パートナーとの話し合いについて。また、自信を付ける方法について。



はーい、今日の記事は、
「パートナーシップでの話し合いって思っているよりも成熟さが必要だぞ!」
「自信を付けるには自分軸になって自己承認をすることだぞ!」
の2本でーす!

いつもメルマガを読んでは日々少しずつ前進させていただいております。
もっと前に進めるように根本先生に背中を押してもらおうとメールしました(^^)

借金・浮気・セックスレス・同居等、愛されなかった辛さから19年の結婚生活。そして離婚から10年経ち、悲しみ・怒り・寂しさの執着の感情からようやく手放しの時期に辿り着いた状態です。

離婚前、何度話し合いがしたいと言っても適当にはぐらかし逃げてしまい「すまん」の一言くらいはありましたが、一度も向き合い話す事なく別れに至りました。
10年経った今、止まったままの時間を進めたい気持ちが強くなり、子供と一緒に元旦那に会ってみました。
彼は自分からは会いたいと言えなかったと喜んでいました。
10年も経ってるから今ならお互い素直に向き合えるかと思い、話がしたいと私の気持ちをラインでぶつけましたが、結果は既読スルー・未読でもう本心を聞ける事もないと思います。ただ「嫌いじゃなかった」と救われたかっただけですが、このまま相手に心が残った状態でもイイやんと納得させてます。

これからは振り返る事なく前進あるのみですが、幸せになりたい、もう一度人を好きになって愛されてみたい。やる気や表情豊かになるなど輝いてみたい。怖さはありますけど…
根本先生、私に自信を下さいませんか(*^o^*)
(Aさん)

昨日、夫婦問題のセミナーをしていました。
そこでもいくつか耳にした言葉に

「夫とちゃんと話し合いができない」

というものがありました。

そう、パートナーシップ、特に人間関係においてはスタンダードなお悩みかと思います。

けれど、いたって素直ではない私はそういう問題を離して頂いたときにこういう風にお聞きするんです。

「彼は話し合いができる人なの?」

そして、畳みかけるように、

「あなたにとっての話し合いって何?」

え?は?ん?と思われたりします?

私、パートナーシップの色んなお話を伺っていて、そこから男女の違いについて考察するようになり、お陰様で2冊の本を著すこともできました。

「愛されるのはどっち」

「頑張らなくても愛されて幸せな女性になる方法」

その中で、「日本語しての言葉は同じだけど、男女で解釈が違う言葉」がたくさんあることに気付かされました。

「話し合い」もその一つ。

皆さんも自分にとっての「話し合い」って何かをイメージしてみてください。

私が知るところ、こんなパターンがあるようです。

A.お互いに思っていることを納得できるまで言い合って、気分的にすっきりすること。

B.テーマを決めて議論をし、お互い納得できる答えを出すこと

C.一方的に自分を感情をぶつけ、相手にそれを受け入れてもらうこと

D.お互い感情的に言葉をぶつけあって、不完全燃焼のまま物別れに終わること

一般的に女性はA、男性はBの考え方を持ちます。
そして、女性の多くは現実的にCを望んでいることが多いです。
また、A~Cの考え方、実情によって、結果的にDになってしまうことが多いです。

一般的な男女の違いに「男性は思考・論理、女性は感情・感覚で物事を捉える」というものがあります。

そうすると「話し合い」ということに対し、男性は「議論」をイメージし、女性は「気持ちを話すもの」として捉えます。
これは意識しなければ自然にそうなる男女の違いです。

だから、「話がしたいんだけど」とか「話し合いをしようぜ」という展開になったときに、男女それぞれで“したいことが違う”という現実が起こります。

それで、いざ話し合いを始めても、何か違う、モヤモヤする、そうじゃない的な、やり方の違いが出て来て揉めて、そうして、不完全燃焼のままケンカ別れになるんです。

これ、定義の違いなんですよね。

昨日、スタッフたちとお好み焼きを食べておりまして、関西に住む私はお好み焼きを切り分けるときは「格子状」にします。でも、関東に在住のスタッフたちは「ピザ風」をイメージします。

そこで「え?あ、なんか違う!へー!」って反応が関東人からは出るんです。

「お好み焼きを切り分ける」という言葉は同じでも、実際にそのやり方が関東・関西では全然違う、というわけです。

そんなことが男女間ではよくあるんです。
だから、奥様にお聞きするんですよね。
「あなたにとっての話し合いって何?」って。
そして、「旦那はそれができる人なの?」って。

その結果、夫婦で「話し合い」をしたときに、旦那様は「今日はいい話し合いができた」と思い、奥様は「全然すっきりしない。むしろモヤモヤする」ということになったりするわけです。
そういう時は、旦那様主導で「議論」すなわち、「会議」のような話し合いが行われたことが想像できるでしょう。

だから、「ちゃんと話がしたい」と思っても、実際、自分や相手が話ができるかどうか?ってのがコミュニケーションにおいては非常に重要で大切なポイントとなるんです。

そして、成熟したコミュニケーションというのは、相手のやり方に合わせることができたり、二人の間で「話し合いのガイドライン」のようなものを定めて行うことなんです。

「今日はちょっと私の話を黙って聞いて欲しいんだ」「OK!」
「今日は年末の旅行先についてそろそろ決めたいんだけどいい?」「OK!」
もちろん、「なんかモヤモヤするー、すっきりしないー!!ちょっと私の話に付き合って~!!!」「OK!」みたいなのも大丈夫です。

