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「死にたいというよりも消えたい」という思いとは何なのか?
そして、どうしたらその思いから抜け出せるのか?
男性性と女性性、さらには罪悪感、無意味感、無価値感などの感情を元に解説したいと思います。
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新刊読みました。手帳を横に置いて、必要なところをメモしながら笑。我ながら自武女過ぎて笑えるのですが、所々胸がきゅーっと痛くなるんですよね。何周も読みたい本のひとつになりました。
と、宣伝はこのくらいにしておいて!
こちらにさらなる解説をお願いしたく思いました。
たぶんわたしは今、このプロセスの途中にいるんだなと感じました。だから時々つまらな過ぎて、「消えたい」ってよくわかります。だけどPMDDが酷かった時の、「死にたい」とは違うのです。
それで質問は、思春期の「死にたい」との違いです。わたしは思春期の時にそういう気持ちを抱いたことがなかったので、いわゆる中二病がよくわからなくて。
もしよろしければよろしくお願いします。
今のお仕事がひと段落したら、大阪まで行こうと思っています(はあと)
次はセミナーかセッションでお会いできるのを楽しみにしています。
(Mさん)
新刊呼んでくださってありがとうございますー!
やはりうちの読者さまには刺さるみたいでして、あちこちから悶絶や号泣の声を耳にしており、ニヤニヤしております。
まあ、そりゃ皆さんを見ながら書いてたわけで、刺さらなかったら文章力が悪いってことかもしれませんけどねー。
●3人の自立系武闘派女子が自分と向き合って幸せになっていく物語。
「ひとりで生きちゃう武闘派女子が頼って甘えて幸せになる50のトレーニング: 「頑張らないこと」を頑張りたいあなたへ」(小学館)
で、PMDDってなんだ?と思ったらPMSの一種なんですね。また一つ賢くなりました。
さて、「消えたい」と「死にたい」(思春期版)の違いですけれど、人にもよるんだと思いますが、実際はとても似ているものなんじゃないかと思っているんです。
感覚的には「消えたい」のだけど、それを表す言葉が見つからず「死にたい」と訴えてるケースが多いのかな?と。
少し一般論に話を広げてみます。
「死にたい」という気持ちになるのは、今の苦痛、絶望、怖れ、不安から逃れたい気持ちの表れだと思うんです。
「生きていてもしょうがない」と思わざるを得ない心理的状況にあるわけです。
どういうときにそういう感情になるかと言えば人それぞれですから比べることはできませんが、「生きていることが苦しい」ので、「死んで楽になりたい」と思うわけです。
一般的にこの気持ちは「自立の自立の先」に出てきます。
頑張りすぎ、抱え込みすぎていて、自分で何とかしなければならない、という思いの中でもがき続けていて、それでもどうしようもない、道が拓けない、ただただ苦しいだけ、という絶望の中で、そこから逃れる方法は「死」しかない、という思いに至ります。
そうした絶望は「デッドゾーン」と心理学では表現します。
まさに「死の領域」にいるわけで、その中から「死の誘惑」が出てきます。
つまり「死にたい」というのは「死の誘惑」という意味でとらえるものです。
心理学的に見るとこの「死の誘惑」はほんとうの「死」が求められているのではなく、古いエゴや観念が「死」に面しているわけで、真実は「生まれ変わりのサイン」です。
つまり、「死」が求められているのではなく「再誕生」の機会なのです。
ただ、今の自分の中には再誕生の方法も光も見えず、ただただ暗闇をさ迷っている“孤独な状態”で、それゆえ、「今の自分の中には答えがない」のです。
だからこそ、ここは誰かに助けを求めることが重要なのですが、自立の自立の人にとってはそんな発想も浮かびませんから、自ら本当の死を選んでしまうことも珍しくないわけです。
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一方で「消えたい」という思いについては少しニュアンスが変わってきます。
自分の存在が迷惑である(罪悪感)、自分のことなんて誰も必要としてくれない(無価値感)、役に立てない自分は不要である(無力感)、今のまんま生きていても意味がない(無意味感)、自分の存在が嫌でしょうがない(自己嫌悪)、自分という存在が恥ずかしくてしょうがない(羞恥心)、日々が退屈で何も面白くない(退屈さ)、などの状態です。
「今の状況から逃れたい」という思いは似ているのですが、実際に「死にたいか?」と問われると、「大切な人や周りの人に迷惑をかけてしまうから、存在そのものが消えてなくなればいいと思う」という風に感じるものです。
そういう意味では自立的なマインドの他に、依存的な要素も少し見え隠れしているのが特徴かと思います。(依存が悪いという意味では受け取らないように!!)
