罪悪感の7つのタイプ



罪悪感について本にも書きましたが、ブログにも残しておきたいと思って今日のネタにしてみたいと思います。

・・・というか、昨日発売になってからいろんな方がシェアしてくださったり、感想を送って下さったり、昨日は大阪での講演会でしたので、すっかり頭の中が罪悪感モードですので、ご容赦くださいませ。

罪悪感には7つのタイプがあると考えています。
今日はその7つをご紹介したいと思います。

(1)加害者の心理

罪悪感と言えばコレ!というくらい分かりやすく、かつ、意識しやすい感情です。
「自分が相手を傷つけてしまった」とか「迷惑を掛けてしまった」とか「困らせてしまった」と言った、自分が何かをしたことによって生まれる罪悪感です。

彼女を振った、ひどいことを言った、誘いを断った、ミスをして迷惑をかけた、意地悪をした、いじめた、暴力を振るった、裏切った、嘘をついた、等々様々な場面で出くわすものです。

罪悪感の特徴として「正当化」というものがあり、そうした行為も「仕方がなかった」「そうするほかなかった」「相手が悪い」「自分は正義だ」等々の“言い訳”も多用されるのですが、私たちの「良心」はそこで確実に罪悪感を覚えているものです。

これはとても分かりやすいですね。

(2)無力感という名の罪悪感

これもまだ意識しやすい罪悪感だと思います。
「役に立てなかった」「助けられなかった」「力になれなかった」という感情で、これもまた日常のあらゆる面で生まれてくるものです。

職業柄、人に与える仕事をされてる方などは頻繁に感じるものですし、我々カウンセラーにとってもまた常に側にいる感情と言えます。

この罪悪感は実は誰もが持つものです。
もうすっかり忘れてしまったかもしれませんが、子どもたちは大好きな両親を笑顔にしたくていろんなことを頑張ってきました。
でも、残念ながらそのミッションの多くは失敗に終わり、両親のことを愛する分だけ罪悪感を抱えます。

もし、あなたの両親が子ども時代、あまり仲良くなかったり、怒鳴り散らしていたり、お金や仕事の問題を抱えていたり、愚痴を言っていたり、アルコールに依存していたり、浮気で揉めていたり、すなわち、幸せそうでなかった場合、誰もがこの罪悪感を持っていると言えます。

この罪悪感が強い人ほど、大人になってからも助けを必要な人ばかりと付き合うようになったり、仕事を背負い込んだりしてしんどい思いをすることになります。

武闘派と呼ばれる方々はきっとこの思いは強いだろうと思います。

(3)何もしなかった罪悪感

(1)の加害者の心理の対極に存在するのがこの罪悪感で、何もしなかったゆえに誰もがあなたを責めることをせずに、自分ひとりで自分を罰し続ける感情です。

「あの時ひとこと声をかけていればこんなひどいことにはならなかった」
「あそこで手を貸していれば、こんなトラブルにならなかった」

そんな思いを抱いたこと、少なからずありませんか?
この、大きな後悔を伴うできごとは大きな罪悪感として心の中に存在し続けます。

「もし~していたら」という仮定の思いは自分の中にだけ存在するので、外側からはそれが見えません。
仮に誰かにその心の内を相談しても、多くの人が「別にあなたが悪いわけじゃない」と慰めてくれるので、その自己攻撃から抜け出せないのです。

「誰かが叱ってくれたらいいのに」と思わせる罪悪感でもあります。

(4)恵まれていることへの罪悪感

これもまた意識し辛い罪悪感でしょう。
家がお金持ちだった、人よりスタイルがよく美人である、頭が良くてクラスでトップの成績を収めてた、学歴がある、周りが羨む会社に勤めている、パートナーがとても素敵な人などなど、自分が何かをなし得たというよりも、「たまたま運が良かっただけ」という場合に生まれます。

例えば、大きな災害があって亡くなった方がたくさん出た場合、生き残った方々に生まれるのがこの感情でもあります。

友だちとお茶をしていて自分にだけ彼氏がいる場合にも、同期の中で自分がいち早く昇格した場合にも、この感情は生まれるものです。

人に対して「引け目」を感じたり、「申し訳ない」と感じたりすることで気が付くことができます。

(5)自分は毒である/穢れている、という観念

罪悪感が心の中に蓄積されていくと、それはもう麻痺して感じることはできなくなります。
しかし、なくなったわけではないので、感覚的に「自分は毒である」と感じるのです。

彼女ととてもラブラブに過ごした翌日、その幸せを噛みしめると同時に「彼女は自分といてはいけない。自分なんかと一緒にいたら彼女は不幸になる」と感じて連絡先をブロックしたりします。

自分は毒だから大切な人を傷つけ、毒してしまう、と思えば、愛する人を自分から遠ざけようとします。

罪悪感は自分に罰を与え続け、決して自分を幸せにしないように仕向けます。
だから、その感情はやがて「孤立」「孤独」な状況を創り出すのです。

愛する人を愛するがゆえに遠ざけてしまう心理はこの感覚が生み出したものです。

(6)親やパートナーから受け継いだ罪悪感

もしあなたの大切な人があなたのすぐ隣で重たい十字架を背負って歩いているときに、あなたは身軽なまま過ごせるでしょうか?

おそらく、その重荷を自分も背負おうとするでしょう。

「パートナーは同じ感情で苦しむ」という格言があるのですが、私が知る限り、その感情が罪悪感であるケースは非常に多いものです。

愛する人を助けたいがゆえに、自らにも十字架を課すのです。

ところが、この罪悪感はパートナーや親のものを受け継いだものですから、自分自身のものではありません。
愛するがゆえに、背負っているもので、自分には心当たりがないものなのです。

だから、訳も分からぬ思いで苦しむことになるのですが、そんなときは「これは私のモノ(感情)ではない」と線を引くことで、スーッと抜けていくことがあります。

(7)その他の罪悪感

例えば、キリスト教では「原罪」と呼ばれるものがあり、仏教では「不殺生」を訴えています。
そうした思いは「謙虚に生きる、感謝しながら生きる」ということを教えているものと思われますが、その言葉だけを受け取ってしまうと、自分は存在しているだけで罪深いのだ、という思い込みを作ってしまいます。

また、世代間の問題として家族に脈々と引き継がれてくる罪悪感もあります。

これは潜在意識の奥深くに眠っているもので、当たり前になりすぎて気付きにくいものです。

以上、7つの種類を紹介してきました。
それくらい罪悪感というのはふつうに存在するものだし、簡単なできごとで感じてしまうものなんです。

だから、罪悪感は「なくす」のではなく「上手に付き合う」ということを提案しています。

ただ、過剰な罪悪感は自分を苦しめ、決して幸せな道を選ばせないものですから、「共存することが可能な程度」まで手放すことがお勧めです。

それが「ゆるし(許し、赦し)」です。

許しの一歩目は「理解」です。
なぜ、それをせざるを得なかったのか、を理解していきます。

その際、「愛」をベースに見ていくとより理解が深まり、許しが加速します。

罪悪感を癒し、許すには、そんな愛の物語を描いていくと早いのです。

愛する人を守るために、その人から距離を置く、というのはその典型的な例であり、愛するがゆえに助けられなかったときに自分を激しく罰する、というのもその例です。
また、みんなとうまくやりたい、仲良くなりたいから、自分の持っている価値や魅力を恥じることもそうです。

そこに愛があるとしたら、という前提で自分を見つめてみると罪悪感からすーっと解放されていくのです。

そんなお話をたくさん紹介しているのがこの本です。
興味を持たれたら、ぜひ、立ち読みでもしてみてください。

『いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

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