「魅力を伝えたら受け取って欲しい」というのは単なる“エゴ”に過ぎない。



いいことをしたら、それを相手に受け取ってほしい、喜んでほしい、と思うのが人の心ですが、それはこちら側のエゴであり、わがままであることに気付く必要があります。
受け取れない相手も愛してあげてはいかがでしょうか?

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根本先生、こんにちは!
いつもブログの運営お疲れ様です。
根本先生の講座はタメになるだけでなく、落ち込んでいる心に温かく響くので、悩んでいる時でも自分にできることを少しずつやっていこうと気持ちが前向きになります。

今回は、私が常々思っていたことをご相談させていただきたいと思いました。
簡単に言いますと、自分の魅力に否定的な人とのコミュニケーションの方法を教えていただきたいのです。

例えば、私は友人に「○○ちゃんは文章がうまいね」と伝えると、「全然ダメだよ~」と返されたり、
彼氏の気配りを感じた時に「やさしいね、大好き」と言うと、「普通でしょ。大げさなぁ」「大した事してないのに誉められるとプレッシャーになるよ」と返されてしまうことがあります。

私はこういった反応をされる度に、相手には魅力的な長所があるのに本人は気がついていないのをとても残念に思ってしまいます。ですが、それを頑張って相手に伝えようとするとベタ誉めな表現になってしまい、余計に引かれてしまうようです。
特に私の彼氏は自己否定の強い完璧主義者なので、彼自身の魅力を少しでも私が伝えられ、それが彼の自信につながればいいのにと思うのですが・・・。

そこで質問なのですが、
自信のない相手に対して、自然に本人の魅力を受け取ってもらえる方法はありますか?
また、この状況に対して私自身の課題とはなんでしょうか?私はどう変わっていけばいいのか、よろしければご指摘願います!
(Yさん)
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Yさんが続きますが、別の方です(^^)たまたまです(^^)
クリスマスなので「与える側の話題」を選びました。って偶然ですけどね~!

>根本先生の講座はタメになるだけでなく、落ち込んでいる心に温かく響くので、悩んでいる時でも自分にできることを少しずつやっていこうと気持ちが前向きになります。

ありがとうございます。Yさんいい人ですね(^^)
もっとその声を大きな声で言うといいですよ。
できれば、周りの人10人くらいに伝えて回るといいですよ~!(笑)

確かにYさんほめ上手ですね。これ、めっちゃ長所ですよ。
きっと素敵な笑顔もお持ちだし、相手の心をちゃんと見てあげられる才能がありますね。

魅力的な長所があるのに気づいてなかったり、受け取ってなかったりってのはもったいないですよね~。
伝えても拒否されたら残念ですし、もっとあなたは素晴らしいのに!!って声を大にして叫びたくなりますよね~!
特に「完璧主義」「自己否定が強い」人は全力で拒否ってきますから、大変ですよね~。
自信を付けてあげたいなあ、と思って長所を伝えてもそれを否定されたら悲しいですよね?

その気持ち、よーーーーーーーーーーく分かりますよ。
すごーーーーーーーーーーーーーーく分かりますよ。

私もそういう人何千人って知ってます。
ほら、この文章呼んでる方、84%はそういう人ですからねえ・・・・。

はい。ドキッとした人、その場で手を挙げる~!!

ほんと、苦労しますよねえ????

「ぜったいそんなことないです!!!!!!」
「カウンセラーさんだからそういう風に言うんでしょ?」
「根本さんって口うまいですからね」
「どうしたらそう心にもないこと言えるんですか?」
「ほんとうにそう思ってます?」

そんな言葉を数万回も聞いてきますとね、慣れちゃうんです。
だから、魅力や価値や才能を伝えるときはいつも初めから「受け取ってもらおう」なんて思って言わないんです。

「受け取れないんだろうな~。どのバージョンで拒否してくるんかな~。とりあえずは受け取ったふりすんのかなあ~」

とさらに反応を読むわけですね。

例えば、それでバージョン2の「カウンセラーさんだからそう言ってくれるんでしょ?」が来たらね、じっと目を見て「ほんとにそう思います?」って言い返すんです。
すると少しドキッとして「えっ?」って引くでしょ?
そこでそっと目を逸らしながら「そう思うかもしれませんけど・・・。(ふぅ、と軽くため息をつきながら)でも、ほんとカウンセラーだからじゃないんですよ。(目を逸らして斜め45度上方に目をやる)人としてそう思うんです。カウンセラーだからってそういうって思われるのって辛いですよね。ほんとうにそう思ってるのに(そこで改めてじっと目を見る)」なんて言われると、どうでしょう?
たいていのクライアントさんは「根本さん、素敵!フォーリンラブだわ~!」ってならずに、「ぷっ」って笑うんですよね。明らかにノンスタイルの井上さんを投影されるわけですね。むしろ、キモイわけですね。
「なにそれ~!?」って。「やっぱりそう思ってないんでしょ?」って。

で、そこで言うんです。
「でも、ほんとにそう思うんですよ。だから、記憶してくださいな。」って。

一応、私、カウンセラーでしょ?本も書いてるし、セミナーもしてるでしょ?15年以上やってるベテランでしょ?それなりに権威があるじゃないですか?
でも、そうした権威ある先生のお言葉よりも、自分自身の「信念」を皆さん貫かれて「私が正しい!」って思ってるから「そんなことないです!」って拒否されるんでしょう?
どっちが偉いと思っているんでしょうね??(笑)
どれくらい自分のこと好きなんでしょうね???

