理想と現実~「それが私だから。」実践編~



朝、さっぽりした気分で目を覚まし、深呼吸と共に軽く瞑想。
ミルで挽いたコーヒーを淹れて一服。リビングで瞑想をしている妻に紅茶かコーヒーかを聞いて、そのリクエストにも答える。
書斎にそのコーヒーを持ち込み、クラシックや軽めの音楽を聴きながらパソコンを開く。
季節が良くなってきた最近は窓を開けて外の空気を感じつつ、急ぎ返信するメールに返事を認める。
そして、今日はどのネタにしようかとリクエストの数々を眺め、直観でコレ!と思ったものを読み、回答を一度頭の中で組み立ててから、できるだけ丁寧に回答文を書き出していく。
その途中、娘が学校に向かうので玄関で見送ってからベランダに行って娘に手を振る。春の日差しがまぶしい。「ああ、寒くないな」と感じられる春はとても気持ちが良い。
朝日をたっぷり浴びてから再び書斎に戻る。
書き上げた文章を2、3度推敲したのち、その記事に合う画像を探してブログに掲載する。
その記事をメルマガにコピーして体裁を整え、冒頭のあいさつ文をこれもまた丁寧に書き出して発行手続きをする。
ブログにアップされた記事をツイッターとフェイスブックにも転ずれば朝のルーティンは完了だ。
その頃には息子も幼稚園に行く準備ができているので一緒にお迎えの「まあくん車」に連れていく。近所のパパ・ママと少し立ち話をして部屋に戻る。
しかし、その後も事務作業が少し残っているのでそれを済ませ、各セミナーやグループセッションの残席をチェックしつつ、今日のスケジュールを確認。
ある会場の請求書が昨日到着していたので早速ネットから振り込む。放っておくと忘れてしまうからそのときにやらないと。
まだ少し時間に余裕があるので昨日来た未開封の書類に目を通しながら今日のカウンセリングの準備をする。
今日は何を着ようかな~♪と鼻歌交じりにクローゼットを眺め、これにしよ!と思った服に着替えてリビングに行く。そこで本などを読んでいる妻と少し近況などを話して「じゃあ、行ってきます」とほっぺにチューをして家を出る。
抜けるような青空を眺めながら深呼吸し、駅までの道をぶらぶらと歩いていく・・・。

・・・これが私が長年夢見る理想の朝の姿である。


さて、現実は・・・。

いつしか朝方の生活が崩れ夜更かしをするようになったため、朝は重たい体を引きずりながら布団から這い出る。
リビングに行けば妻が子供たちのお弁当作りに余念がない。
もちろん、コーヒーを淹れる間もなく、とりあえず炭酸水を持って書斎に入り、メールチェックをして今日のブログの記事ネタを探す。
直観でこれにしよう!というとかっこいいが、ざっと相談文を見てパッと答えが閃いたものを採用することにしている。もちろん、それも意味のあることだけど。
だだだーっと頭に降りてきた文章をそのまま書き出していると娘が学校に行く時間になるので慌てて玄関とベランダで見送り、取って返して原稿の続きを書き出す。
BGMをかけてないことに気付いて「朝はやはりクラシックだよな」とスピーカーから弦楽器の優雅な調べが流れ出すと寝室から「パパ―、ご指名よー」との声が聞こえる。
会社に属していた頃から「ご指名」という言葉に大変弱い私はまだ途中の原稿を放り出して寝室に向かう。
シャレで始めたのだがすっかり「お馬さんに乗ってお布団駅からリビング駅に移動」が気に入った息子は最近、目を覚ますとパパの背中に乗りたがるのである。
寝ぼけ眼で、また半分機嫌も悪く、時々お馬さんの頭をはたきながら彼はリビングに移動する。もちろん、途中「洗面所駅」に立ち寄って無理からに顔を洗わせたりすると余計に機嫌が悪くなる。
ママがメイクをしている間に着替えをさせたり、ご飯を食べさせたり、蹴られたり、殴られたり、まるでかつての体育会系の下級生のようなことをさせられているうちに「まあくん車」の到着が分かり、ばたばたしながら妻と一緒に見送りに行く。
当然原稿は途中のため、取って返して妻と会話する間もなく原稿を書き進める。行いの良い日はその頃妻がコーヒーや紅茶を淹れて持ってきてくれるが、それをゆっくり味わう余裕などなく、書き上げた原稿を見返す暇もなくブログにアップする。
そのままメルマガに思いついたあいさつ文を書き出して、ツイッター、フェイスブックにシェアすればかなりタイトな時間である。
立ち上がりが遅い!!と文句を垂れながらネットバンキングで会場費の支払いを済ませ、何日も前から「中身を見なければ」と思い放っておいた書類に「今日もすまん!」と詫びを入れてからスケジュールの確認をして、急ぎ、着替える。
何を着ようか?もすべて「直観」である・・・と言えば聞こえがいいが要は目に付いたものを身に着ける。
そこで頭が爆発していることに気付いて急きょセットをして、おぉ、気付けばもう時間ではないか!!とカバンに荷物を放り込んで家を出る。
「行ってくるね!」「あ、はい。」との軽い挨拶を交わして玄関にダッシュする。
抜けるような青空に気付くのは「間に合った・・・」とほっと息をついた駅のホームである。
「こういう生活は改めたい!もっと余裕を持って朝を過ごしたい!」そう思うことすら習慣化した日常が今日も始まるのである・・・。
なんせ、最近は通勤電車の席に座りながらパソコンで記事を打つ技術をすっかりマスターしてしまったのである。

