なぜ、神様はあなたの前にそのような状況を用意したの?



自分にとっては良くない状況であっても後から振り返ればいい経験、学びをしたってことってありますよね?
もし、今の状況を神様が愛をもって与えてくれているのだとしたらなぜなのか?何を学ばせようとしているのか?という視点を持つことで得られるものって多いと思うんです。

リトリートセミナーも三日目ともなれば潜在意識から無意識の深い層に入ってきてるのでひたすら怪しい話になってしまう。

その場にいればそのプロセスを一緒に体感できるから「頭ではよく分からんけど、感覚的には何となく分かる」という状態なのだけど、その部分だけを切り抜いてブログに描いてしまうと「根本さんって・・・そんな人だったの???見損なったわ!」と推しを辞めてしまう人が出てしまうリスクがあるので実は大変ヤバい話を今から書こうとしているのかもしれない。

さて、恋愛に行き詰まり、仕事も停滞気味で未来に希望を描けないような、そんなデッドゾーンみたいな状態において二進も三進もいかないときに、たぶんこんなことを言われたらふつうにムカついてしまうであろうと思う。

「なぜ、神様はあなたの前にそのような状況を用意したの?」

「なぜ、あなたを愛する神様は、あなたをそのような目に遭わせるの?」

「そこに愛があるとするならば、神様はあなたに何を学ばせようと、何を与えようとしているの?」

非常に細かい話なのだけど文末に注目していただきたい。

「用意したの?」「遭わせるの?」「与えようとしているの?」となっている。

「用意してくれたと思う?」
「遭わせているんだと思う?」
「与えようとしてるんだと思う?」

ではないのだ。

デッドゾーンにいなくても、この問いは難しく、厳しい。

依存的な人ならば思考を放棄してしまうほどに難解で、自立的な人ならば思考を思い切りぐるぐる回してしまっても答えが得られないことに驚愕するかもしれない。

こんな問い、直感以外で答えられるものではありません。

しかも、意地悪なカウンセラーである某氏は「えー、わかんなーい!」と可愛く言ったとて、この場面では「分かるまで考えてくれたらいいよ」と優しいのか冷たいのか分からない回答をしてしまう。

その人の直感から答えを導き出そうとするわけだから、私が介入するわけにはいかないのである。それは失礼だし、僭越である。

だから、ひたすら待つ。

そして、そこで浮かんできた答えが「自分の感覚にフィットするかどうかを確認した上で」、セッションの続きを作っていく。

「なんで彼氏が全然できないのだ!」
「なんでこうも何もかもがうまくいかないのだ!」
「なんで自分はこんな目に遭うんだ!」
「なんでこんなに頑張ってるのに報われないんだ!」

そう思う場面は人生に幾度も登場すると思う。

でも、そんな方の苦しみを分かった上で、敢えて問いたいと思う。

「なぜ、あなたを愛する神様は、あなたの前にそのような状況を耐えたのだろう?」

「それがもし神様からの“愛”であるならば、あなたは今の状況をどう解釈するのだろう?」

いつもならば、助け舟のつもりで「事例紹介」をする。
けれど、それは失礼であり、僭越であるので、このシーンでは行わない。

私はただじっと待つだけである。

とはいえ、私は信頼しているのである。

その人の中に必ず答えがあり、彼女はそれを見つけ出せるだけの力がある、と。

「視点」を変えればいいということは多くの人が知っているのだけど、だからと言って素直に「視点」を変えられる人はたいへん少ないと思っている。

「知っているけど、やらない」という人が大半だからである。

この「神様の目線」というのは新たなインスピレーションを与えてくれるのだけど、その目線に立ったことがないものだから、基本的に思考はパニックを起こす。

そのパニックも大変有意義なのだけど、それによって思考が機能しなくなって「直感」が働き始める。

それも狙いの一つと言えば確かにそうだ。

頑固になってしまっているときはこの目線(視点)をずらすことにも抵抗がある。
自分の中の思い込みで生きている状態だから、外からやってくるものを受け入れる余裕がなくなってしまっている。

でも、そうなっちまったものはしょうがないのだから、そこから和らげていくことを見ていくしかない。

だから、この問いは自分の心を少し素直にさせてくれるものになるかもしれない。

また、この問いは同時に「自己信頼」「自己受容」ができてないと難しいものだから、それすら推進させてくれる力があると思う。

内なる神を信じよ、というこは要するに、自分自身を信じなさい、ということだからである。

そう、基本的に私たちと神様は対等である。

宗教的には異論があるかもしれないが、心理的にはその視点に立つことができる。

そして、その神様は無条件に私たちを愛し、味方なのである。

そんな神様が自分のためを思って今の状況を用意してくれたとするならば、そこには大きな学びや成長があるはずなのである。

その答えは言語化できてなくても問題ない。

何となくこんな感じだろう、という程度で全然いい。

ただ、おそらく、その「こんな感じだろう」というのはネガティブな反応を引き起こし、強い抵抗を招くと思う。

だからこそ、素直さが大事。

素直に直感に従う。
素直に神様の声に従う。

これがまた難しいのだけど。

ただ、この問いを何度も自分に与え、そして、いくつかの答えが得られるとしたら最高な結果だと思う。

だから、ぜひ皆さんもこの問いを自分に与えてほしい。

案外答えが分からなくても、なぜか胸のあたりが温かくなってくることも多いからだ。
つまり、そのときあなたは「愛」を感じているのである。

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