大義名分。

※今回は例によってまったく皆さんに役に立たないお話です。なんせ、私が酒を飲まなければいけない理由について長々と語っているわけですから・・・(苦笑)

* * *

昔、まだ私がボランティアカウンセラーだった頃、あるカウンセリングをしていたとき~おそらくそれは恋愛相談だったと思うのだが~クライアントさんに「それって寂しいですよね」と告げたときのことである。

ふと、頭を過ぎる?マークがあった。

「寂しさ」って何?

それがどういうものなのか、分からなかったのである。

小さいころからずっと一人で・・・ということはなかった。たいへん賑やかな家族がいたし、とても愛されていたと思う。


でも、思春期になり、自立し始めた頃、色々あって一人を感じる時間が増えた。
いや、むしろ、一人でいる時間を増やしたんだと思う。そこで、寂しさを覚えたのだろうか。

でも、少なくてもそれを感じたくなかったんだろうと思う。以来、コーヒーやタバコなどの刺激物に傾倒していた。その刺激で、寂しさを紛らわそうとするように。

だから、寂しさが麻痺し、それが何なのか、分からなくなっていた。

私は刺激物、とは深い馴染みがある。
タバコを辞めてしばらくしたら無性に辛いものが食べたくなり、行く先々で汗をしたたらせるような激辛料理にはまった。

タバコだけでは飽き足らず、酒にどっぷり浸かった時期もある。
中でもウィスキーのシングルモルトにはめちゃくちゃはまり、今でも目の前にあの琥珀色の液体がやってくるとワクワクしてしまう。バーテンさんとのマニアな会話も楽しかった。

そして、常に彼女がいた。一人暮らしは長いけれど、ほんとうの意味での一人は合計しても数ヶ月にも満たない。刺激物かどうかは別にして、寂しさは紛れた。
(もっとも私は、見た目とはウラハラな刺激的女性を好むようである)

どれくらい寂しがりややねん、と突っ込みたくなるほどである。

でも、そういう性質なんだから仕方がないのである。

出張に出ると、いつも飲み会を設定する。
立場を使っているつもりはないが、様々な名目で日々飲み会を開催し、気の置けない仲間とぐだぐだと酒を飲む。

酒が好きだから、という理由もあるのだが、きっと寂しいからだと思う。

セミナーのあとの打ち上げには基本、最後まで同席する。
二次会があれば、原則として付いていく。

でも、一人で呑みに行くことは極端に少ない。
その店のスタッフとなじみにならない限り、進んで扉を開ける勇気は持たないのである。小心者でもあるし、馴染みの客同士が盛り上がる店で、一人孤独を感じるのが辛いからである。

だから、市井のバーよりも、まだ入りやすく、常連が少ない宿泊先のホテルのバーに、少々高くついても出かけてしまう。
一人カウンターに座って呑むのも嫌いではないが、タバコをやめた今は特に間が持たないので、つい親しげにバーテンさんと話し込んでしまう。
元々話をするのは嫌いではない。そして、たいてい、一杯ほどおごってもらうほど仲良くなってから席を立つ。

今の駒場のカウンセリングルームに移った頃から銭湯に出かけることを覚えた。
宿のシャワーでは物足りない、という理由のつもりであったが、それだけではなさそうである。
銭湯に出かけると、地元の人たちが集まってくる。
番台で話してるおじちゃん、おばちゃん。
風呂上りに一服しているおじいちゃん。
出勤前の水商売なおにいちゃんから、最近は外国人の姿もちらほら見かける。

当たり前だが銭湯には広い湯船だけでなく、人がいる。
その湯に浸かっている間、地元の人たちの他愛のない会話を聞いていると寂しさは紛れる。

大阪の自宅に居るときも、一人で行動することは朝の散歩や仕事を除けばほとんどない。
休日も家族でべったりしている。

ドライブは好きだが、一人で遠出する気にはならない。それができる友人を心底尊敬しているし、一人旅なんてもっての他である。(カウンセリングで散々偉そうに勧めているのに)

「疲れてるんだから寝てればいいのに」と妻が諭してくれても、つい、起き出して家族と過ごしてしまう。子どもが喜ぶのであれば、外に遊びに行くし、妻が求めれば買い物にだって付き合う。
でも、疲れてるので機嫌が悪くなり、些細なことで妻とケンカになったりもする。
だからといって、一人になるよりはいい、と考えてしまうのである。

私の部屋は基本、扉はオープンである。
パソコンで仕事をしているときも、ドアは開け放っていて、娘は気分次第で遊びに来る。
でも、余程の急ぎでない限り娘を追い出すことはしない。
だから、私が締め切りに追われて記事を書いているときも娘はまったく遠慮せずに私の椅子に登り、私の背中に張り付いたり、すぐ横でお絵かきを始めたり、YouTubeでアニメを見たがったりする。(パソコンを使っているので)しまじろうの動画は見せられないが、彼女を追い出して、その寂しそうな顔を見るよりはずっとマシである。

つくづく、思う。どれだけ寂しがりややねん、と。やばいんちゃうか?とも。

でも、同時にそんな私に付き合ってくれるたくさんの友人、仲間、そして家族がいてくれ、支えてくれることは幸せだと思う。

こちらの出張日程に合わせてくれる友人がいて、数ヶ月先の予定でも付き合ってくれる。
中々合わない休みを合わせ、昼間から呑みに行ったり、風呂に行ったりする仲間がいる。

彼らは何も私の寂しさを埋めるためにいてくれるわけではないのだが、そして、多少はお互い様のところもあるんだろうけれど、とても支えられている。そのために仕事をしているんだろう、と思ってしまうほどに。

だから、少々体に悪いと知っていても、ダメージが徐々に出始めていると分かっても、ついつい酒を飲んでしまうのである。

私にとって寂しさは何よりも心身に毒なものだからである。

よって今日も仲間と飲みに行く。

どう?大義名分は完璧でしょう。

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