*
子ども時代に愛情に飢えると(我慢してくると)思春期以降、誰かに依存することで、親からの愛情を埋めようとすることがあります。
でも、それは不自然なことではなくて、当たり前のこと。
だから、自分で自分を子育てする気持ちで向き合っていくとその思いも手放せるのです。
*
文章がとてつもなく苦手でまとまりがないとは思いますが、ネタにして頂ければと思います。
同性不倫が始まる前に、旦那の浮気がなおらないことに悩んでいたり、育児、家事、仕事、全てのことをこなすことに、毎日頑張りすぎてしまっていたところ、7年前高校のときに付き合っていた同性の子から連絡がありました。
高校のとき精神的にもかなり頼ってしまっていて、完全に依存していました。
それをわかっていて気をつけていたのですが、また連絡を来たのをきっかけにどんどん惹かれていき依存してしまいました。。。
半年前、もうこんな依存して苦しい思いから抜け出したい、逆に相手に依存している自分と葛藤する中、相手ともうまくいかなくなり、相手に好きな人ができたということで、終わりを迎えました。
半年間根本先生のブログを読みあさり立ち直ってきたと思ってきましたが、SNSをきっかけに連絡を取ってしまい、またあのときの思いがぶり返してきて、苦しいです。。
それをきっかけにようやく自分の幸せを考えるようになり、旦那とは今は離婚を前提に別居しています。
家庭環境としましては5人兄弟の真ん中です。笑
両親は私たちを養うために、必死に働いてくれていました。高校時代はお金はなく貧しい思いをしながら過ごしていましたが、両親にはとても感謝しています。
こんなに旦那ではなく同性の相手を引きずってしまったりこだわってしまうのは、ただ単に私が自分に幸せになっていい許可を出せていないだけなのでしょうか。
それとも、ずっとその相手を思い続けている自分に浸って甘えて現実を見ないようにしているのでしょうか。
もしネタになれば使って下さい!!!
(Sさん)
例えばそれが同性ではなく異性だったらまた捉え方が変わるのでしょうか?
それとも変わらないと思いますか?
私は相手が同性だから、異性だからってあまり関係ないんじゃないのかなあ?と思うたちなので、ざっくりまとめてしまえば、
元々旦那さんとの関係で悩んでいた
→かつて付き合っていた人から連絡が来た
→行き場のない思いをその相手に向けた
→でも、その相手ともうまくかなくなって辛い
→別れたあとも連絡を取ってしまい苦しい
→ずっとその人のことが忘れられない
ということなのんかなあ、と思うんです。
それは同性でも異性でも変わらないと思うんですけど、どうなんでしょうか。
そして、そうしたことをきっかけに自分の幸せを考え、別居に至っているとするならば、着実に前に進んでいますよね~
だから、私のセッションだったらきっと「いやあ、めちゃくちゃ順調っすね!」なんて言われてきょとんとしちゃうかもしれません(笑)
例えば、バイセクシャルな方のカウンセリングをする時に、
「結婚とか世間体を考えれば異性の方がいいって思うんですけど、でも、私の中には同性を求める気持ちがあって、でも、そこには罪悪感もあって」
という話になることもあります。
私も長年こういう仕事をしてきているので、セクシュアルマイノリティな方からのご相談を頂くこともあるんですけど、「守備範囲が広くなっちゃって大変だよね~」なんて笑い話にしながら、「結局は自分が心地よい方に進むのが幸せだよね」という話をさせてもらいます。
>こんなに旦那ではなく同性の相手を引きずってしまったりこだわってしまうのは、ただ単に私が自分に幸せになっていい許可を出せていないだけなのでしょうか。
>それとも、ずっとその相手を思い続けている自分に浸って甘えて現実を見ないようにしているのでしょうか。
Sさんの本音って何だろうね~と思うんです。
ほんとの気持ち。
いろんな思考や感情をかき分けかき分け辿り着く奥の奥の気持ち。
例えば、あるクライアントさんは結婚したんだけど、やはり同性の元恋人が忘れられず、子どもを連れて離婚して、その人の元に駆け付けました。
その後、彼女と一緒に子どもを育てていて、その息子はお母さんのことは「おかあたん」、彼女のことは「ママ」と呼んでるのです。
(実際、彼女はお店をやってるのでママという呼び方がちょうどいいそうで)
だから、同性の相手を引きずってしまうことと、幸せを許可できないことはあまり関係ないと思うんですよね。
それともSさんにとって、同性愛というのはまだちょっとタブーな感じが残っているのでしょうか?
