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それが私なんだからしょうがないよねえ・・・と私は思います。
相手の基準に自分を合わせる必要はないし、自分の考えを無理に曲げる必要もないですよね。
自分らしく、心地よい関係を築いていくのが一番いいですね。
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自己評価が低いのか他人を信じられないのか分かりませんが、私は親しい友達などに対しても「言っても100%理解はしてくれないだろうな」「私のことなんてそんなに気にならないだろうな」などと思ってしまい、つい自分の中の問題事を隠したり、誤魔化したり、言葉足らずになったりしてしまいます。
そのせいでたまに「なんでちゃんと説明してくれなかったのか」「知らされてなかったから気分が悪い」などというお叱りを受け、私も「そうか、言うべきだったのか…」と気付き、言い訳がましく説明して謝罪する…という流れが起きます。
私としては、親しき仲にも礼儀あり?だし、自慢話も不幸話もなんでもかんでも開示することに抵抗があるし、ある程度自分の中で過ぎてから伝えたほうがいいのでは?と思って 良かれと思ってしている行動なのですが…。
基本平和主義なので友達と喧嘩などはめったにしないですが、たまに揉めるとなると必ずこのような↑パターンで怒られます。
私がもっと普段からなにも気にせず心をオープンにして喋ったりしたほうがいいんでしょうか?
(Aさん)
「ま、そらしゃあないよね。それが私だもん」
で、いいんじゃないでしょうか。
「心をオープンにした方がいい」という考え方の人もいるし、時にそういう人はそれを「正しい」として主張してくるのでめんどくさいですよね?(笑)
オープンさにしても「どこまでオープンにするのか?」ってことになるじゃないですか。
例えば、私が先ほど天満橋の京阪モールでしたウンコの色と形と水分比率についてオープンにしても喜ぶ人なんていないでしょう?
オープンにしろ!って言われたから、オープンにしたところで、「そこまでオープンにせんでいい」「まだまだオープンさが足りない」って相手の基準でジャッジ(判断)されることになるので、あんまり気にしない方がいいんです。
だって、それが私だもん。
Aさんが友達から言われる、
「なんでちゃんと説明してくれなかったのか」
「知らされてなかったから気分が悪い」
というセリフにしても、ちゃんと主語を付けてみれば
「(私が知りたいことを)なんでちゃんと(私に)説明してくれなかったのか」
「(私がそのことを)知らされてなかったから(私が)気分が悪い」
ということで、その本人の「勝手」なわけです。
でも、いい人でいたかったり、嫌われるのが怖かったり、孤立したくなかったり、相手に気を使っちゃったりする人は、「ああ、相手が望むなら、そういうことをしなきゃダメなのね」と、改めていい人ぶりを発揮しちゃうんです。
それも別に悪いことじゃないですよ。
優しさですし、思いやりですし、平和主義だし。
とはいえ、それって私がよく言う「他人軸」なわけです。
案外人って勝手で「なんでそのことを言ってくれなかったの!」と言った同じ口で「そんな話聞きたくない!」ってやるもんです(笑)
「今、忙しいから後にして」とか。
だから、その人はそういう考え方なんだな~と線引きをしておくのがいいと思います。
で、その人とこれからも仲良くしたい場合には、
「ごめんなー、あたしって何伝えていいか分からへんタイプやねん。だから、敢えて秘密にしてるとかじゃないねん。それで知りたいこと会ったら何でも聞いて欲しいねんなー。そしたら何でも話すから~」
ってさらっと言ってあげてください。
その時にAさんのことを大切に思ってくれるほんとの友達なら、
「せやな、確かにAちゃんはそういうタイプやもんなー。分かったわー。なんかあったらぐいぐい聞いたるわ~」
ってことになります。
もし、Aちゃんとは表面上の付き合いでよろしいわ、と思っている人なら、きっとそのまま距離が空いていくと思います。
そしたらAさんも、そんな余計な気を使わなくても済むようになるので好都合ですよね~。
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ちなみに私なんかも職業柄「聞かれなきゃ答えない」ってタイプです。
男の人はそういう人も多いかもしれません。
だから「分かってたんなら教えてくださいよー」なんて話を時々伺うんですけど、「そら、知らんがな~。なんで、聞かなかったん?」って答えることにしています。
そもそもこちらが話したって相手が聞く耳持たないと意味ないでしょう?
