問題には無数の見方が存在する~息子が入退院しまして~



息子の病気という問題をいろいろな角度から眺め、そして、なぜこうなったのか?どうしたらいいのか?を理屈っぽく纏めてみました。
今回は自分の体験なのでコラム調にしております。

本当は伊豆高原のリトリートセミナーの懇親会が終わった後は一泊してから帰る予定だったのだけど、家から息子の調子がおかしく入院する旨通達があり、急きょ懇親会会場から最終の踊り子の乗客になった。

息子は日曜日に急にお腹が痛くなり、泣き叫ぶようになり、救急外来に駆け込んだそうだ。それを一人で差配した妻はさぞ不安だったことと思う。

ちなみにその日の朝、私は大室山の山頂にて高所恐怖症ぶりを発揮し、「無理―、あかん、怖い、あかん、あかん、怖い~」を連発していたのであるが。

原因が分かるまで随分と時間を要した。血液検査もレントゲンも異常なし。ノロウィルスの可能性が一番高いが検査では検出されず。
結果、被ばくを気にしながら主治医がCTで検査すると胃腸炎、それもどちらかというとひどい胃炎であることが分かった。
通常の胃腸炎であれば1、2日で退院ということだったが、症状を見るに1週間か、もう少し時間がかかるであろう、とのお見立てであった。

痛み止めが効いてそれまでの苦悶の表情から、普段の表情に少しずつ戻りはじめ、抱っこをせがんできたときは嬉しすぎて本当に涙が出た。
まだまだ弱々しい目で見られると心臓がきゅっとなり、いつまでも抱っこし続けたい気持ちがやってくる。それが自分がしたい愛情表現なんだだ、と確信せざるを得ないくらいの強力な感情だった。
妻も丸一日続いた苦痛が去り、ホッとして涙していた。

そして、そこから一晩が経ち、翌朝の息子はお腹が空いただの、外に出たいだの、騒ぎ立てるようになった。
一晩で痛み止めの点滴も不要となり、座薬の痛み止めも1回のみで、あとはふつうになった。食事も食べられるようになり、いつものようにお菓子を要求するくらいになった。

主治医の先生が首をかしげるくらいの変貌ぶりであった。
痛み止めもいらないし、ご飯も食べられる、となれば、入院し続ける必要もないので、このままだったら翌日の午後には退院という話になった。

「それにしても・・・、きっと薬がすごく効いたんでしょうね」と首をかしげながら、とても人のいい先生はおっしゃった。

さて、ここまでは長い前振りである。

本題は、お医者さんのお見立てでは1週間はかかるんじゃないか?と思われた息子の症状が一晩で改善したのはなぜなのだろう?
(それは時に同時になぜこの病気になる必要があったんだろう?という意味と同義である。)

1.薬が劇的に効いて炎症が去った。

2.子どもは自然治癒能力が高い上に、うちの子は普段から体を鍛えているのでその成果が一気に発揮された。

3.妻や私の仲間たちが愛や光を送ってくれ、遠隔から様々なヒーリングを施してくれたり、祈りを贈ってくれたので症状が劇的に改善した。

4.もともとパパと離れることが嫌だった息子がパパを呼び戻したくて作った病気のため、パパが出張先から戻って来てずっとそばにいてくれることを確認したら病気でいる必要がなくなり症状が改善した。

5.このところ何かと忙しくし、また、大きくなってきて放置されることも増えたため、改めてママの愛情を取り戻したくてこの病気を作ったが、入院してみると添い寝で寝てくれるわ、ずっと一緒にいてくれるわで、ママの愛に速攻満たされたため病気でいる必要がなくなった。

6.自分で作った病気なんだから自分で治せるはずだし、ガンが一晩で消えた事例もあるんだし、とパパやママが炎症が収まり、胃腸が元気になるようアファメーションやヒーリングをして、それが効果を表した。

7.入院先はかつて妻が深刻な病気を宣告され、冷たく対応された病院なので、妻にはそのトラウマの数々が残っており、それを現地で癒す(無条件化する)ため息子を病気にしたのだが、スムーズに無条件化を進めることができたので息子が病気でいる必要がなくなった。

8.このところ幼稚園での人間関係に悩みを抱えており、それをどう表現していいのか分からず、また、親たちは呑気にしているので何とかその深刻さを理解してもらおうと病気になったのだが、有り余るほどの愛をもらえたので病気でいる必要がなくなった。

9.このところ弟に親の愛を独占されていると感じていたお姉ちゃんが自分に目を向けさせようと弟を入院させ、結果パパとずっと一緒に過ごせることになったのだが、予想以上にパパがうざかったのですぐに弟を健康に戻した。

10.家族への愛を再確認するため私の一番のウイークポイントである「子どもの病気」を出現させ、改めて家族への思いを強めたので、息子が病気である必要がなくなり、すぐに改善した。

11.その日、私は伊豆高原の大室山でものすごい恐怖体験(=高所恐怖症ゆえ)をしており、その怖れを息子が吸い取り病気になったのだが(胃は怖れや不安を溜める臓器)、山を降り、セミナーで癒されたお陰でその負のエネルギーは解放された。そこから2日かかったのは肉体レベルの後遺症に過ぎない。