分かります?このパラドックス。

だから、魅力を伝えて、拒否する方を見ると最近の根本君は「ああ、それくらい自分のことが好きなんだね~」って思うようにしてるんです(笑)

ね?ここまで性格がひねくれると結構無敵になりますよ。

とはいえ、これはYさんとは違うケースですから、真似てくださいなんて言いません。
ここまでずらずらと書いてきたのは受け取り下手なクライアントさん&受講生さん&読者さんへの嫌味ですねえ、はい(笑)

でも、分かってきました?
Yさんが今、何を学べばいいのか?って。

「魅力を伝えたらそれを相手に受け取ってほしい」というのは自分のエゴだってことです。
わがままだってことです。
伝えることが良いことだったとしても、それを受け取るかどうかは相手に選択権があるってことなんですね。

親子の会話でこういうシーンありません?
ママが子供に野菜を食べさせようとするんです。
「ひろちゃん、お野菜は体にいいんだから食べなさい。お肉ばっかり食べずに」
「いらない・・・」
「なんで食べないの?体にいいのよ!ひろちゃんのことを思ってお料理してるのにどうして食べてくれないの?」
「いらない・・・」
「ひろちゃんはママのことが嫌いなの?ねえ、どうしてなの?ここまでひろちゃんのこと思っているのに、どうして食べてくれないの?」

このママは誰のためにお野菜を食べさせようとしているのでしょうね。

「正しさ」って時に罪を犯すんです。
「いいこと」って押し付けることも許してしまう雰囲気を作り出すんです。

「体にいいものだから食べてほしい」は「エゴ」なんです。押し付けなんです。

お野菜を用意するのはママの勝手。
ひろちゃんの健康を考えるのもママの勝手。
それを食べさせようとするのはママのエゴなんです。
それをひろちゃんがどう受け取るかどうかはひろちゃんの自由なんです。

それを知ったうえで行動すると違ったものになります。
「ひろちゃんの体にいいかな、と思って、お野菜用意したの。良かったら食べてね」
以上、です。
仮に食べなくても「悲しい、寂しい」と思うけれど、それがひろちゃんの選択だったらそれでよし、とするんです。

ひろちゃんがお野菜を食べてくれたらいい子、食べなかったら悪い子。
お野菜を食べるひろちゃんは好き、食べないひろちゃんは嫌い。

これってママの自己判断、エゴなんです。

野菜を食べようが、食べまいが、どちらのひろちゃんも受け入れ、許し、理解するのが「愛」です。

それに親にぎゃーぎゃー言われながらいやいや食べる野菜が体にいいと思います?
その野菜にどんなエネルギーが乗り移るんでしょうね?
将来、その子が自立したとき、野菜を好んで食べるようになるでしょうかね?

あ、お野菜の話じゃないですね。
魅力を受け取ってもらう、というお話ね。

「価値や魅力があるんだから、それを伝えたら受け取ってもらいたい」って思うのは無理のないことですが、それを拒否して受け取らない彼は嫌いですか?
受け取れない彼も愛してあげるってのはどうでしょう?

自分を成長させたいんだな、そのためにスパルタコースに入門してるんだなあ・・・
価値を受け取ったら調子に乗っちゃうと思ってあえて厳しくしてるのかなあ・・・
魅力を知ったら天狗になるのを怖がってるのかなあ・・・
まだまだ自分はダメだって思うことで、もっと頑張りたいのかなあ・・・

そんな理解をしてあげてもいいです。

ましてや彼は子供じゃなく、大人ですよね。
だから、自分の行動は自分で責任が取れます。
拒否する自由もあるんですね。

そんなことを踏まえて価値や魅力を伝えると、仮に

>「普通でしょ。大げさなぁ」「大した事してないのに誉められるとプレッシャーになるよ」

って返されても平気なんです。

「だって、すごいんだよ。ほんと。大好きなんだもん」
「そんなに頑張らなくたって今のままで十分素敵なんだけどなあ~」
「ほんとにそう思うんだけどなあ。プレッシャーになっちゃう?ごめんね」

そんな風に返せたら自分も相手も楽だと思いません?

これはお互いの距離感の問題で必要以上に相手に入り込まない姿勢のことです。
「自分は自分、相手は相手」って私もよく言います。

図にするとこんな感じ。

20151224パーソナルスペース

人はパーソナルスペースという“なわばり(縄張り、間合い)”を持っています。
その中に不用意に入ろうとすると、それを拒否しようとするんです。

もちろん、それが「攻撃」だったらわかるでしょ?
でも、それが「ほめる」などの良いことだったとしてもそうなんです。
ところが「良いことをしてる」という意識はそのパーソナルスペースに侵入する許可をもらったかのように誤解してしまうことがあるんです。
それがさっきのママとひろちゃんの会話ですね。

だから、良いことだったとしても「ちょうどよい距離」の場所に置いておくイメージです。
それを取る、取らないは相手次第、というわけで。

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