自分や相手を俯瞰してみる意識の置き方について~自分軸の構築の仕方~



「自分軸であること」という話を説明するときに、こんな図をノートやホワイトボードに書いて説明しています。

対人関係やモノに対して1対1で向き合うときに「自分」という「意識」がひとつになってしまっているので、振り回されたり、自己中心的になってしまったり、攻撃したりしてしまいます。
自分のいる世界しか“見る”ことができないために、どうしても主観的になってしまうんです。

相手のことを受け入れる余裕もなければ、自分自身の状態を意識することも難しい状態です。

子どもの頃や、大人になっても何かトラブルが起きたときなどはこんな状態になっていることが多いと思います。

視野が狭くなり、余裕がなくなっている状態ですから、どうしたって「他人軸」にもなりやすいものです。

そこで「意識」を切り離して、対象との間に持って行くようにします。
こんな感じです。

自分を自分が観察し、自分が対象を観察している客観的視点を持った状態です。

例えば、ラグビーやサッカーの試合を1プレイヤーとして試合をしているのが先の図の状態だとすれば、その試合をスタンドで観戦している状態がこの図と言えるでしょう。状況がよく見えます。

ただし、その試合と違うのは、決して「意識」と「自分・私(感情、思考)」が分離しているわけではないこと。

想像しにくいかもしれませんが、グラウンドでプレイしつつ、同時にスタンドで全体像を見ている状態です。
いわば、プレイングマネージャーのような存在でしょうか。

実際、名プレーヤーと呼ばれる人たちは、グラウンドでプレイをしながらも全体を見渡せてパスを出すことができるんですよね。

この「自分」と「意識」が分離してしまうと、その名の通り「分離感」が生まれて、寂しさや孤独感などを感じることになります。
自分自身とつながりつつ、自分のことを客観視できる状態を目指すのが「自分軸」と言えるんです。

そこでは「自分」というものと「対象」となるものを対等に見ることができます。

「私は今、彼の言動に怒っていて、不信感を覚えているんだな。」
「でも、彼も悪気があるわけじゃなく、仕事が忙しくてなかなか自分のスケジュールもままならないらしい。」
「そうは言ってもあたしだって一人の女だから、そういう扱いをされるのは悔しいし、惨めだ。彼にびしっと言った方がいいだろう」
「彼は彼で相当罪悪感を抱えているみたいだな。それは私に愛情を感じてる証拠だって某カウンセラーが言うてたな。ほんまかいな。」
「とりあえず、感謝を伝えつつ、正直な気持ちを伝えることにしよう。その時は感情的にならずに『私は』という主語を大事にした方がいいな」

そうすると自分の気持ちを受け入れつつ、理解しつつ、相手のことも考えつつ、理解しつつ、その上で、どうしたらいいのか?を考え、相手のことも気遣って行動できるようになるでしょう。

さて、こういう話をすると、特に「情熱系武闘派女子」と呼ばれる過激派からは、「あんたの言うてることは分かったし、それがいいっちゅうことくらい、あっしらだって百も承知や。でもな、分かっててもできひんねや。どないしろっちゅうねん!」というクレームが入ることが多いんですけど、ここで大事なのは「コミュニケーション」というのはスキルである、ということ。
磨くことができるし、成長させることもできるし、どんどん変化させることができるものです。
料理や車の運転や楽器の演奏やサーフィンなどと同じ。
持って生まれたセンスもありますが、それなりに上達していくことができるものです。

で、情熱系の方々はその自らが発する膨大な熱量によって自爆したり、自己融解したりする特技をお持ちなわけですけれど、そこで問題なのが「意識と感情が一体となってしまってる(最初の図)ので、そこで激しいケンカが起きてしまってる」ということなんです。

