「才能」は与えたときに開花する~与えているものを見れば「才能」が分かる~



リトリートセミナー中につき、特別バージョンでお届けしております。(ま、時間がないってことっす。)

2日目のリトリートセミナーは「つながり」がテーマでした。
よって、癒すべきテーマは必然的に「分離」になります。

あ、このテーマというのは予め決まっているものではなく、セッションを重ねることによって見えてくる「本日のお題」です。
意図的に分離を扱うわけではなく、フォーカスパーソンの問題が分離だったり、それに関するものだったりして、そんなセッションが不思議と続くことで「ああ、今日はつながりがテーマなんだなあ」と思わされるわけです。

で、「痛みを癒すと才能が開く」という基本原則があるわけで、「分離」を「つながり」によって癒すことでその奥に隠れていた才能が顔を出してきます。

でも、それはあくまで顔を覗かせるだけで、そのままでは自分も周りも「何となくは分かるけどはっきりとは認識できない」という状態になるんです。

だから「与える」ということをセッションに追加するんです。

そうすると別にそのフォーカスパーソンは「それが自分の才能である」ということを意識せず、というか、知らないまま「与える」んです。

すると面白いことに「場の空気が変わって行く」ということが起こります。

「すがすがしい神社のような」「慈悲深い」「安心できる安らかな」「暖かくて安定的な」そんなエネルギーが会場に広がっていきます。

これらは参加者からのコメントで、そのエネルギーをどう感じるかは人次第ですし、それをどう言語化するかも個人に委ねられるのですが、まあ、そんな感じの心地よいエネルギーが場を支配するようになり、そのエネルギーによってその場にいる私たちは癒されていくのです。

お陰で私は労働意欲を失ってしまいました。笑

でも、当のご本人にとってはそれが才能であるがゆえに、ごくごく自然なエネルギーです。
日々、当たり前のように接しているもので、何ら特別なものではありません。

だから、参加者から上記のようなコメントをもらっても「へえ、そうなんだ」くらいのもんです。

それが自分の才能、自分が発しているエネルギーを自覚しづらい理由でもあります。

でも、それくらい普段からそうしたエネルギーを発しているわけで、おそらく、彼女の周りの人たちはそうと気づかずに彼女に癒されてきたのだろうと思います。

そうして彼女の才能は「すがすがしい神社のように、慈悲深く、あたたかい安心感を与える」なんて風に表現できそうで、一言で言えば「包容力」みたいなものなのです。

そして、それは彼女が「与えたとき」にはっきりと認識されるわけです。

セッションでは才能を開くところにフォーカスするから分かりやすく出現するのですが、そうでなくても私たちは誰かに与えたときにその才能を発揮しています。

接客などの人と関わるお仕事をされてる方であれば「言われてみればなるほど」とすでに自覚されてるでしょうし、パートナーからよく褒められる言葉などにその一端が現れているとも思います。

例えば、彼氏から「なんか君と一緒にいると落ち着くんだよね」という言葉をもらっている方は、おそらく「女性性的な安心感」を与えているってことです。

でも、自分では「それってみんな女の子はそうじゃない?」と思うだろうし、その基準値も分からないものですから、とりあえず「ありがとう」と答えてスルーすることになると思います。

まさかそれが自分の持つ才能のひとつとまでは考えないですよね。

例えば、友達から「あんたと一緒にいるとなんか気分が軽くなるんだよねー」とよく言われる方は「相手の感情を昇華させてあげるヒーラー体質」だったり、「人の心を解放する力」だったりを持っているわけですが、それも「たまたま偶然」あるいは「みんなそうじゃないの?」的な受け止め方をしちゃうと思います。

つまり、私たちは意識せずともその才能を人に分け与えており、そして、相手はその才能によって何らかのポジティブな効果を得ているのですが、お互いにとってそれは当たり前のことすぎて意識できないのです。

つまり、「私たちは才能を自覚せず人に与えているけれど、それはあまりに自然なことなので、私たちはそれに気付けない」ってことですね。

だから、一番いいのは人に観察してもらうこと。

そして、そのためにも「与え続けること」が大事なんです。

とはいえ、「与える」と言っても、意識して何かを与えようとする必要はありません。というか意識してしまえば逆効果になりかねません。

ただ相手を喜ばせてあげたいな。
ただ相手を愛してあげたいな。

そんな意識で与えているだけで良いわけです。

そうするときっと誰かがあなたに伝えてくれます。

「なんか、あなたのサービスってとても居心地がいいのよね。安心するっていうか。とてもあたしに合ってる気がするわ」という風に。

リトリートセミナーでは意図的に「与える場」を作るので、それが明確になっていくんです。

でも、それを知ったところで特別なことをする必要はありません。

ただその才能を知っておくだけで大丈夫。

そして、そのことに自信を持てたらなおいいですし、それを自分の魅力として捉えられたらすごくいいですね。

ということで大変怪しい話になりましたけど、結局のところ私は「自分の心を開いて才能を与えたほうがより自分らしく、そして幸せに生きられる」というところを目指しているわけです。


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