つまり、女性性が豊かな方は「死にたい」よりも「消えたい」と思う方が大きいと思います。
大雑把にまとめれば「死にたい」は男性性の発言で、「消えたい」は女性性という解釈が成り立つかと思います。
なので、思春期の頃に発せられる「死にたい」は、「消えたい」の意味を多分に含んでいることが多いものですし、もう少し掘り下げるとその「死にたい」は周りの人に対する復讐心を含んでいることも多いかと思います。
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したがって「消えたい」という思いが出てきたら、その裏側にある感情に目を向けていくものです。
先ほど( )内にそれぞれの感情を記しましたが、「消えたい」気持ちを作っている感情と向き合っていくのです。
例えば、無意味感が「消えたい」という気持ちを作っているならば、自分自身に意味を見出すことが目標となります。
なぜ、無意味感を抱えるようになったのか?
それには無意味感について理解を深めることも役に立つでしょう。
「自分の存在に意味を感じない」と思うのであれば、おそらく、それまでの生き方の中で「意味」を見出そうとしてきた時代があるということです。
この「自分の存在や自分の人生に意味を感じる」のは、あなたにとってどんなシーンでしょうか?
誰かの役に立った、誰かを喜ばせることができたときでしょうか?
自分が愛されていることを深く実感できたときに感じるものでしょうか?
似てますが、自分が必要とされてると感じられときでしょうか?
何かを成し遂げたときにそう感じると思われますか?
例えば、「自分は誰かの役に立ちたい、誰かを笑顔にしたい」という思いを持っていて、そのために頑張ってきたのに、その思いは残念ながら失敗に終わってしまった、と絶望してしまったのであれば、「自分の存在なんて意味がねーよ」と思ってしまうでしょう。
だったら、自分なんていなくてもいいじゃん、消えてなくなればいいじゃん、という風に思うわけです。
でも、ほんとうに失敗だったのか?あるいは、なぜ失敗してしまったのか?自分にはその力がほんとうになかったのか?という検討をしてみるとまた違う答えと出会えるものです。
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また、「消えたい」という思いの裏には別の意味を持っていることもあります。
それは「自分の力を知っている」という思いでして、まあ、これを聞いて「なるほど!」と思われる方はおそらくほとんどいないばかりか、「えー、そんなことないよー!」とブーイングが巻き起こりそうな話なのですけど。
誰かの役に立ちたい思いを強く持っていて、それができることを(無意識に)知っているからこそ、それが成し遂げられないと思ったときに失敗感がやってきて「消えたい」と思う。
愛されるにふさわしい存在だと思っているからこそ、愛されてないと感じたときに消えていなくなりたくなる。
必要されるだけの存在だと無意識に分かっているからこそ、必要とされてないと感じたときにすごくショックを受けて消えたくなる。
何かを成し遂げられることを知っているからこそ、それができない自分が許せず、消えたくなる。
つまり、裏を返せば、自分の力を知っているからこそ、それが失敗したときに絶望し、消えたくなるんです。
とはいえ、消えたいなんて思ってるときにそんなことを言われたって余計にむなしくなって、消えたい気持ちが倍増してしまうと思うんですけどね。仕組み的にはそういうことよ、という話にしといてください。
まあ、この力というのを言い換えれば「セクシャリティ」ということなのですけど。
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これは「死にたい」も同じような意味を持ちます。
そうした思いの裏には豊かなセクシャリティの抑圧が実は問題なのです。
「生命力」であり、「性的魅力」である、セクシャリティです。
ちなみにPMSやPMDDがひどいというのもこのセクシャリティと大いに関係があると言われているものです。
