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一般的にあれは良い、これは良くない、という“分別”をされることが多い事柄でも、よくよく見ていくと自分の行動や思考を制限し、逆に不自由さを作っていることが少なくないのです。
もしあなたが生きにくさ、窮屈さ、不自由さを感じているのであれば、当たり前に良いと思っている観念に縛られて生きているのかもしれません。
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私たちは子どもの頃から何かと「善悪」という観念を植え付けられて来ました。
もちろん、役に立つ、危険な目に遭わないという“良い観念”もあるわけですが、中には自分の人生を窮屈にしてしまう“悪い観念”もたくさんあるものです。
・・・こんな風に私たちは物事を「良(善)い」「悪い」で区別しようとするわけですね。
もしかしたら生きづらさ、生きにくさを感じている方の中には当たり前だと思ってしまっている善悪正誤の観念に縛られてしまっているのかもしれません。
ということで、みなさん、自分の中にあるそんな観念をチェックしてみましょう。
一般的に「悪い」と思われがちなことをたくさんあげてますので、自分はどう思うか?をチェックしてみましょう。
仕事をサボるのは?
納期を守らないのは?
嘘をつくのは?
貯金ができないのは?
遅刻するのは?
約束を守らないのは?
有限不実行は?
人に対してキレるのは?
人の話を聴かないのは?
部屋を片付けられないのは?
清潔じゃないことは?
あわてんぼうなのは?
自分勝手なふるまいは?
人に迷惑をかけるのは?
借りたお金を返さないのは?
嫉妬しちゃうことは?
人の悪口を言うことは?
嫌いな人がいることは?
NOが言えないことは?
人に甘えてばかりいて自立できないことは?
表裏のある性格は?
人をコントロールすることは?
浮気は?
人の顔色を伺ってしまうことは?
自分の意見を言えないことは?
協調性がないのは?
わがままなのは?
身だしなみにこだわらないのは?
物事から逃げることは?
人に心を開けないのは?
繊細で傷つきやすい性格は?
人を信じられないことは?
いい年して結婚してないことは?
全然パートナーがいないことは?
人の功績を自分のモノにすることは?
感情的になってしまうことは?
高圧的な態度は?
などなど。だいぶ行数を稼げました!笑
「他人だったら別にかまわんけど、自分には許せないこと」というのもあれば、「時と場合によっては悪!」とか「まあ、良くないとは思うけど悪いとまでは言い切れんなあ」というのもあるかもしれません。
で、肝心なのはどれくらい強く「悪い!」と思っているかでして、「絶対ダメー!めちゃくちゃ悪いー!!」と感じるものがあれば、それくらいその観念に縛られているし、絶対それが正しい!と思い込んでることを表します。
そうすると案外それが束縛となって自分を苦しめることになるんです。
「やって悪いことなのに、それで自分が窮屈になっちゃうの?」という疑問が出てくるかと思うのですが、そうなんですよね。
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例えば「仕事をサボるのは悪いこと」と思っているとしましょう。
こんなことは当たり前だと思っているから、今日みたいに聞かれて気づく、みたいな感じになってるでしょう。(ちなみにそういう感じの観念は潜在意識にしっかり入っているものです。その分、影響力も大きいです。)
当然、自分はサボることが良くないから仕事をめっちゃ頑張ります。それが当たり前だと思っています。
さて、仕事をサボることが悪いことだと強く思っているとすると、今度は仕事で手を抜くことができません。
そして、仕事はもちろん、それ以外のことについても「きちんとしなければ」と思うようになります。
その結果、頑張り屋さん!と評価されるくらいならばいいけれど、自分でも気づかないうちに頑張りすぎてしまうようになります。
それでハードワーカーと認定されたりしますね。
で、仕事をサボることは良くないことだと思い込んでいるので、「休む」ということが苦手になります。
繁忙期が終わって「はあー、ひと段落就いたー。しばらくゆっくりしよー」と周りがリラックスモードになっても、「それはサボることになるのではないか?」と潜在的に思ってしまうので、そこでも何か仕事を作って頑張ろうとしてしまいます。
