ライフワークを見つけるにはただただ今の自分の気持ちに素直でいること。



ついライフワークってこうあるべきもの、とか、ライフワークって○○になるはず、みたいな定義づけや期待が渦巻くものですが、そういう思いが逆にライフワークを隠しちゃいます。
今ある自分の気持ちを素直に見つめ続けていくと「自分らしい幸せな生き方」の姿が浮かび上がってきます。

色々とガタが来ていて冬眠中の熊なみに過眠症なアラフィフ読者です。

自粛生活で人目が無くなってから外見のメンテナンスが回収不可能なレベルになっとるんですが、でもそれって他人軸じゃね?と放置しとります。

ダイエットなり美容なり「きれいになって愛されたい」が動機であることは動かしがたいっす。

愛されたい求められたい。
性的対象に思われ続けたい。
心をのぞくほどそんな身も蓋もない欲望を再確認します。

自分軸のライフワークを見つけて面白おかしく楽しい人生を送りたいのに、私と言う人間は掘れば掘るほど他人軸の愛欲の層が何層にも重なって、何日かけても何週間かけても、オリジナリティとか創造性とか、そういうピュアなエネルギーが見えんとです。

まずは欲望を認めてそれらの欲求に寄り添って場合によっては少し満たしてあげたりして、気長に心の洞窟探検をしてればいつか「人は関係ない。誰に愛されなくても、認められなくても私はこれがしたい!」と言うのが見つかるのでしょうか…?
(Yさん)

このところのマスク生活&ステーホームによってYさんのように“回収不可能なレベル”に達してしまい、諦めるか、そこから気合一発復活を狙うかの選択に迷っている方々が多いと聞いております。

特に腹回りがヤバいとか、スキンケア手抜き過ぎとか、かわいい服しばらく買ってないとか、いろいろと事件を耳にしますね。

けど、まあ、それまで無理して頑張ってた人にとってはある意味それが自然体なのかもしれませんねー。

メイクにしても、可愛い服にしても、「自分が好きだから」という主体的な理由もある一方で、「人にどう思われるか?」という他人軸的視点も大いにあると思うのです。

「人に変に思われないためにメイク頑張ってた」という人は、人に会わなくていい生活になればメイク頑張らなくなりますよね。

だから、そこに気付ければいいと思うんです。

ああ、あたしにとってそれはあんまり重要じゃなかったんだな、と。

しかも、冬眠中の熊であればそんな外見とか気にしないですよね?笑
だから、それが自然なのかもしれないっすよ、という話です。

さて、ライフワークを見つけるでー!!!という話なんですが、やはりそのベースには自己肯定感というものがありまして、自己否定だとか、こうすべきという考え方や、ライフワークとはこういうもんという定義づけがあるとけっこう迷子になりやすいものですね。

カウンセリングでもやっぱり同じような話になるんです。

そこでは「ライフワークってのはこういうもんだ」という定義づけをしていて、「こういうもん」が見つからないので焦ってしまったり。

「ライフワークを見つけるとこんなワクワクできるはず!」という期待をしていて、「でも、そんなもんはない」と思ってしまったり。

あるいは「ライフワークはすごいもんだ」と期待しすぎてしまい、自分の好きなものがちっぽけに思えたり。

だから、「今あるものしかないんだから、それをちゃんと受け入れていくことが大事ですよねー」という話をするんです。

ライフワークに何らかの期待を抱いていると、ついつい今あるものを否定してしまいます。

今を肯定することの先にライフワークはあると思っているので、だから、今あるものをちゃんと肯定してあげましょうね、というわけです。

例えば、Yさんの言葉の揚げ足を取ってみることにしましょう。

>自分軸のライフワークを見つけて面白おかしく楽しい人生を送りたいのに、私と言う人間は掘れば掘るほど他人軸の愛欲の層が何層にも重なって、何日かけても何週間かけても、オリジナリティとか創造性とか、そういうピュアなエネルギーが見えんとです。

ここから気付けることってたくさんあるんです。

「自分はライフワークってのは面白おかしく楽しい人生を作ってくれるものだと思っているんだなあ」

「私という人間はどうやら愛欲を求める気持ちが強いんだなあ」

「私は愛欲ってのはダメだし、他人軸なものと思っているんだなあ」

「ライフワークってのはオリジナリティとか創造性に溢れたピュアなものなんだなあ」

「私は愛欲ってのはピュアなものとは思っていないんだなあ」

「他人軸ってのはよくなくて、自分軸じゃなきゃだめなんだなあ」

文章にするのっていいですよね。
主観的な思いを、客観的に眺めることができますから。

で、今の自分の心を覗いたときに

>「きれいになって愛されたい」
>愛されたい求められたい。
>性的対象に思われ続けたい。

という気持ちがあるじゃないですか。

で、あるもんはあるのでそれを受け入れるしかないわけですね。
あるものを否定して「ない!」ことにしようとしても無理があるわけです。

だから、「ああ、あたしはきれいになって愛されたい女なんだなあ」ということをただ肯定してあげることが大事なのですね。

女として愛されたい、とか、性的対象に思われ続けたい、という思いも、そう思っちまうんだからしゃあないやんけー!というわけです。

で、確かにその表現は「~されたい」という受け身表現なんですけど、じゃあ、それが「他人軸」なのか?というと、実はそれだけでは判断できないんですよ。

他人軸って受け身言葉もあるけれど、そもそも主語が他人なんですよね。

「私は愛されたい」
「私は求められたい」
「私は性的対象に思われ続けたい」

ですよね?

