(10/15)自己嫌悪と与えたもの



今日は乳児の7ヶ月検診だったのですが、病院に行くと、わんさか乳児が集まってきていまして、とても癒されてしまいました。
みんな個性があってかわいくて・・・。
泣いたり、笑ったり、もぞもぞ動いたり・・・

こんな素敵な世界があるんだ~!\(^o^)/という感じです。

#そもそも僕は子どもがあんまり好きじゃなかったハズなのに・・・

そんな中、うちの乳児は他のお母さんやお医者さん、看護師さん一人一人に愛想を振りまいてました。
顔をじーっと見てニコーッと。
それに溜まらず噴き出す看護士さんやお母さん方。

まるで一匹ずつ獲物を倒していくハンターのようでしたよ。
先々が楽しみですー。
この勢いで、いい男をハンティングする女に成長してもらいたいものです。
(相当、気が早いですが・・・(笑))

因みにうちのは男の子に見える女の子なんですが、隣に座ってた子が女の子に見える男の子でして、お互い見詰め合っては大人には分からない言語で盛んに会話&爆笑してました。
「恋したのかなー?」ってうちの奥さんは言ってたんですけど、けっこう男前だったし、男を見る目は確かだな・・・などと少々悦に入っております・・・(笑)

*--*--*--*--*--*

何か問題が起きたときに「どうしてこうなっちゃったんだろう?何がいけなかったんだろう?」って考えますよね。
依存しすぎたせいだろうか?
辛く当りすぎたせいだろうか?
優しくできなかったためだろうか?

それは悪いことではないんですよね。
依存しすぎたなあ・・・と思えば、じゃあ、もう少し彼や自分を信頼できる自分になるって目標が立てられます。
もちろん、本当の原因は分からないかもしれませんが、そこで自分を成長させられるチャンスとして捉えられます。

でも、でも、実際は、そこで自分を思い切り責めてしまうんですよね。
あの時こうすればよかった・・・って後悔が後を絶たなかったり、
何であんなこと言っちゃったんだろう?って罪悪感に苛まれたり。

カウンセリングでも、そうしたお話を伺って、僕の経験や知識から、こういう原因もあったんじゃない?彼(彼女)はこういう風に感じてたんじゃないかな?という話をさせていただいてます。
更に深く心理分析をしていくことも多いですね。

依存してしまうパターンが出来たのはどうしてだろう?
前の恋愛はどうだった?
どんなご家庭だったの?って。

でも、それは自分や相手や両親を責めるためのものじゃないんですよね。
癒されるのを待っている痛みを見つけたり、自分を変えるきっかけにしていったり、より良くなるための一つのアプローチなんです。

でも、最近気付いたことがあるんですよね。

確かに依存しすぎたかもしれない・・・
それはマイナスのことで、彼を辛くさせてしまったことかもしれない・・・
でも・・・、それと同等のプラスのものを与えていたんじゃないの?って。

じゃあ、あなたが彼に与えてたものって何だと思う?

これも大切なアプローチです。
自分を取り戻し、自信を付けるために。

自己嫌悪モードになってるときって、そんなの見つからないんですよね。
全てのものは自己嫌悪に通じる・・・って状態では、「雨が降り続くのも私のせい・・・」って思ってしまうくらいですから。

「与えてたものを受け取る」というのは、そこから抜け出す方法でもあります。

それは自分では全然価値を見出せないものかもしれませんね。
例えば、依存しすぎたなあ・・・と思ったとき。
何も依存を全否定しなくてもいいんですよ。
依存される側というのは、自分があてにされてる、必要とされてる、甘えてもらってるって感じがして、自信がもてたり、存在に意味を感じたり、やりがいが生まれたりするものです。

自分では意識しなかったけれど、そんな素敵な贈り物をしてあげてたんです。

それを意識できたとしたら・・・受け取れたとしたら・・・きっと自分にもできることがあり、与えられる存在なんだ・・・ということに気付けます。

これは考え方を変えないと難しいことかもしれないけれど、何か原因を考えちゃう、自分を責めちゃうときには、何を与えているんだろう?って考えた方が、ずっと効果的ですよ。


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