また、そのあおりで体調を崩したり、モチベーションが下がったりしても、自分に鞭を打って頑張ろうとしちゃったりもします。
さて、それ以外にも対人関係にも影響を及ぼすのです。
サボるのは悪いことという観念も「投影」されるんですね。
そうするとこんな現象に遭いやすくなります。
・サボっている人がいないかを無意識に監視してしまう。
・サボっている営業マンなんかを見ると他社の人であってもムカついてしまう。
・後輩がサボっていたらきつく言ってしまうか、嫌いになってしまう。
・部下がサボってないかがすごく気になって行動を厳しく追及する。
・もちろん、パートナーに対しても厳しい目で仕事や家事をサボってないかを気にしてしまう。
・人前で「サボるなんて信じられない、サイテー」的な発言をしてしまう。
さらに、バランスの法則が発動すると、
・サボり癖のある人と組まされる。
・チームに一人、サボり上手な奴がいて大いに気分を害する。
・あまり真剣に仕事をしない人と付き合ってしまう。
・家事に非協力的なパートナーと結婚してしまう。
そう、「仕事をサボるのは悪い」と思っていると、その強さに応じて、あんまり幸せじゃない状況を引き寄せることになっちゃうんです。
しかも、これらの行動はすべて「自分は正しい」「良いことをしている」とプラスに思っているものですし、「サボるのが悪いなんて当たり前じゃん!」という姿勢でいるから、まさかその観念がこのしんどい状況を引き起こしているとは思いも付かないんですよね。
一般的には「悪い」「良くない」と思われていることなんですけど、その強さによっては生きにくさにつながるのです。
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「仕事をサボるのは悪いこと」という観念を手放していけたらいいのですが、そこには抵抗が強いですよね。長年の実績もあるわけでして。
で、一般的にはこんな風に自分の中で変換していけるといいんです。
「仕事をサボるのは悪いよね」
↓
「仕事をサボるのは良くないよね」
↓
「仕事はサボらない方がいいよね」
↓
「まあ、仕事をサボっちゃうときもあるよね」
↓
「仕事をサボるときがあってもいいよね」
↓
「仕事をサボるのも頑張るのも自分の選択だもんね。」
つまり、「どっちもアリ」という風に価値観を変えていくのが望ましいんです。
そしたら「選択」が生まれますよね?
頑張ることもできるし、サボることもできる。どっちを選ぶ?という。
私たちは選択肢がある状態を「自由だ!」と感じるものですから、その時点で窮屈さから解放されます。
そうすると人にそれを投影しますから、仮に他人がサボっていても「ああ、あの人はサボるを選択したのね」という風に受け止められてイラっとすることもなくなります。
で、ここで「正しさの罠」にハマっている(「正しさ」もひとつの観念ね)と、「じゃあ、仕事をサボってもいいんですか?それでは仕事が捗らず問題になったり、最悪、クビになったりしませんか?」という疑問が生まれるでしょう。
この一文にも「善悪の観念」が入り込んでいるのがよく分かりますが(仕事が捗らないのは良くない、とか、クビになってはいけない、とか)、「どっちもあり」だということは「どっちを選ぶのも自由」ということですから、「じゃあ、サボるを選ばなきゃいいんですよ」ということになります。
よく「自由には責任が伴う」という表現を耳にしますが、まさにそうなんですよね。
「仕事をサボる」という選択をするのは自由ですが、それによってクビになるというリスクを自分は背負うわけです。
もちろん「仕事を頑張る」という選択をした際には「頑張りすぎて体調を崩す」などのリスクも存在するわけですが。
その「どちらでも良い」という自由な状態というのは、それを選んだ際のリスクも込みなわけですね。
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また、こうした観念と感情はまた別物なんですね。
観念というのはいわば価値観なわけですから。
つまり、「仕事を頑張るのもサボるのも自由だと思う。けど、わたしは頑張る人は好きだけど、サボる人は嫌いだな」と思うこともできるのです。
混乱してきました?
