与えて抜ける、ということ~自分の中から一歩外へ~



どんな状況にあろうとも「与える」ということで、その感情から抜け出すことができます。

昔、奥さんと大喧嘩してるときにカウンセリングが入る、ということがちょくちょくありました(それくらいよくケンカしてたわけですね(笑))。

「こんな時にカウンセリングなんかできるかよ!」という気分で電話を取るのですが、カウンセリングを始めると気持ちは落ち着き始め、45分後にはすっきりしていて、温かい気持ちにすらなっていました。
そして、奥さんに「ごめんね」と謝れるようになっているのです。

「仕事モード」に変わってそれが気分転換になった、という風にも取れるのですが、これは「与えて抜ける」ということだと思っています。

仕事って与えることです。
相手のために、誰かのために、という思いが突き動かされる場です。

私たちは問題の最中にあるときは「自分」を見ています。
自分のことでいっぱいいっぱいで他に意識を向ける余裕がありません。
ケンカしている私は「なんで分かってくれないんだ」「なんでそういうこと言うんだ」「なんでいつも○○なんだ」と自分の気持ち(ニーズ)ばかりに目が行っていました。

自分を見ているときはエネルギーは自分の内側をぐるぐる回るだけで外に出ていきません(解放されません)。
それが思考に向かえば「あれやこれやと考えすぎる」ということになりますし、感情レベルになれば「ずっと不安や怖れや○○という気持ちが消えない」となります。

でも、自分自身でいっぱいいっぱいになっているときは、そこで意識を外に向けるために与えようという気持ちにはなかなかなれません。
エネルギーを外に出せばすっきりするということも分かりません。

だからそこに「仕事」という“義務”が入ることで強制的に外に意識を向けさせてくれるわけです。

例えば、夫婦の離婚問題を扱うときに専業主婦だった方がパートを始められるケースがあります。
「仕事してる最中は夫とのことを忘れられる」
「仕事の時は元気になれる」
という声もよくお聞きします。

与えることで外に意識が向き、新たなもの(気持ち、視野、考え方、やり方等)を採り入れることができるのです。

<与えて抜けるの図。与えるはつながりも生み出す>
20160421与えて抜ける
※出張中なので今日は写メです。

問題解決セミナーやリトリートセミナーなどのヒーリングセッションで、今、しんどい渦中にいる方に敢えて“誰かを助けさせる”という趣旨のセッションを組み立てることがあります。

客観的には「鬼」みたいなセッションの組み立て方なのですが、自分に向いていた意識をほかの人に向けることによって、しかも、与えるということでブレイクスルーが起こるのです。

自分を見ている間はなかなか気分が変わることもないし、問題の解決にも時間を要します。
むしろ、どんどん自分を責めたくなったり、惨めになったり、嘆きたくなったり、自分がかわいそうになったり、ニーズがどんどんあふれ出て来たりして余計に苦しくなります。
また、そういう風になると人と分離し始めることもあるんです。
「どうせ私の事なんてどうでもいいんでしょ」って突き放したくなったり、「私なんてほんと最低なんだ!」って自分を責めるために壁を作ったり。

また、自分を見ているときは仮に誰かが手を差し伸べてくれても受け取れません。
仮に受け取れたとしても、また次のタイミングで同じ場所に戻ってしまいます。

自分に意識を捉われるとあまりいいことはないのです。

「与える」とは「誰かが喜ぶことをして、それで自分が嬉しくなること」を指します。
「誰かが喜ぶことをして、それで相手が喜んでくれたら嬉しい」は犠牲です。
「誰かが喜んでくれるから、それをしている」は取引です。
「与える」ということは相手の反応を問いません。相手が仮に喜んでくれなかったら「やり方がまずかったね、ごめん」と次なる手を探し始めます。

犠牲をしていると、相手の反応に期待が生まれますから、相手が喜んでくれなかったら「せっかくしてあげたのに」と不満を持ちます。

取引をしていると、与えてもいないけれど、受け取ることもできないので、どんどん味気なくなっていって続かなくなります。

でも、与えるということはそれほど難しくありません。
「やさしさ」というのは与える行為を作る大きな動機付けになります。

「自分も不安でいっぱいだけど、隣に震えている人がいる。その人の手をそっと握ってあげたら、なぜか自分の不安も少しずつ解消されていった。」
きっと被災地ではそんな体験をされた方も少なくないだろうと思います。

※先日書いた「不安や怖れはつながりが癒してくれる。」も与えることについて書いてます。
http://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/13271

与えるゲーム、というのがあります。
例えば「コインパーキングで自分の隣に止まっている見知らぬ車の料金を払ってあげる」とか「自動販売機で敢えてお釣りを取らない」とか。
次にこの自販機で買い物する人はラッキーと思うだろうな、とか、思ったよりも料金が安くてびっくりするだろうな、と思うとワクワクしませんか?

150円を入れて130円の缶コーヒーを買えば20円のお釣りです。
その20円で誰かを喜ばせ、同時に、自分も幸せな気分になれるってすごくないですか?(笑)
それにもし自販機で次に並んでる人が「あ、お釣り取り忘れてますよ」って知らせてくれたらその人の優しさに嬉しくなりませんか?

与える実習を宿題に出すことがあります。
「電車で目の前にいる人は何をしてあげたら喜ぶかなあ?」ってただ妄想するんです。
「なんか疲れてるみたいだからマッサージしてあげようかな」とか「盛んに時計を見てるから急いでるのかな。立ち上がったらさささーっと道を開けてあげようかな」とか「なんかつまんなそうな顔をしてるなあ。僕の一発ギャグで腹筋崩壊させてあげようかな。あ、でも、そんなギャグ持ってないけど」とか、そういうことを考えてるだけで幸せな気持ちになったりしませんか?

私、大阪のカウンセリングルームに向かうときにちょくちょくやってるんですけど、一人ニヤニヤしちゃうんですよね。
怪しい人がますます怪しくなっちゃってます。

もちろん、これは電車の中だけの実習じゃありません。
カフェでお茶をしているときに、人気のお店で並んでいるときに、スーパーで買い物をしているときにもできることです。

もちろん、何のアイデアも出て来なくてもいいんです。
ただ何をしてあげようかな、と与える意識を持つだけで心はぽかぽかと温かくなってきます。

私がブログやメルマガを書いたりするのも、実はそんな気持ちで書いています。
誰かが喜んでくれるかな?という思いを持つと、どんどん勝手に楽しくなって、嬉しくなってきます。

リクエストを頂いてお答えするときなどはその人もそうだし、その人に似た人もそうだし、一見「このテーマは全然関係ないけど一応読んどくか」と思って読み始めて「ああ、これ、あたしのことだ!!」とハッとする方のことを想像しながら書いています。
だから時々、ブログを書きながらニヤニヤしています(笑)

さて、このブログ、メルマガを呼んで下さったあなた。
今、目の前にいる人に「与える実習」してみてください。
もし、一人で誰もいない場所にいるならば、あなたの身近な人(ただしケンカ中じゃない人)を思い出して、その人に何を与えようか妄想してみてください。

もし、現実にそれが実行可能であれば、ぜひ、それをしてみてください。

私が私が!の「我」を越えて与えるモードが発動すると、きっと心がぽかぽかと温かくなり、ついニヤニヤしてしまいますね。

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