12.単なる偶然で、それ以上の意味はない。

さて、あなたはどれに共感するだろうか?
普段、あなたがどんな考え方に基づいて行動しているのかもこの結果から見えてくると思う。

私としては「3」が一番自然だなあ、と思うし、自分としては「6」に意識を置いていたし、妻の立場としては「7」だろうし、などと思うが、結果的に全部が原因であるとも言えるが、真実なんて分からない。
自分がそう思うものが真実になっていくのである。

息子の病気をブログで公表し、妻がフェイスブックに書いてから数多くの方が息子の病気の快癒を祈ってくれ、また、ヒーラーたちは遠隔から息子の体を癒してくれた。

「祈りはちゃんと届き、効果がある」というのはアメリカですでに実験・立証済みであり、私たち夫婦も何度もその体験をしているので、できるだけその事実を公表し、皆さんに助けて頂く気は満々である。
(そう言えば、これもリトリートセミナーのテーマの一つだった。)

そのお陰で息子の体が良くなったのは疑いのないことだと思う。
私や妻は素晴らしい仲間に囲まれているし、その運の良さや皆さんの愛にほんとうに感謝してやまない。

ありがとうございました。

さて、ここからはちょっとディープな話をしていこう。
皆さんの祈りが届いて息子が良くなった、というのは私としては真実だと思っているのだが、それは私がそう思いたいからに過ぎないのである。

例えば「7」だろうと思えば、私は息子の病気を妻のせいだと思っている、ということになる。それは「4」や「5」なども人のせいにしている、という意味では同じである。
逆に「11」だと思っていて、そこに罪悪感を感じているとすれば、私は息子の病気を使って自らの罪悪感を煽っていることになる。

見失ってはいけないのは「息子がお腹が痛かったが二晩で改善した」という現実である。
そして、それはただそこに存在しているだけで、すなわちとてもニュートラルなもので、それを見る人が勝手に意味付けをしている、ということである。

そもそも現実は自分が創り出しているのであるから、息子の病気を作ったのも私だし、それを改善させたのも私自身である。
もちろん、この現実を妻から見れば、この問題は妻が創り出し、妻が改善させたのであり、息子から見れば、自分でこの病気を作り、自分で改善させたのである。
その際、他人の援助や薬なども大切なこのイベントを盛り上げる出演者たちなのであるが、大事なのは主人公は「私」ということである。

「6」の発想は「私が創ったのだから私が治せる」というシンプルなルールに則ったに過ぎない。
そして、そのときは私たちの仲間のみんなの思いがとても大切で、その思いを受け取りながら、息子の体が戻るように意識を向けていた。
具体的には、
「この子の体はとても元気になりました」
「この子の胃腸はもうすっかりいつも通りです」
「この子の胃はとても元気に動いてます」
「この子の胃腸はとてもきれいな状態です」
などのアファメーションを息子を抱っこしながらひたすら使っていた。
同時に大室山やセミナーからもらったパワーや愛を思い出し、自分が知っている様々な方法で息子の体に愛を贈っていた。

こうした点は私も妻も共通認識なので、妻は妻で自分ができるあらゆる方法で息子に愛を贈り続け、そして改善させた。結果的にお互いが自分にできることをした結果、退院が早まったのかもしれない。
でも、どちらがすごいの、偉いの、ではもちろんない。

だから、息子の病気、という他者のできごとであったとしても、それは「私」の問題であり、「私」にできることをするのみなのである。
この世界は「私」が創っているのだから。

結果、この問題は「出し惜しみせず、もっと愛を贈りなさい。もっと愛しなさい。」というメッセージだったと思う。
すべての問題のメッセージと共通するのであるが。

私の休暇である3日間にピッタリ合わせて入院したのもまた私の自作自演なのであろう。
そういえば、前回は私の休暇に合わせてインフルエンザになった。
もしかしたら、仕事でいっぱいの頭をリセットするために必要な手段がこうしたものかもしれない。
となれば、頭をリセットするもっとリスクの少ない方法を見つけるのが目下の課題と言えるかもしれない。

息子の病気、というイベントも「私」が創っているとなれば、学びは無限にある。

ともかく今回もまたいろいろなことを学ばせてもらった。
原因が分かるまでとても不安だったのだが、不安になればなるほど依存したくなる気持ちを体験でき、それを「自分」に振り向けることで、こうした状況の中でも静かで平和な気持ちを取り戻すことができることを学んだ。

「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいと脳が認識するのである」ということをご存知だろうか?
不安でいっぱいの時、できるだけ笑うようにした。形だけでも。
そうすると脳内に何かが分泌されるのであろう。気分が改善していくことも久々に体験した。

「今自分にできることは何だろう?」というシンプルな問いかけをして、それをただシンプルに実践していった。
今できることに意識を向けることはやはり心を平安にし、自信を与えてくれるものであった。

信じること、頼ること、まさしくリトリートセミナーのテーマであったのだが、それがまさかセミナー終了後に実習させられるとは思わなかった(笑)
だから、散々セミナー中、参加者にSっぷりを発揮していたことを心の中で全力で詫びていた。「次回はもっと優しくしますから!」って(笑)

問題には無限の見方があり、その問題は自分自身が創ったもので、自分自身で解決できるもの、という意識をまた新たにすることができた。

とりあえず、元気になった息子が「お馬さん」をせがんで来てうるさいのでしばし、パパの部屋駅からリビング駅までこいつを乗せていくことにする。
片道で許してもらえればいいのだけれどまさかそんなに甘くはないだろう。

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