何とか優雅な朝を、、、と思うのであるが、どうもこれは性格らしい。
時間に余裕があってもそこに各種作業を埋め込んでバタバタさせるのは私の常とう手段であり、結局ぎりぎりになってしまうのが私の日常なのである。

だから、最近は私も大人になり、「これが自分なんだな」と思うことにしている。

「バタバタするのが好き」だし、「時間があれば用事を埋め込むのが好き」なのである。
出張先で「もう少し余裕をもったスケジュールにしろよ」と思うのだけど、ついカウンセリングが終わって夜時間があると、「ここで講座ができんかな?」とか「飲み会イベント、ついに企画するか?」などと考えてしまう。

ブログ記事などは読んで下さる方のためにも丁寧に書きたいと思う。
後から読み返せば、なんだか書きなぐったような印象のある文章も多い。
しかし、それが「私、根本」なのだと思うことにした。

それでいい、とか、悪い、とかではなく、それが根本、なのである。

結局そういうことがが好きであり、そういう自分が好きなのである。

本当に豊かな人、優雅な人たちは、新幹線で移動する際、グリーン車に座っても何もしていない。
雑誌を見たり、車窓の景色を見たり、のんびりされている。
私もよくそういう方々を見かけるのだけれど、自分には向いてないなあ、と思う。
私は新幹線に乗ればまずパソコンを出して電源をつなぎ、ポケットWi-Fiからネットと接続する。
特に東京に着くまでに仕上げねばならぬ原稿がなかったとしても、メールの返信やら何かしら用事はあるのでそれを見つけてやってしまう。
夢中になってパソコンを打っているうちに富士山を見逃したことも一度や二度ではない。
すなわち、新幹線を動く書斎にしているのだけど、実はそれが「好き」なのである。

朝、バタバタするのも「私らしい」し、なんだかんだそういう自分が「好き」なのである。

今日は息子の養生を目的としてもともとあった予定をキャンセルしたので実は時間はいっぱいある。
しかし、「止まると死ぬ」というサメ体質?マグロ体質?の私は、きっと「ああ、本の目次を作らねば!」「ああ、そろそろ仙台の告知も考えなければ!」などとあれこれ用事を自然発生的に思いついてバタバタするのであろう。

それが私であるから仕方がないのである。
むしろ、バタバタできる精神と体に感謝する方が手っ取り早いかもしれない。

ところで、しばらく前から手元にある中小機構や損保ジャパンから届いた封書が開けられるのはいつになるのだろう?

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