正解主義に陥っていませんか?



実は私、この言葉を知ったのは最近なんですけど、以前から教育現場などではよく叫ばれている問題みたいですね。

皆さんはご存知でした?
セミナーで何度かお話ししたのですが、あまり知ってる方がいらっしゃらないような印象を受けたので、改めて紹介したいと思います。

正解主義というのは、ざっくり言うと「正解が必ずあり、しかも、それは1つである。」という思考パターンのことです。

ここから派生して「選択肢(回答)は誰かが提示してくれ、その中に正解が必ずある」という意識に繋がることもあるようです。

そう、これが私たちが子どもの頃から慣れ親しんできた「テスト」の形式なんですよね。
特にマークシート型の4拓などの問題などは典型的ですよね。

確かに学習の理解度を測るテストではあながち悪い方法ではないですし、たくさんの受験者を受け入れる側からすれば採点の効率化という意味でも役立つのですが、常にこういう環境の元で生きて行くと、これが学校や受験でのテストにのみ有効なもので、人生ではまったく通用しない、ということを忘れてしまうのです。

この正解主義が人生における問題に出て来ると私たちはこういう思考が始まります。

「この問題を解決するための正解が必ずある。」

そこから、こんな思いが出て来るようになります。

「この方法でうまく行きますか?」
「このやり方で解決しますか?」
「解決するにはこの方法で正しいですか?(間違っていないですか?)」
「○○しようと思うのですが、それでいいですか?」
「この問題を解決する方法を教えてください。」

皆さん、思い当たりませんか???

「この方法は間違いではないか?」
「正解がどこかにあるのではないか?」
「これが間違ってたらどうしよう・・・」

そんな思いも出て来るでしょう。

特に人生を左右するような問題にぶつかったときなどは、当然、失敗したくないですし、間違えたくないので、なお一層、この正解主義が台頭するようになるんです。

でも、実際問題を解決した経験のある方は分かると思うのです。

根本:「なんで夫婦仲が良くなったの?」
奥様:「なんでなんかはよく分からないんですよね。あれやこれやと取り組んでいるうちにだんだん関係が良くなってきたというか・・・。これ!という決まり手があったわけじゃないような気がするんです。」

皆さんも失恋を乗り越えた、職場の人間関係を改善した、仕事のミスを取り返した、友達とのケンカを解決した等、過去に自分が解決してきた問題を振り返ってみてください。

もちろん、その中にはたまたま「ごめん、と謝るだけ」というケースもあったかもしれませんが、「友達に話を聞いてもらう」「本やブログを読み漁る」「手放しワークに参加してみる」「新たな出会いを求めてみる」「根本さんに騙された」等々のいろいろな方法を組み合わせた結果だと思うんです。

以前、うちの奥さんが大病を乗り越えた際も、食事療法をし、鍼や温灸を受け、漢方を飲み、いろんなヒーリングを受け、家族や友人の支えがあり、そして、継続的にそれらを諦めずに続けた結果、良くなったんですね。

例えば、離婚問題を乗り越える、ということについても、これ一つで解決する!という正解があるのならば、私もこんなにあれやこれやと考えませんし、おそらく、世界から離婚問題はなくなっていますよね。
「これをすれば一発でよくなります!」で済みますから。

もちろん、こういう話をすれば「確かにそうだよなあ~」って思うものなんですけど、じゃあ、実際、目の前の問題に取り組んでいく過程ではつい「正解」を求めがちなんだと思うのです。

正解はひとつじゃなくて無限にあるんです。
すなわち、間違いはないんです。

例えば、あるご主人の不倫問題を抱える奥様の事例を紹介しましょう。
ブログを読み漁り、いろんなセミナーに行き、自己肯定感を上げ、女性性をアップしようと取り組んでらっしゃったんですね。
そして、ご主人との関係も少し前向きになってきたときに、たまたま結婚前に付き合ってた彼と再会することになり、ついつい体の関係を持ってしまったんです。

これ、すごい間違いだと思いますよね?
彼女はその日からものすごく自己嫌悪に陥り、カウンセリングにいらっしゃったときにはすっかり意気消沈して私の目を見れないほどでした。

私は心優しいカウンセラーですから、当然そんな彼女に対してねちっこくいじめるんですね。
「どう?久々に女に戻った感想は???」
「愛される喜び、思い出した??」
「やっぱり旦那さんがいいと思えた?」

私は起きたことはすべて正しいと思っていますし、そもそも起きちゃったことは今さらどうしようもないので前向きな意味があると捉えます。

彼女はすっかり「失敗した」「間違いを犯した」というモードだったんですけど、「もし、それが正解だったとしたら?」という視点で見て行くこともできるんですよね。

もちろん、「旦那の浮気問題を解決するために元カレと寝ることが正解」とは言っていませんよ。それを推奨するわけではありません。

けれど、結果的にそうなっちゃったんだったらしゃあないわけですね。
しかも、そうなるだけの事情があったわけでしょう?
寂しかったし、女を取り戻したかったし、浮気されて悔しい思いもあるだろうし、ね。

だから、今となってはそれは間違いではなく、正解なんです。
というか、それを正解に見立てることも可能なわけです。

分かります?正解って自分で作ることすらできるんです!
しかも、正解か不正解かを決めるのはどこぞの試験官じゃなくて、自分自身なんです!