私はそれは気にしなくてもいいと思ってるんですけど・・・。
「私の幸せって何だろう?」ということをタブーを外して考えてみるといいんじゃないかなあ、と思います。
*
ということで、もう少し踏み込んで考えてみましょうか。
なぜ、彼女にそんなにも依存してしまうのか?
5人きょうだいの真ん中、つまり、中間子って早く自立しやすいのです。
この辺の詳細なお話はオンラインスクールで扱っています。良かったら参考にしてください。
2019/1/28号「中間子次女について。」
>https://www.mag2.com/archives/0001677732/
家も貧しく、両親がずっと忙しく働いていたとなると、やはり甘えることは難しかったのかなあ~とも想像できます。
そうして子ども時代に甘えられないと、家族の外に甘える対象を求めます。
・・・とはいえ、これは程度の差こそあれ、誰にでも生まれるものですけれど。
それが高校時代の彼女だったのかな、と思うんです。
で、同性ということもあって気持ちが通じたり、分かりあえたりするのは異性の比ではないですから、まるでお母さんのように(時にはお父さんのように)甘えてしまったのかもしれません。
そして、その思いがずっと心の中に残っていて、今回、それをまた求めてしまうようになったのかもしれないですね。
似たケースはほんとうにたくさんあって、誰もが似た経験を持っているようにも思いますが(同性か異性かを問わなければ)、やはり、自分の中にいる甘えられない子、満たされないままでいる寂しい女の子が今の辛さを作っているのかもしれません。
ご両親のことを尊敬し、感謝していることは素晴らしいことです。
しかし、その一方で、寂しがっている自分もいるんです。
ある面では感謝をしていて、別の面では寂しさを持っている、ということは全然珍しいことではありません。
となると、今度のテーマは「自分がその寂しがってる女の子を受け入れる」というプロセスになります。
その役目を他人に任せるのではなく(そうすると依存して他人軸になりますからね)、自分自身である程度面倒を見れるようにするんです。
「私が私の面倒を見る」ということですが、それは悲壮な決意を伴うものではありません。
それは自分が自分を満たしてあげる、ということで、これは子どもではできないことです。
それは心との対話であり、心の声を聴くことです。
*
そして、もう一つ。
Sさんは育児、家事、仕事のすべてをこなしてきたそうですから、相当忙しくされてきたんだろうと思います。
そんな自分を労ってあげているでしょうか?
そして、大切なことですが、もしかするとそうして頑張ってる私ってかつてのご両親と同じ姿なのかもしれないですよね。
お父さんやお母さんがしてきたように、形は違うけれど、ご自身も同じような忙しい中に身を投じてきたのかもしれません。
そのことは、それくらいSさんがご両親を愛していらっしゃることを意味しています。
そうすると、ご自身の両親への愛を確認すると同時に、両親からの愛を受け取る、ということも、今のSさんに役立つアプローチなのかもしれません。
ちょっと風呂敷を広げてしまったような感もありますが、できる範囲で自分を満たしてあげること、そして、両親との関係をもう一度「愛」をもって見つめ直すことなどを始めてみてはいかがでしょうか。
そうするとついつい甘えすぎてしまう癖は解消されていくんじゃないかと思うんです。
これからまさに新しい人生がスタートしますね!
自分らしく、自由に、好きなように、これからの人生をデザインしていけたら最高だな!と思って応援しております!!
★毎週月曜日はオンラインスクール!
登録はこちらから!!
https://www.mag2.com/m/0001677732.html