また、旦那さん、よくよく見ると、あちこちでコントをやっているようで、それはまるで私が最近ハマっている吉本新喜劇を観ているようですね。
ということで、もしかしたら旦那さん、とても天然な方なのかもしれません。
ということは、Tさんもまた、、、天然なのかもしれないですなあ。
で、何を変えればいいのか?というお話ですけど、別に何も変えなくてもいいと思います。
敢えて言えば、そういう意識を持つ、ということですかね。
キレる旦那さんを見ながら「ああ、私の中にこんなバカがいるんだなあ」と思ったり、「ええー、私、ここまでボケてないわよ。でも、これが私かあ」と思ったり、パニックになる旦那さんを見て「ほんとネタ。これ、ネタ。だから、私、カウンセリング業界の吉本新喜劇と言われる神戸メンタルに通ってたのか」などと思っていたらいいのです。
同時に「感情的な私」というタイトルで人生振り返ってみるといいですよ。
もしかしたら、かつては、今の旦那さんのポジションにお母さんがいらっしゃったのかもしれないし、子どもの頃はよく自分がパニックになって周りに迷惑をかけてたのかもしれないし。
旦那さんほどではないにしても、旦那さんのような感情的な部分が自分の中にもある、と思っているだけでいいです。
あとは自然と許可が下りて行きますから。
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パートナーというのは付き合いが長くなるとどうしても悪いところが見えてきてしまうものですが、だからこそ、敢えて良いところを見る必要があります。
そうじゃないと別れたくなるのは自然の摂理ですのでね。
例えば、旦那がそういう風にキレるのは良くないことのように見えますが、逆に、そういう性格だからこそのいいところってありませんか?
一般的に感情的な人って喜怒哀楽が激しいので、周りの人は付き合いやすいんです。何考えているのかが分かりやすいから。表情に出るから。
それに、楽しい時は思い切り楽しむことができるので、周りの人を元気にしてくれます。
そういうキレるところとは関係なく、旦那さんのいいところはどんなところでしょうか?
悪いところに目を取られると、その間に長所から受けている恩恵を忘れてしまいがち。
だから、怒ってもいいし、嫌ってもいいし、見下しちゃってもいいんだけど、その一方で、ちゃんといいところを見つけてあげて欲しいな、と思うのです。
「ほんとにあいつはマイペースだよなあ。でも、お陰で私も自由にさせてもらってるけど」
「ほんとにあいつはいい加減だよなあ。でも、お陰で私も適当に手を抜いて家事をしても怒られないけど」
「あの人、ほんとだらしないわよね!でも、その分、私にも寛容に接してくれて、自分に厳しい私はだいぶ自分に優しくなれたけど」
この「(短所)だからこそ(長所)」という文法が身に着くと、意外と許せることが増えるんじゃないでしょうか?
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