罪悪感がなぜ手放せないか?~愛でつながれないときに罪悪感でつながろうとする心理~



昨日「自分を許す」という話を書いたのですが、その途中、今日のテーマが浮かびました。

罪悪感の講演会を現在、大阪と神戸で開催してきたのですが、その両方の会場で複数の方から同じ質問を頂きました。

「元カレ(元旦那)への罪悪感を手放そうと思ってもなかなかできない」

具体的にどんな悪事を働いたのかは(怖くて)お聞きしていないのですが、「ああ、そういうことってあるよね~」というお話をしていました。

すでにタイトルに書いちゃってるわけですが、私たちは「愛」でつながれなかったときに「罪悪感」でつながろうとする心理があるんです。

とはいえ、これは「罪悪感」だけではなく、恨み辛み、憎しみ、嫉妬、不信感などの場合もありますし、たいていはごっちゃになってます。

とはいえ、恨み辛み、憎しみ、嫉妬、不信感などもその感情を持っているだけで罪悪感を作り出してしまうので、同じっちゃ同じことなんですけれど。

大好きな人とつながりたいって皆さん、思いますよね。

でも、残念ながらその相手とはうまく行かなかったとします。

それは失恋って場合もあるし、相手が野良猫男子でなかなかしっぽを掴ませない場合もあるし、あるいは、ロックマン氏の分厚い鋼鉄の防御を破れなかった場合もあるでしょう。

その時、私たちはその人のことを好きでいること/愛することが辛くなってしまいます。

好きだけど、報われない。
愛しているけれど、結ばれない。

そんな状況が苦しいので「好きじゃない」「愛してない」状態になりたいと思います。

これは意識~潜在意識の浅いところで起きる現象です。

それと同時に私たちは「うまくいかなかったことの原因探し」を行うものです。

その原因が分かればホッとするし、諦めも付くだろう、との算段からです。

その原因は様々なものが思い浮かぶわけですが、その中には「私があんなことをしたせいでうまくいかなかった」「私がもっとこうしてあげていたらうまく行ったはず」なんて思いが出てきます。

具体的には「もっと優しくしてあげたらよかった」「あのときもっと一緒にいてあげればよかった」「感情的になってあんなひどいことをしなきゃよかった」「一時の不満から浮気なんてしなきゃよかった」みたいな感じです。

これは「後悔」という形を採っていますが、感情的に見れば「罪悪感」ですね。

そして、そんな自分を責め続けます。
「なんで、あの時見捨てるようなことをしたんだろう?」
「なんで、彼を裏切るようなことをしてしまったんだろう?」
という風に。

これは自分を責めている状態で、相手には何も求めていないので、そういう意味では苦しくない(つまり、楽)なんです。

求めても手に入らないものを求めるのは苦しみよりも、自分を責める苦しみの方がいいと思ってしまうわけですね。

なぜかというと、すでに自分を責めることは癖になっていて、日常的に行われているものだからかもしれません。

ところが、そうして罪悪感から自分を責めている間は「彼のことを忘れずに済む」わけです。

彼のことを堂々と考え続けることができるのです。

いわば、彼のことを思い出しながら自分にナイフを突き立ててるような状態です。
(まあ、そういう意味から私はこの状態を「マスターベーション」と呼ぶこともあるんですね)

これが「愛でつながれないときに、罪悪感でつながろうとする」という意味です。

「愛」を感じると、相手を求めてしまうから、とてつもなく苦しい。だから、罪悪感で自分を責めながら彼を心の中にとどめておこう、というわけです。

私たちの心はこんな複雑なことをしてしまうんですね。

もちろん、これはパートナーシップに限らず、大切な人を亡くした方、重要なビジネスを失った方、あるいは、お金を使い過ぎてしまったケースなどでも生まれてくるパターンです。

彼を忘れたくないために、罪悪感を必要としているのであれば、その罪悪感は手放せないことは分かるでしょう?

むしろ、手放したくない、わけです。

言い換えれば、自分を許したくない、わけです。

ただ、ここには「愛」に関する誤解がひとつ含まれています。

ほんとうは「愛」は苦しくないんです。
「好き」でいることは苦しくないんです。

皆さんも「好きな人がいるだけで幸せ」と感じた経験ありませんか?

純粋なその思いは喜びや幸せをもたらしてくれるだけで、苦しみを与えるものではありません。

でも、「愛=苦しみ」という風に多くの方が捉えてしまっているのは、実は「愛してる/好きだ」の思いに、ついつい「一緒にいたい」「手に入れたい」「自分のものにしたい」などの「欲」が出てくるからです。

つまり、愛が苦しいのではなく、欲が苦しいのです。

だから、大切な人を失ったときにすべきなのは「愛することを辞める」「好きじゃないようにする(=嫌いになる)」のではなく、「その欲を手放す」ということなんです。

ところが、愛情に欲が付いて回るように感じているので、私たちは愛する人を嫌いになろうとし、けれど、忘れたくないし、忘れられないから、罪悪感でその人とつながっておこうとするんです。

これが冒頭の「元カレへの罪悪感を手放したいのに手放せない」という問題につながってくるのです。

じゃあ、どうすればいいのでしょう?

私のセッションを受けると、そんな話を一通り聞いた後(ちゃんとどんな悪事を働いたかも聞きますよ!笑)、「まあ、まだ好きなんだよね~」なんて言うわけです。

その上で、「じゃあ、彼にさ、もう一度、ラブレター書いてみてよ」なんて宿題を出したりするわけです。
リトリートや1DAYならば、彼役の人を選んで告白させちゃうようなロールプレイセッションなんかをしちゃうわけです。

もちろん、そこで発せられる「鬼!ドS!」という言葉は最大の賞賛として受け取ることにしています(笑)

愛がこじれて罪悪感になっているならば、もう一度、愛に戻りましょう!というわけです。

そして、再び、愛を感じたのちに、手放す、のです。

それは愛ではなく、欲を手放します。

純粋に愛とつながることができれば、罪悪感はもちろん、その欲も出てこなくなります。

そもそも「手放し」とは「好きなまま離れる/愛を感じたまま距離を取る」という意味です。
だから、私の手放しワークでは「感謝」や「愛情表現」は付きものなんですよね。

〇セミナー:東京:7/6(土)13:00-16:00
「本気の手放しワーク。」
https://nemotohiroyuki.jp/event-cat/30661

〇DVD:『本気の手放しワーク』
https://nemotohiroyuki.jp/schedule-cat/27607

その一方で、そもそも「罪悪感で自分を責めることが癖になっている」というところが問題でもあるんです。

何かと自分のせいにしてしまい、その問題を背負い、一人で重たい思いを抱えてしまう癖はありませんか?

補償行為(犠牲)ばかりしていて、ちっとも自分の幸せを選ぼうとしない自分に気付いていますか?

そして、そんな罪悪感を使ってでも彼のことを忘れたくないくらい深い愛を持っていることに気付いていますか?

「片想いでいいじゃないですか。好きな人、愛する人がいるって幸せだよね」
そういう思いに至れたら、ものすごく楽になれると思いませんか?

罪悪感ではなく愛を選ぶ。

そんな風にありたいですよね。早速、今日から意識してみませんか。

『いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本』

出版社: ディスカヴァー・トゥエンティワン

1,512円(1,400円+税)


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