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執着ってある意味刺激的な情熱です。だから、それを手放したらとても冷めたような感じがして寂しくなることもあります。
でも、それは純粋に真実の愛に気付ける状態。「感謝」「与える愛」を実践していきましょう。
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根本さんこんばんは。いつもブログを拝見しております。
手放す、ということについて聞いてみたいことがあります。
最近夫との結婚生活を手放せました。
5年の結婚生活で苦しみを味わってきましたがたくさんのカウンセラーさんや友人の支えにより生き延びてきたこと。
そして、「手放せるくらい愛せますか?(その2)」を読みながら、涙があふれ出てとまらなくなりました。
※手放せるくらい愛せますか?
※彼を手放せるくらい愛せますか?(その2)
「これだ!」と思いました。
私はこの境地に行ってもいいんだ、と自分にGOを出せたような感覚でした。
先日参加させていただいたセミナーの最後の鎖をはずすワークで、私は幸せで終始笑顔でした。(「執着を手放す心理学講座」)
そこで、確信しました。
それ以来、世界がまったく違うように見えます。
ここにくるまでの結婚生活始まって以来の苦しみもすべてはこのためだったんだと、夫にも両親にも不倫相手の彼女にも感謝の気持ちです。
そこで、質問です。
実は1週間ほど前から執着を手放したことには変わりはないのですが、夫への関心が薄れる、ということが起こっています。
夫に幸せに生きてほしい、という気持ちは変わらないです。
けれど、夫のことを心のそこから愛している、という感覚が薄れているように思います。
具体的に言うと、特に話をしたいと思わない、一緒にいることに価値をあまり感じない、セックスしたいと思わないという感覚です。
夫は生まれ育った環境に少し自分の中で消化できないものを抱えていて私がいなくなったらこの人はきっとまた孤独になるだろう、とかいろんな要素から「一緒にいてあげなきゃ!」という感覚があったのですが、最近ではなくなってしまいました。
「ま、なんとか幸せにやってくだろうな」と。
近いうちに、夫が幸せなら離婚でもなんでもOKだよ、と伝えてあげたいと思っています。
そうすることで私もはれて新たな人生をスタートさせることができて子どもとともに違う家族愛を追求できるような気持ちでいます。
これは執着を手放した後の通常通るルートなのでしょうか?あまりにもあっさりした自分に若干引いています・・・
長々、すみません。私を救ってくださって
本当にありがとうございました!
(Yさん)
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素晴らしい体験をされましたね!
まさに「手放し」です。
>ここにくるまでの結婚生活始まって以来の苦しみもすべてはこのためだったんだと、夫にも両親にも不倫相手の彼女にも感謝の気持ちです。
個人的にYさんの境地を「悟り」って呼んでます(笑)
悟っちゃいましたね~!って。
手放す、ということは、今までくっついていたもの(執着)が切れて、「自分は自分、あなたはあなた」という状態になります。
適切な距離感と言いますか、対等性が手に入る、と言いますか、楽で自由な状態になります。
だから、今まではYさんが彼の人生を抱えてきたところがあったのが(「私がいなくなったらこの人はきっとまた孤独になるだろう」などの部分)、手放すことでなくなっちゃうわけですえん。。
だから、
>「ま、なんとか幸せにやってくだろうな」と。
という悟りの境地が拓けます。
今までは私が何とかしなきゃいけない!!って思ってたのが、彼に選択の自由を与えることができるのです。
だから、
>近いうちに、夫が幸せなら離婚でもなんでもOKだよ、と伝えてあげたいと思っています。
こんな感じが出てくるのでしょう。
これはとても正しいプロセスです。
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ただ、執着が手放せるとそうしたポジティブな変化が感じられる一方で、違和感を感じることも出てきます。
一番良く聞くのが「寂しい」あるいは「なんか虚しい」という声。