私がそう思ってるんだから、それは自分軸でいいんじゃないでしょうか?

これが他人軸になるってことは主語が「彼」「男の人」とかになる場合です。
「彼が私を愛してくれない」とか「男は私を性的対象に見てくれる」とか、ね。

Yさんの場合はそれが主語なんだから別にそれはアリなんだと思います。

そもそもそういう気持ちがあるんだから、それを否定したって始まらないんです。

また、よくあるのがライフワークってのがすごく崇高で高尚で立派なものだと期待しすぎていて、自分の感情を否定してしまうことなんです。

愛欲は崇高で高尚で立派でピュアなものじゃないから、それはダメなんだ!と。

誰がそれを決めたの?という話なんです。

例えば「私は男の人がつい求めたくなるような、そんな性的魅力にあふれた女でいる」のどこがダメなんでしょうか?

それもまたライフワークの一つじゃないの?と思うんです。

この辺は私たちの中にある「性的なものってちょっとタブーだよね?」という思い込みがなせる業かもしれませんねー。

セクシャリティを封印しちゃうのも性的なものをタブー視してしまうからかもしれません。

ライフワークのカウンセリングをしていると、自分にとって男女関係が人生の中心にあり、性(セクシャリティ)が非常に重要なものであることに気づかれる方って意外に多いのですよ。

 いくつになっても女でいたい。
 お互い深く愛し合うセックスがしたい。
 いつまでも女として求められたい。

そういう思いのどこがダメなのでしょうね?笑

それを認めたら、やはり常に女でいられるように自分をきれいにしようと思うでしょうし、深く愛し合えるように日々の自主トレを欠かさなくなるでしょうし、男が求めたくなるような色香を漂わせようと意識するでしょう。

そうした意識が自分をより魅力的にしてくれると思いませんか?

Yさんや共感される女子のみなさんはちょっとイメージを膨らませてみてほしいんです。

「きれいだね」と言われる自分。
そのとき、自分はどう感じるだろうか?

男の人に求められ、耳元で「愛してる」と言われる自分。
そのとき、自分はどうなっているんだろうか?

その彼とのセックスってどんなものなのだろう?
そのとき、自分は何を感じ、どう思い、どうなっているのだどう・

そんな自分ってふだんからどんな表情で生活しているのだろう?
どんな風に朝目覚め、一日を始めるのだろう?
シャワーを浴びたらどんなメイクをし、どんな服を選ぶのだろう?

そんな毎日が当たり前だとしたら、自分が醸し出す雰囲気ってどんなだろう?
どんな話し方をしているのだろう?

そんなヴィジョンをリアルにありありと感じてみてください。

そんな日々に思わずきゅんとしてワクワクドキドキしちゃうんだったら、それがあなたのライフワークじゃないですか?と言っちゃうんですよね。

ライフワークって「自分らしい幸せな生き方」のこと。

自分が何に幸せを感じるかは人それぞれです。

自分らしさというのはそれこそ他人の目を気にしてやっていることのすべてを削ぎ落すと見えてくるものです。

それは自分自身に徹底的に素直になることですし、正直でいることです。

「私はそういう女なんだよね」とすべてを受け入れることなんです。

よいとか悪いとかではなく、私はこれが好き、これが嫌い、と認めていくことなのです。

そう言えば、カウンセリングの連続コースを受けてるある女子は1年前は「セックスはあんまり好きじゃない」と言ってたのに、今では「セックスが好き」と認められるようになってましたね。

ついでに「あたしは変人なのかもしれない」と(若干の抵抗を覚えながらも)認められるようになりましたね。笑

その分だけ自然体で楽でなんだかんだ心が軽い日々を過ごせているようです。

Yさんにとっても愛欲も欲望も一切否定せず、だってそれが欲しいんだもん、大事なんだもん、それがあたしなんだもん、と思っていれば良いと思います。

案外それがライフワークだったりするし、素の自分が幸せを感じられるものだったりするからです。

何となく伝わりました?
何が正しいとか、どうあるべきか?とかではなく、ただ自分の気持ちを素直に認め続けていれば

>「人は関係ない。誰に愛されなくても、認められなくても私はこれがしたい!」

というのは見つかるものと思うのです。

★ライフワーク本&セミナー動画

「つい「他人軸」になるあなたが7日間で自分らしい生き方を見つける方法」(あさ出版)

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