男女関係のカウンセリングでの「あるある」なのだが、付き合いが長くなればなるほど、お互い、自分と相手が同じであるように誤解してしまうようである。
自分の価値観と相手の価値観が違うことくらい“頭では”重々承知なのであるが、意識していない領域では、なかなか思いが及ばないことが多い。
ゆえに、自分の価値観を相手に押し付けてしまうことも多いのである。
一言でいえば「あなたの常識、相手の非常識」なのである。
そうした例は枚挙に暇ないが、例えば、こんなものがある。
「私は悪いと思ったら素直に謝るタイプ。だから、彼はこの件で一切謝罪がない。ってことは、悪いとは思っていないんだわ」
「体の調子が悪ければふつうは病院行くなりするよね?少なくても仕事休むよね?彼、大丈夫、大丈夫って言って、全然気遣わないの。変じゃない?」
「ふつう遅刻するときは事前に一言連絡してくるよな?あいつ、全然何も言ってこないし、遅れてきても全然悪びれないんだぜ。おかしくないか?」
「何かというと、将来どうするの?私たちどうなるの?って聞いてきて、ほんとウザいんだよな。そんなのわかんねーじゃん。これからどうなるか、なんてさ。」
さて、皆さんはこの4人の意見をどのように読んだのだろう?
つい、自分と同じかそうじゃないかって見方をしてしまわないだろうか?
さらには、「この人は正しい」「この人は間違ってる」と判断していないだろうか?
例えば、最初の人の意見を読んで「でも、男って謝んない人多いよね。だから、ごめんって言わないからって悪いとは思ってないってのは決め付けだよね?」と、彼氏の方を擁護する方も少なくないと思う。
しかし、彼を擁護した時点で、この発言をした彼女を否定していることにお気づだろうか?
どちらが正しい・間違ってる、という判断を私たちはしがちなのだが、その時点で関係性が壊れてしまうことも多いのである。
私が正しい、彼が間違っている。
俺が正しい、あいつが間違っている。
悪意はないことがほとんどであり、いい関係を築きたいと思っていると思う。
ところが、そうした思いが「自分の常識」になってしまうと、相手もそうすべきだと、相手の思考や行動を束縛してしまうのである。
そして、常識は気付きにくいし、また、非常識は理解しにくい。
「常識」であるから、相手も自分と同じ「常識」を持っているだろうと思う。
それが「悪ければ謝る」「体の調子が悪ければ病院へ行く」「遅刻するときは連絡する」「将来のことは分からない」であり、だから、相手も同じ思いを持つべきだ、という押し付けがここに生まれるのである。
じゃあ、どうするか?
潜在意識にある常識なんて、なかなか気付かない。だから、そうした違いがあることを知ったうえで、出たとこ勝負である。
「悪いことしても謝らない人がいる」という発想を持つくらい、余裕を持つ必要がある。
それは「理解する心」だと思う。
相手の行動を正誤や善悪で判断するのではなく「なぜ、彼は謝らないんだろう?悪いと思っていないからなのか?それとも違う理由があるのか?」と彼を理解しようとする姿勢、意識を持つことである。
分からなくてもいい。でも、違いがあるんだろうな、自分が思っているのとは違う現実があるのかもしれないな、という見方が二人の関係に潤滑油をもたらすのである。
カウンセリングでは、そんな話をいつもしている。
「ああ、彼はきっと罪悪感が強いタイプなんだよね。だから、なかなかごめんって言えないんだよ。でも、彼の態度を見れば、悪いと思ってるってことはよく分かりますよ。なぜかというとね・・・」
「彼は病院嫌いなの?医者を信頼してないの?ああ、それとも、体力を過信してるのかな?なんでだと思う?男って女性と違って生理がない分、体のことに無頓着な人も多いんだよね。もちろん、病気して初めて気付くってパターン。だから、何度も伝えて分かってもらおうとするか、だよね」
男ってね、女ってね、彼の育ちを考えるとね、彼女の前の失恋を考えればさ、みたいにね、相手を理解しようとしていくと、人の深さが分かります。
誰一人として「浅い人」なんていないんですよね。
一人一人深淵で、魅力的な世界を持っているんです。
カウンセラーってそういう世界に遊びに行く仕事だから、旅好きな私には合っているんだろうと思う。
理解できなくてもいい、でも、何かあるんだろうな、っていう目で見てあげるだけで、不可解な行動にも寛容になれるんじゃないだろうか。
#ただ、こういう話を書くと「浮気」とか「ギャンブル」とか○○などの“絶対悪”みたいなものに言及したくなる方がいるのだが、その気持ち、よく分かる。私も同じだから。悪いことは悪いとちゃんと言って叱ってあげることも大事。そして、なぜ、そんなことをしたのかを理解してあげることもやはり大事、だと思っている。