執着って飼い犬のように相手の首に首輪をつけてリールで繋いでる状態です。
それが外れたらなんとなく手持無沙汰になり、距離が開いた分だけなんか寂しかったり、空虚な感じがやってきたりするのです。
特にそれまで執着しているとは知らずに「彼にために!彼の心を引き付けておくために!彼に好かれるために!」等々の理由で一生懸命何かしていた方にとっては、やることがなくなって突如暇になるような、子どもが巣立って寂しくなるような、そんな感覚に襲われるのです。
さらに、そんな状態になりますから、今までよりも愛情が薄れたように感じます。
Yさんの言う「関心が薄れた」って感じる方もとても多いんです。
似た表現にはこんなものもあります。
「彼のこと好きかどうかわからなくなった。前はあれだけ好きだったのに」
「なんかもう別れてもいいような気がする」
「彼がいなくても私は全然大丈夫な気がする」
「ほかにいい人が出てきたらそっちになびいてしまいそう」等々。
手放すことで適切な距離になった途端に、それまで執着を作っていた情熱が覚めていくんです。
Yさんが「話をしたいと思わない、一緒にいることに価値をあまり感じない、セックスしたいと思わないという感覚」というのも、執着を手放した後としては自然なものかもしれません。
逆に今までは執着していたから、話を一生懸命して、一緒にいることに価値を感じ、セックスを求めていた、のかもしれません。
だから、これからはより真実の愛から来るコミュニケーション、つながり、セックスを学び、感じるステージに入ったんだと思います。
そう、2人の関係は全く新しいステージですからね。
見知らぬ国に移り住んだようなもので、まずはそこの生活に慣れる必要がありますね。
「真実の愛」を学ぶプロセスとも言えるでしょう。
実は執着の陰には「欲」が隠れていました。
この「欲」があの激しい感情を作り出すんですね。
でも、手放すことでこの「欲」がなくなってしまうので、愛情が覚めたように感じるんですけど、実はそこに残るのがとてもピュアな愛(真実の愛)なのです。
そうして、ほんとうの繋がり(ワンネス)を今から体験されていきます。
ただ、ご主人の存在に感謝の意識を向けてみてください。
彼が生まれたこと、生きて来たこと、今日まで一緒にいられたこと、結婚できたこと・・・そうしたできごとに感謝してみましょう。
今日から先のことは考えなくていいんです。
「今一緒にいる」ということに意識を向け、感謝していきます。
そして、「今、できること」を与えていきます。
それは自分が喜ぶことで、かつ、彼も喜ぶこと。
ご飯を作ること、掃除をすること、などでもいいでしょうし、彼の仕事を労い、そっと背中をさすってあげるのでもいいでしょう。
これは「自分も彼もうれしい」というのが基準ですから、犠牲や我慢は禁物です。
これは「与える愛」と言います。
そうして、感謝(受け取ることでもあります)と与えることを続けていくと、彼からの愛情がより強く感じられるようになり、また、自分の中にもただただ燃え続ける愛が感じられるようになります。
そういう次元に達するとセックスも欲求からではなく、ほんとうに自然な行為になります。
愛し合うために必要な行為、になるので、とても自然なんですね。
執着を手放した後は対等であるがゆえに、とてもシンプルに、かつ、自然になります。
とても素晴らしい状態で、この「感謝」と「与える」だけなのに、いろいろな場面で祝福を感じ、自信を感じ、そして、深い愛を感じ、深い安らぎの境地に至ります。
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とはいえ、常にそんな状態である必要はありません。
そうなってしまったら生きてる意味ないですもんね(笑)
我々はこの人生を刺激的なものするために「欲」とか「怖れ」という感情を持つことを選びました。
だから、Yさんもまた執着することもあれば、手放しすぎて別れたくなることもあり、逆に他に素敵な男性がちらほら見えてくることもあり、また、純粋にご主人と一緒にいて安心感と愛を感じることもあるでしょう。
だから、体験として「こんな素晴らしい手放しの感覚を得た」ということを覚えておいて、その体験に執着しないように気を付けましょうね。
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