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何かしら問題が起こるにはその背景があるものです。それを見ずに現象(状況)を変えさせようとコントロールしてもなかなか問題は解決しないのです。
特にこれは他人が起こした問題に対して起こりやすいのです。
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先日も「夫がギャンブル依存症で」とか「浮気を繰り返していて」などのご相談を頂きました。
夫婦問題以外でも「子どもが学校に行きたがらない」「ある従業員が全然仕事をしていない」「母親が相変わらずヒステリックで支配的」などのお話を伺いました。
自分自身が問題を起こしてる場合は表面上の問題だけでなく、その背景にも比較的入りやすいのですが、他人が問題を起こしているとなると、どうしてもその「現象」の方に気を取られ、それを何とかしようとしてしまうようです。
すなわち、
「ギャンブル依存症」→「パチンコ通いを辞めさせる」
「浮気を繰り返す」→「ほかの女性と会わないようにする」
「学校に行きたがらない」→「学校に行かせる」
「仕事をしない」→「仕事をさせる」
「ヒステリックで支配的」→「ちゃんと冷静に話ができるようにする」
といった“コントロール”をして、その現象を改めさせようとします。
特にこれらは一般的に「良くないこと」とされていますから、責める方は大義名分があるわけですね。「ギャンブルをする方が悪い」「学校に行かないのは良くない」という思いが相手をコントロールすることを正当化させてしまうんです。
でも、「正しさ」と言う武器を使って相手を責めたてたところで悪化することはあっても、良い方向に向かうことは稀です。
すべてが因果応報だとは思いませんが、やはりそういう現象には“そうならざるを得ない理由(原因)”があると思うのです。
そのギャンブル依存症と浮気性のご主人は仕事では「すごくいい人」だったそうです。
だから、周りの人にその事実を相談しても最初は「え?本当に?あの人が?」という反応だったそうなんですね。
とても家で奥さんに暴言を吐いたり、嘘を付いたりするような人には見えないのです。
不登校のお子さんにはどうも家庭内での不和が影響しているように見えました。
仕事をしない従業員。どうも上司との関係に原因があるようです。
ヒステリックなお母さん。自分が育った環境に深い深い傷がありました。
「だから、なんですよね」
って話をしたんです。
例えば、他人に対していい人をしていると、自分の中のネガティブな部分は解放されず心の中に溜まって行きます。どんないい人でもイラッとすることはあるでしょうし、サボりたい気分の日もあるでしょう。でも、そういう時にずっとその気持ちを我慢していたら、澱のように心の中にそれが溜まって行くんです。
そして、それを吐き出す手段がパチンコだったり、女性関係だったりするのです。
だから、「ギャンブルを辞めさせるよりも、そのいい人を辞めさせる方が本筋なんですよね」なんてお話をさせてもらいました。
もし、そういういい人が無理やりギャンブルを辞めたとしたらどうなるでしょう?
行き場を失った心の澱が今度は別のモノに目を向けさせたり、病気になったりする可能性はとても高いですよね。
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忙しい現代ですから、つい表層的な現象に目を奪われがちです。
しかし、そういった現象には必ず背景があると思って、それは何だろう?ってひとまず考えてみると今までは見えなかった現実が現れてくるのです。
カウンセリングでお話を伺う時は「そうならざるを得なかったのはなぜでしょう?」ってお聞きします。
そういう見方をするだけでも少し態度を変えられるし、また、自分の中の怒りも収まったりします。