出来事は過去の感情を掘り起こす「スイッチ」に過ぎない。



「上司とケンカをしたんです。すごく悪い気分になり、こんな会社辞めてやろうと思いました。いつも自分は受け入れてもらえず、ミスを一方的に責められる。自分がどれくらい会社のことを思ってやっているかなど分かってもらえないんです。」

そう上司を責めるAさん。

「いつも、そんな風になっちゃうの?」

と質問すると、

「確かに、こう自分なりの思いを持ってやるんだけど理解されなかったり、受け入れてもらえずに否定されることは多かったかもしれません。自分としてはいい企画だと思った時に限って全否定されることも多いですし。」

と答えられます。


きっとAさんは「仕事の中でそうなっちゃうこと」にフォーカスされて答えられたんだと思いますが、カウンセラーは彼の発言の前半部分に注目をします。

「自分の思いを理解されない、受け入れられないってこと、昔から多かった?」

「昔って、今の会社に入る前ってことですか?」

「そうそう。学生時代とか、子ども時代とかも含めて考えてみるとどう?」

「そうですね。確かに、そういうことが多かったかもしれないです。特に親に対しても同じでした。一方的に自分の意見を押し付けられるというか、こちらの話を聴いてもらえずに拒絶されるというか。だから、ずいぶんと親とは距離を取ってきましたね」

「なるほど。それ、重要なポイントかもしれないですよ」

よくブログでも書いているかもしれませんが、「今」起きていることは、過去に起きたことの再体験(再生)であることが少なくないんですね。

もっと言えば「過去の感情体験を今、再現している」と言ってもいいんです。

Aさんのケースでは、上司とのケンカが「今」起きたことですが、これは、過去の親との関係を今に反映しているわけです。

これを「パターン」と言いますが、そんな風に私たちは「今」起きたことと思いがちなのですが、その多くは子供時代にベースがあり、その経験を今に再現していることが少なくないんです。

なぜ、そんなことが起こるのかと言うと様々な説明ができます。

一つは、その当時の心の痛みを癒すため。その痛みが「癒してくださいよ」って今の問題を作りだす、という説明。

一つは、過去に傷ついたときに、その部分の成長を止めてしまったので、同じ体験を場所や相手を変えて繰り返している。その成長を止めた子を育ててあげるため、という説明。

一つは、そのケンカは本当は今、起きてることではなく、過去に起きた記憶を再生しているだけ、という説明。

要するに、今起きている問題って、過去の扉を開けるスイッチに過ぎないわけです。
だから、今の問題に意識を向けていても、本当の解決にならないことが少なくありません。

Aさんのケース。
親に理解されなかった、受け入れられなかった、拒絶された、そういう感情体験が子ども時代に何度もあった分だけ、その思いが心に染み付きます。
すると、意識するかどうかは別として、どうせ自分は理解されない、受け入れらない、拒絶される、という「観念」が生まれます。
理解されないって思っているので、「どうせ、理解してもらえないんでしょ?」という思いを元に企画書を書きます。自分なりに一生懸命考えた内容なんだけど、その観念が強すぎるので、まるで「理解されないための企画書」になっていたりします。
すると、その望みどおりの返事が上司から返ってきます。
そこで、「やっぱり!」って怒りが湧いてきます。どいつもこいつも俺のことを理解してくれない!!って。

しかし、上司が本当に彼を理解せず、やみくもに拒否したかどうかは分かりません。
「この案はよくできているけど、予算のところが少し甘い気がする。全社的な視点から予算配分をもう少し考えてくれないか」

もし、そういう回答をもらっていたとしても、「理解されない」と思い込んでるAさんの耳には「この案はあまり良くない。特に予算のところが全然できていない。全社的な視点からもう一度見直すように」と聞こえていたりするのです。

「どうせ、理解されない」という思いが、上司の回答に対しても穿った聞き方をしてしまうのです。(心の傷というフィルターを通して聞いてしまうのです)

なんとなく分かりました?

今、起きていることって、もしかしたら、過去を反映しているだけかもしれない・・・そういう気付きがあると、過去の何かは分からなくても、今起きていることの真実が見えてくることが多いと思います。

ほんと、今起きたことは、過去を思い出させるスイッチに過ぎない、と言っても過言ではありませんから。
極端に言えば「それは今起きていることではない」ってことなんです。

そうすると、人と無駄な争いをせず、誤解を招く確率が下がり、フラットな付き合いがしやすくなると思うのです。

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