感情が暴走する、思考がそんな自分を攻撃する、感情がさらに爆発する、思考がさらに強くそれを否定する、の繰り返しになり、いわゆる「内戦状態」になっちまうわけですね。

「なんか、彼の態度、やっぱりムカつくんだよね。もっとあたしのことを大事にしてくれてもいいのに」
「そうは言ったって、彼だって忙しいんだし、そもそもマメな人じゃないんだからあまり期待しない方がいいよ」
「だからってひどいと思わない?あたしのこと、都合よく扱い過ぎ!ほんまムカつく!」
「そうやって感情的になるから余計に相手はビビるじゃないの。こないだだってあんたは軽いジャブのつもりだったみたいだけど、相手は思い切りフリーズしてたじゃん」
「あれだって必死に制御したんだよ!ていうか、あんたのその冷静な態度にもムカつくんだけど?もっと味方になってくれてもいいじゃない」
「は?どれだけあんたのこと考えてやってると思ってるのよ。そんなんだからまた男に逃げられちゃうんだよ」

ね?こんな脳内会話、日々繰り返されていませんか?(もちろん、ここでの表現はブログで公開できるように100倍に希釈したものを使用しております)

そこで「意識」と「私」を分離させてみます。

どうやるのか???

一番分かりやすい方法は「実況中継してみる」です。
スポーツの実況風にしてもいいですし、ナレーション風にしてもいいです。
今日はナレーション風にお届けしましょう。(実況中継風は本を見てもらうと良いです。>『人のために頑張りすぎて疲れたときに読む本』(大和書房))

「マメに連絡してこないし、約束も急に反故にされるし、不義理を働く彼にムカついてる私がいる。それを無理ないって理解しようとする私もいるし、嫌われるのが怖くて何も言えない私もいる。でも、“私”は情熱の女だから、感情が暴走しそうになるのも無理はない。寂しがりやだし、甘えん坊だし、自立している強い女のように見せていながらも弱いところがあるからだ。そんな自分を受け入れてほしいんだけど、それを期待するとまた痛い目に遭うんじゃないかと思っていて、どうしていいのか分からない。それも無理ないよね。」

起きていることをただ俯瞰して見つめる、ということです。

まあ、ここまで冷静になるには感情が鎮まった後じゃないと難しいかもしれませんが(それでもOKです)、自分をできるだけ俯瞰しようとする試みもまた自分軸を確立していくために役立つものです。

そして、お気付きでしょうか?先ほどの「感情vs思考」のやり取りと、その後の「俯瞰してる状態」の違い。

それは「自分を俯瞰してみる」(意識が自分を見る)ときに、否定がない、ということなんです。
すなわち、自己肯定感です。

私はよくこんな提案をしています。

「親しい友達に接するように自分と接する」
「可愛がってる後輩に接するように自分と接する」

否定をせずに、理解して、受容する、自己肯定の姿勢です。

そして、これが「自分と仲直りする」といつもお話していることにもつながります。

また、イメージワークなどで「鏡の瞑想」と言う、自分自身を鏡に映し出すセッションをするのもこれを目指しているんです。

決して冷静沈着になり、批判的に厳しく自分を見るわけではありません。
ただ自分を受け入れ、相手を受け入れる、女神さまのような目で自分を見ることを目指します。
だから、この「意識」というのは磨かれていくと「ハイアーマインド/ハイアーセルフ」と呼ばれる「内なる神」になっていくんです。

そういう意味で、このレッスンには日記をつけてみることが効果的かもしれません。
あるいは、瞑想する時間を作り、自分を見つめる時間を作ることも役立つでしょう。
私はじっとできない性格なので、街中やマシンの上を走ることでそんな境地に達しようとしています。

★自分を許し、自己肯定感をあげたい!!と思ったら、ぜひ!!

『自己肯定感をあげる3daysプログラム』

名古屋:10/19(土)、11/16(土)、12/15(日)
大阪:10/20(日)、11/17(日)、12/14(土)

※東京は来年早々を予定しています。

https://nemotohiroyuki.jp/event-cat/31475


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