消えたい、と思うのも、女性性やセクシャリティの抑圧が絡んでいる可能性が考えられます。
「自分を消したい」わけですから、ほんとうは自分の存在意義を感じているのです。
それが認められない、感じられないだけで。
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難しい話になるかもしれますが、興味ある方はお付き合いください。
何らかの事情によりセクシャリティを抑圧していたり、否定してたり、あるいは、違う方向にそのセクシャリティを使っていたりすると、やっぱ違和感を覚えるものです。
よくうちのブログでも「自分のセクシャリティを怖れる」とか「自分自身の能力を怖れる」という話をしています。
「本気出したら地球を割っちまうと思ってるでしょ?」みたいな感じで。
また、何らかのトラウマや家族関係により、その豊かなセクシャリティを封印して生きてる方もいらっしゃいます。
そうすると「生きてる!!!」という感覚は得られなくなり、惰性で生きている、流されて生きている、自分の人生を自分で決められない、という状態になります。
そんなの虚しいですよね?
どんだけ世間的な評価を得ても面白くないですよね?
また、そのセクシャリティを競争や犠牲、我慢に使ってしまっているのなら、そりゃ、しんどいし、燃え尽きるよね?
やっぱ虚しいですよね?
そうした“自分らしくない”セクシャリティの使い方をしてしまっている場合も、「消えたい」「死にたい」という思いを感じやすくなります。
だから、めちゃくちゃ頑張って何かを成し遂げようとしても、なんか空回りをしていたり、全然うまくいかなかったり、仮にうまくいってもうれしくなかったりするならば、「生きてる意味ってなに?自分ってそもそもなに?」という疑問を持ちやすくなると思いません?
だから、「消えたい」とか「死にたい」と思ってしまう裏には、自分のエネルギーを自分らしくない使い方をしていることを示唆しているのかもしれません。
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「消えたい」にしても「死にたい」にしても、「自分が変わる」ということが求められているわけです。
「再誕生」のチャンスなんです、実は。
そこには無理のないことだったんだけど、ボタンの掛け違いがあり、どこかで自分らしくない生き方を選んでしまっていることが想定されますから、勇気を出してそこに向き合っていくことが解決のプロセスになるものです。
まあ、要するに「自分らしい生き方ってなに?」というわけで、“ライフワーク”にもっと着目していきましょう!という提案ってことですね。(いつもと一緒だ!とか言わないように!!笑)
このプロセスってある意味、自分が自分に対してしている誤解を解いていくことでもあります。
女王様なのに奴隷をしてる、とか。
姫なのに修道女をやってる、とか。
女性性が優位なのに、男性性で生きてる、とか。
魅力や価値がいっぱいあるのに、全然受け取ってない、とか。
愛されているのに、全然そう思えてない、とか。
与えたい人なのに、犠牲ばかりしている、とか。
でも、そのやり方を貫いてきて、意地を張ったり、プライドが邪魔したり、他人軸だったり、長年の習慣だったり、気力が湧かなかったり、拗ねていたり、絶賛反抗期だったりすると、なかなか分かっていてもやり方を変えようとは思えません。
意識上は「変わらなきゃ」と思っていても、潜在意識が「やだ」と言ってることもあります。
だからここは敢えてじっくり取り組むことが求められるものです。
それに、、、ちょっと専門的な分野なのかな、と思いますので、やはりここは信頼できるカウンセラーに相談するのが一番良いと思うのです。
ひとりで頑張ってきたからこうなってるわけで、、、白旗、あげません???
●3人の自立系武闘派女子が自分と向き合って幸せになっていく物語。
「ひとりで生きちゃう武闘派女子が頼って甘えて幸せになる50のトレーニング: 「頑張らないこと」を頑張りたいあなたへ」(小学館)
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