だから、たいてい二人での話し合い、なかでも特に「問題」については難しくなっちゃうケース(うまくいかないケース)がほとんどだと思ってるんです。

だって、二人の問題ってのは「話し合い」の前に大事なことがあるでしょ?
「その問題と向き合う覚悟」っていう。

旦那は逃げたい、奥さんは向き合いたい、では、交渉不成立なんです。

Aさんのケースでも、きっと旦那さんは既読スルーに見てのとおり、あまり向き合うのが“得意ではない方”のようですね。
そういう方に、「自分のやり方で」話し合いを望んだとしても、たいてい、スベることがほとんどです。
会場はシーンとなり、「やっちまった・・・」という後悔と共に、冷や汗が流れる展開になるわけです。
そう、私のセミナーでよく起きるアレです(笑)

そういうわけで、こんな提案をよくさせてもらってるわけです。

「返事がないのも返事のうち」
「相手の態度がその答え」
「モヤモヤする気持ちは他人に吐き出せ」
「御恨み帳をバンバン書くといいでっせ」

※お恨み帳、通販やってます!
https://nemotohiroyuki.jp/service/20595

とか、「もし、話し合いをしたけりゃ、第三者を入れなはれ」とか。

昔、イギリスにしばらく住んでいた方が、夫婦で話し合いをしようと思うんだけどうまくできないって相談を現地の友人にしたところ、

「あんた夫婦の話し合いなんて二人でできるわけないじゃないの?カウンセラーとか誰かを入れなさいよ」

とあっさり返答されたそうです。(もちろん、会話は英語でなされているものと思われます)

もう少し厳しい話をすれば、奥様が「話し合いたい」というのは、個人的な希望に過ぎません。
もっと言えば、「私のわがまま」なのです。

それを正論として「話し合いをすべきだ」として相手に押し付けて、相手をまんまと逃がしてしまうケースも多々ありますね。

それを正論にしているので「逃げた旦那が悪い」と攻撃の対象としてしまいます。

また、よく「自分の感情を相手を使って処理しようとする」というサンドバック現象もパートナーシップではよく起きてますね。

「自分が我慢してきた気持ちを思い切り旦那にぶつける」
とか
「納得できなくてモヤモヤして別れた彼を呼び出して話し合いをして、その時はすっきりするんだけど、また時間がたつとモヤモヤしてきて再び彼を呼び刺す」
とか。

これ、彼を使って自分の感情を処理してるんですよね。

彼は便器か?というツッコミをいつもしてるわけです。

自分の感情は自分のものです。
自分の在り方が変われば感じ方が変わるように、あくまでそれは自分個人のものです。
それを人を使って解消しようってのは、「相手を利用する」ということになり、罪悪感を作ります。

Aさんの例で言えば、

>10年経った今、止まったままの時間を進めたい気持ちが強くなり、子供と一緒に元旦那に会ってみました。

という思いって誰でも出てくるものだと思うんだけど、実はこれ、旦那を使って時間を進めようとしてるんです。

つまり、「他人軸」(旦那軸)での行動です。
自分の気持ちや、状況を、旦那に変えてもらおう、という依存心です。

だから、たいていの場合、うまく行きません。

それは自分で処理するもんなんです。

だから、

>このまま相手に心が残った状態でもイイやんと納得させてます。

という態度はものすごく素敵で素晴らしくてブラボーなわけですね。

Aさん、お見事です!大人です!

さて、

>根本先生、私に自信を下さいませんか(*^o^*)

ということでございますが、「はい、どうぞ、これがとびきり上等の自信でっせ」ってブログに書いても「は?こいつ何言うてるの?」と受け取ってもらえないと思うので、あれこれと策を練りたいと思います。

この本でも書いていることですが、「過去の自分と比べて成長できたところを受け取る」というのがシンプルな自信の付け方です。

「敏感すぎるあなたが7日間で自己肯定感をあげる方法」(あさ出版)

例えば、Aさんが元旦那に対して大人な対応ができるようになったことに対して「あたし、すげーなー、めっちゃようやったなあ」と褒めてあげること。

また、10年越しに元旦那に自分からアプローチして会いに行ったことに対して「あたし、めっちゃすげーなー、よく勇気出してやったなあ、めっちゃえらいなあ」と思うこと。

この10年、または、29年で成長した点、ものすごくたくさんあると思うんです。

それを拾い上げて「あたしすげーなー」って言ってあげると、根拠を持って自信を持つことができます。

そもそも自信なんてのは根拠のないもんでございまして、何もできなくても自信を持つことって可能です。

自己肯定感(自己承認、自己受容とも言う)があがればあがるほど、ちょっとした経験でも自信に変えることができます。

>これからは振り返る事なく前進あるのみですが、幸せになりたい、もう一度人を好きになって愛されてみたい。やる気や表情豊かになるなど輝いてみたい。怖さはありますけど…

こういう風に思えたことも、Aさんの成長であり変化ですし、また、そのためにこの10年、いや、この1年であれこれとチャレンジしたこと、変化したことってたくさんあると思うんですよね。

それを「えらいなー、あたし、すげーぞー!」って思ってあげることです。

しかし、他人軸的生き方が染みついている方は、誰かからの評価がないと自信を持っちゃいけない、とか思ってしまいます。
でも、他人からの評価に頼ることになると、ある人は認めてくれても、別の人は認めてくれなかったりしますから、そういう他人軸の状態では自信を付けることは難しいんです。

そうして、自分で自分をほめちぎり、ニヤニヤし、「こんないい女だったら、世間の男は放っておかないよなあ。ぐひひひひ」とよだれを垂らしつつ、鏡を見るたびに「あら、かわいい女が映ってると思ったら、あたしだったわ」と独り言を言っていればいいんです。

今までよう頑張った、めっちゃ成長した、あたし、ほんま、偉いよなあ・・・ってしみじみ毎晩呟いてみてください。

そうすると気が付けば肚が座って来て「ああ、あたし、大丈夫だわ」という“自信”が生まれているのです。


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