「自分では間違えたと思っているけれど、その経験から得られたことって何だろう?」って見て行けばいいんです。

実際、彼女は「女として見てもらえて、女であることを受け入れてもらえて、本当にうれしかったし、ホッとしたのも事実で・・・」と語っていました。

だから、私はこうした問題においては正解も不正解もないと思うのです。

でも、正解主義に陥っている状態だと、目の前にいくつかの選択肢が示されているように感じ、その中の一つが答えであるように感じてしまうんです。
そうすると委縮しますよね?
そもそも選択肢が見えないわけですからどれが正解かも選べません。

例えば、先日行った「史上最強の恋愛講座」の中でこんな質問を出してみたんです。
これはコミュニケーションの問題で大いに引っかけ問題だったわけです。
(ちなみにその講座の模様はDVDとして近々発売予定です!←宣伝ですよ~)

質問:レストランでのマナーが悪い彼。どうしたら大人の作法を身に着けてくれるでしょうか?

A.こういうところではじっとしといて。音を立てないように。こぼしちゃダメじゃないの。
B.マナー教室にちゃんと通って。そうじゃないと私、恥ずかしいじゃない。
C.もっとあなたはジェントルマンな人だと思ったんだけどなあ。
D.あんなに仕事ができる素敵なあなたなのに、マナーが悪いなんてもったいないよ。
E.それ以外。

正解は・・・そう、全部!です(笑)

お互いの関係性や状況によってどれも効果的だし、どれも効果的じゃなくなりますね。
もちろん、コミュニケーションの基本からすれば「D」が一番いいように感じますけど、でも、それだって本来の目的を果たせるかの保障はないんです。

その時々で、自分が良いと思った方法を採り入れて行く必要があるんです。

もちろん、そのベースにある思いは「愛」であることが大事ですよね。
人間関係、特にパートナーシップや家族の問題はこのベースとなる前提がすごく大事です。

だから私はいつも「自分が良かれと思ってやってるんなら何でもいいよ」って答えます。
まあ、なんていい加減な!(笑)

正解なんてないし、不正解もないし、となれば、頼るのは自分自身です。
自分自身を信じる、ということが大切なのかもしれません。

そして、今の自分で勝負する、という意識。
つまり、今の自分ができることをする、という心がけですよね。

正解主義は理想主義にも繋がります。
「本来こうすべきなのに私はできない」という自己否定を強化してしまいます。

自己肯定感を高めたり、自信を付けたり、自分を承認したり、というプロセスが大事なのは、こうした局面において自分なりの選択ができるようになるためです。

もし、それが失敗に終わったように見えたとしても、本当に失敗なのかはまだ分からないんですよね。

皆さんもこんな経験ありませんか?
「良かれと思って言った一言で相手を激怒させてしまった。しまった、取り返しのつかないことをしたと思って凹んでいたら、後日、『確かにあれはあなたの言うとおりだった。怒ってしまってごめんなさい』と謝罪された」

何が正解かなんて、もしかしたら、ずっと分からないのかもしれません。

いつも「正しい答え」を探してしまう皆さん。
一度、それを手放してみませんか?
「あ、また正解探してる!違う違う。正解はないんだった!」と思い直すだけでいいです。

そうすることですごく自由を感じられると思うのです。

(追記)
文中に出て来る元カレと浮気しちゃった奥様。
その後、素知らぬ顔(?)で旦那さんとやり直して女の子を出産しましたよ。
彼女のその行為、間違いだったんでしょうか??

毎日使える心理学講座
○根本のメールマガジン
○根本のセミナー・スケジュール
○根本のカウンセリング
☆音声配信サービス
【根本の講座が自宅で、電車で聴ける!】ココロノポッドキャスト
☆DVD
「ドロドロ系人間関係をスカッと解消するために知っておきたい心理学講座」
『「手放すほどの愛がすべてを変える! 今、ここから愛されて幸せ妻になる法則」セミナー』
『10年愛されるカウンセラーになる秘密』
☆根本本。


あわせて読みたい