「疑い」と「愛を選ぶ行動」とは?



過去の癒されていない傷が疑う心を作り、その後の壮大なる被害者ストーリーを組み立てたりします。
でも、それは自分の中の世界。
「疑いを手放し、愛を選ぶ」とはどういうことでしょうか?

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ぜひネタとして取り上げて頂きたいことは「疑う心」についてです。
相手を疑うということは、自分を信じてないということですよね?
でもその相手から裏切られた経験があるために、似たような事象(例えば連絡しても繋がらない、シャツが裏返しで帰宅したなど)がおこってしまうと、つい疑う気持ちになります。もっというと、怖れてしまうのです。現実に何も悪いことは起きてなくても。
辛い感情は安全な場所で吐き出して、いい気分を選ぶように努めていますが、気を抜くとネガティヴな感情に引っ張られてしまいます。
疑う心を取り除き、ずっと愛と繋がる状態でいるにはどうしたらよいか、教えて下さいm(__)m
(Aさん)
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おっしゃる通り疑いは自己不信の表れですけれど、100%自分を信じられるなんてことはないので、疑い自体をなくそうと思うのはあまりお勧めしてないです。
というのも疑うことよりも、Aさんのようにそこから怖れが湧いてくるなどの二次災害(?)の方が大変だからですね。

しかも、前科がある人なんでしょう?
しかも、分かりやすい証拠を残してくれるんでしょう?

裏返しのシャツで帰宅するなんてツッコむしかない状況ですから、それで疑うなって方が無理ですよね(笑)

まあ、その場合はもう「容疑」どころか「確定」だと思いますけど。
むしろ、裏返しシャツなんてのは「証拠」の方だと思いますけど(笑)

妄想族という種族がいるんです。
けっこう日本全国あまねく分布していて、私の読者のおそらく93%はそれに相当すると思われます。

あるできごとを元にして不安になってみたり、怖れを沸き立たせたりしてどんどん感情を膨らませていきます。
そして、まるで薪を火にくべるようにあることないことを織り交ぜて、どんどんその不安や怖れを増大させて、様々なストーリーを作ります。
ジャンルとしては代表的なものとして「悲劇のヒロイン・シリーズ」が有名ですが、また、「家政婦は見た(っていうか、家政婦じゃなくて私は妻だけど)シリーズ」とか、「ザ・サスペンス~地に塗られた出刃包丁~シリーズ」など、ほんと様々です。

そして、そのストーリーを自ら組み立てて、そして、そのストーリーに見事にハマり込んで「ああああああああああああ・・・・(涙)」とか「どどどどどどどどどどどどど(怒)」など、すっごく大きな感情に飲み込まれることを楽しみます。

「激しい感情を感じてないと生きていると実感できない」とおっしゃる、情熱女子がよくやる趣味の一つですね。

要するに、暇、もしくは、退屈、なんです(笑)

だって、それが妄想じゃなくて現実だったら「次の手」という行動を起こさなきゃダメになるでしょ?

ただ、疑いとか、それに続く妄想ってのはある種心を守る作用があるんですよね。
いきなり現実として突き付けられると心が持たないので、疑うことで、または、妄想ストーリーを作って事前にハマっておくことで、いわゆる「心の準備」ができるんです。

また、疑いというのは「真実」から目を逸らさせるのに役立つこともあります。
そう、この辺からちょっと痛い話が始まりますよ(^^)

「疑い」って「相手を見てる」行動ではないんです。
自分の中の頭(心?)の中にある物語なんです。

「あれ?なんか様子が変。もしかして浮気してる???」と思ったとするでしょう?
これは正確には2つの事象が組み合わさっているんです。

「あれ?なんか様子が変」・・・これは「気付き」ですね。だから、この時点では何ら問題はありません。むしろ、変化に気付く感性が素晴らしいですね。
ほんと女性はそういうの、すごく得意ですよね?
ちょっとした変化に気付いちゃう。
もう何千、何万年と家庭を守ってきたからこその鋭さですね。

怖いです・・・・。

ま、個人的な感情は良いとして(笑)、問題はここからね。
その「気付き」から、「過去のできごと」を引っ張り出してきて「浮気してる??」という「予想」が生まれます。

この時点でもう意識は「過去」に捉われています。
そして、その「過去のできごと」にまつわる感情が湧き出してきます。
そこで、その傷が癒されていない分、痛みがまだ残っているので、その痛みが噴出してきます。
その痛みが作り出すのが「疑い」であり、そこから始まるネガティブな妄想です。

それで「もしかして浮気してる??それでこんなことが起きて、あんなことが起きて・・・きゃー、いやだー、困る―、どうしよー!!!」という風になるわけです。
ちなみにそこで疑い~妄想ラインに乗らず、「浮気してるに決まってる!とっ捕まえて白状させてやる!!」というのは思い込み、決め付けになります。

つまり、

「気付き」+「過去の癒されてない傷」=「疑い」

となるわけです。

この浮気問題に関しては「浮気されても大丈夫」という自信があれば、疑いが生まれても動揺しません。
真実を確かめよう、実際、相手の気持ちがどうなのか聞いてみよう、などとなり、それによって自分の今後を決める覚悟ができます。

ところが、その自信がないと「妄想の中で創り上げた浮気→捨てられて離婚→孤独→一人ぼっちの老後→孤独死→白骨化してから発見」という物語を自ら創り上げてハマってさらに不安や怖れが強くなります。

そうすると、真実を確かめよう、と思って取る行動が実際のところは「その不安を解消してもらうために真実を確かめる」という依存的態度になってしまうのです。

そして、この不安や怖れに憑りつかれているときは、その妄想に「逃げる」ことによって、現実と向き合わずに済みます。

この疑いも不安も怖れも被害者ストーリーもその「癒されてない過去」ってことが問題なんです。

だから、許しましょう、手放しましょう、という話になっていくんですね。
自分では解消したと思っている傷も、まだどこかにかすかに残っていたところがあったのかもしれませんね。

で、もちろん、傷を癒した分、愛と繋がれるわけですが、愛と繋がるっていうのは選択することですよね?

だから、「浮気してる??」と思ったときに「愛を選ぶ」ってどんな“行動”なのかを考えてみてほしいな、と思うのです。
放っておくと情熱女子の修正により壮大なストーリーの構築に取り掛かってしまいますから。

「そんなことないもん!!!」って打ち消そうとするのもまた怖れから来る行動ですよね?
「くそっ、真実を吐かせてやる。取調室にGoだ!」というのも悪くはないですけど、そのベースは怒りかもしれません。

「彼が浮気していてもしていなくても私は大丈夫」という思いは自信が作り出すものですが、これは同時に愛の選択と言ってもいいでしょう。

「もし、実際彼が浮気していたら離婚するし、浮気していなかったとしたら素直に謝ろう」と“決める”ことも愛を選ぶことになるかもしれません。

「彼が浮気していようがいまいが私が彼を愛し続けることに何ら変わりはない」というのもそうでしょう。強い意志を感じますね。

ここであんまり例を出しちゃうと自分で考えなくなっちゃいますので、あとはAさん、そして皆さんが考えてみてください。

「愛を選ぶ行動とは?」

本当に彼を愛していて、私も自分自身を愛している(自信がある)のならば、どんな行動を採るだろう?

この状況で私が幸せになり、彼も幸せになれる選択ってどんなだろう?

そんな風に数日~1週間は考えてみてほしいな、と思います。
この答えは無数にあります。
だから、2,3個浮かんだくらいで終わりにしないでね。

では皆さん、頑張って!!(笑)

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