「でも、そういう風に思うってことはサボるのは悪いと思ってるからじゃないですか?」
という疑問が浮かんだ方もいらっしゃるかと思います。
「悪い」というのは価値観なので、思考のプログラムと言ってもいいでしょう。
でも、「嫌い」というのは感情なので、何らかのできごとに反応するものです。
だから、「仕事をサボるのは悪い」というのはなかなか変わらないんですけど、「サボる人が嫌い」はコロコロ変わります。
例えば、「推しのアイドルがサボってる姿を写真に撮られた!」としたら、推しを嫌いになるでしょうか?むしろ「サボってる姿もかわいい」とか「いつも頑張ってるもんね!たまにはサボった方がいいよ!」と好意的に感じたりしませんか?
一方、「嫌いな上司」がサボってる姿を目撃したらどうでしょう?「人事!人事!あいつ仕事サボってます!めっちゃキモいです!!」と嫌悪感がマシマシになりませんか?
感情は相手、状況、そして、自分の心の状態などによってコロコロ変わるものです。
だから、その辺をきちんと表現するならば、
「仕事をサボるのも頑張るのもどっちもありだと思うよ。サボりたくなるときだって人間あるし、頑張りたいときだってあるしね。ふだんの姿を知らなかったらその一瞬を切り取ってよいとか悪いとか言えないし、もしかしたら、その人、ふだんは頑張って誠実に仕事していて、たまたまその時だけ息抜きしてただけかもしれないしね。人間だもの、そういうときだってあるよね」
なんて風になるわけで、だいぶ寛容だと思いませんか?
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さて、そうして自分の思考や意識の中で「観念」を「選択肢」に変えられて行けたらいいのですが、強い抵抗を感じるものもあるでしょう。
「じゃあ、浮気してもいいわけ?嘘ついてもいいわけ?それで人を傷つけてるんだよ?そんなの悪いに決まってるじゃん!」みたいな感じで。
その場合は「心の傷」を見ていくのがいいでしょう。
こうした観念は「自分を守るために作った心の鎧」でもあるんです。
二度と傷つかないように、あんな苦しい目に遭わないように、作り上げた防御服なのです。
それくらい強い抵抗が出るってことは「まだまだ傷ついてます!まだまだ生傷で、血が流れてます!」という状態だと思ってもいいんです。
だとしたらまず必要なのはその観念を手放すことじゃなくて「治療」ですね。
その傷を癒すことが先決です。
そしたら、カウンセラーと共にその傷と向き合っていくことをお勧めしたいのです。
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さて、最後に私自身の話を少し。
カウンセラーになった頃というのは私自身もいろいろな善悪の観念を持っていました。
例えば「不倫?よくないんじゃないの?浮気?それはダメだよ」という風に。
一応、話を聴くのが私の仕事なものですから、そういう方々の話をあれやこれやと聴いて行ったんです。
そしたら、「不倫するしかない、浮気せざるを得ない心理状態」であることが分かってきたんですよね。
そうすると一概に不倫が悪いとは言えなくなってしまいまして、「そうせざるを得ないよなあ」と納得してしまいました。
仕事をサボるとか、約束を守れない、片付けられない等々にもそれぞれの「事情」というものがあることが分かってきて、そうすると一概には否定できないよね、という意識を持つようになりました。
それで表面的な態度・行動では「何も分からないし、何も言えない」という思いを持つようになりまして、「その心理状態」の方に興味が移っていくようになりました。
つまり、どういう心理でそういう行動になったのか?の方が重要なんだよね、というところに興味が移っていったのです。
それで私のセッションって表面的に起きていることよりも「どういう心理でそうなったの?」という質問をしていくようになりました。
だから、こうした「善悪の観念」というのは自分を縛って不自由にするものなんだよな、という風に考えているので、それを手放した方が自由になるし、自由になった分だけ自分らしい生き方が選べるようになるよ!と思っているのです。
●3人の自立系武闘派女子が自分と向き合って幸せになっていく物語。
「ひとりで生きちゃう武闘派女子が頼って甘えて幸せになる50のトレーニング: 「頑張らないこと」を頑張りたいあなたへ」(小学館)
●この記事を読んで「ああ、自分の場合はどうだろう?」と思われた皆さん。そのネタ、聞かせてください!もしかしたらブログ上で回答させていただけるかもしれません!(不採用になっちゃったらごめんなさい!何度でもチャレンジ可!です)
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