キャッチボールしてて、相手が取る気があるかどうか分からなければ、ボール投げられないでしょう?
だから、相手が「よっしゃ来い!」ってグローブを構えてくれたら投げたらいいので、そうじゃないのに投げたらかえって失礼だと思うんですよね~。
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私たちの周りには「自分の価値観が絶対正しいと“無意識に”信じ込んでいて、それを押し付ける人たち」がいます。
別に彼らも悪気があってやってるわけではなく、むしろ、「良かれ」としてしてくれてることが多いんですね。
でも、彼らにとっては善意なものが、こちらにとっては悪意になることもあるんです。
その逆も頻繁に起こります。
だから、嫌なのに気を使ってその善意に応えようとすると、心のバランスを崩しやすくなります。
また、善意を悪意と受け取られてしまったときも、そのボールを投げたこちら側に見落とした点があるわけで、相手を責めたり、正したりする必要もないわけです。
お節介な人もいて、あれやこれやと押し付けて来る人もいますが、そういう人もたいていいい人です。
で、同じくいい人がそれを無理やり受け取ろうとしてしんどくなるのは、「いい人といい人がいい関係を築こうと思って失敗する事例」になります。
残念だし、もったいないですよね。
「お気持ちだけで」という言葉がありますが、こういう時、使えます。
お互いに愛情や善意から行動しているだけで、ただ、やり方が合わなかっただけ、ということ。
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いい材料が入ったからいつもうちを気に入って通ってくれる根本さんに美味しいパスタを食わせてやろう!とある料理人が気合を入れてアラビアータを作ってくれたとします。
けれど、唐辛子が苦手な私としてはとてもヤバい現実が目の前に現れます。
で、私がいい人をふんだんに発揮して、その刻まれた唐辛子を微妙に避けつつ、そのパスタを食ったとしても全然ハッピーじゃないんです。
きっとその店に行く回数はグッと減ると思うし、その料理人してもいいことではないでしょう。
美味いものを食わしてやろう!という心意気はいいし、その店が好きで通っていた私も楽しみんにしてたんですけど、残念ながらその「作り方(やり方)」がズレていたんです。
どっちが悪いんでしょう?
どっちも悪くないです。
料理人は「何か苦手なものってあったっけ?」と根本さんに聞いていなかったんだし、根本さんは「辛いのあかんねん。ワサビはいいけど唐辛子があかんねん」と伝えてなかったんだし。
でも、そういうことってよくありますよね。
だから、そういう時に根本さんは
「すまぬ!こう見えて僕、辛いのダメなんすよ!せっかく作ってくれたのにごめん!」
と言えばいいですし、根本さんのことを大切なお客さんだと思ってくれてる料理人は、
「ほんまかいな!すまん!知らんかった。すぐに作り直すわ。待っててな!辛くなきゃええねんな!よっしゃ!」
とアラビアータの皿を持って厨房に消えるでしょう。
そういうことがあると話のネタが一つ増えるから、このトラブルはお互いの仲をさらに深めてくれることにもなります。
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「自分軸」ってこういうイメージです。
なかなかうまく行かない時も多いけれど、人間関係で「あれ?」と思ったときに思い出してみてください。
「私は私、人は人」
それで適切な距離を取ってお互いに心地よい距離感を築いていくのです。
>私としては、親しき仲にも礼儀あり?だし、自慢話も不幸話もなんでもかんでも開示することに抵抗があるし、ある程度自分の中で過ぎてから伝えたほうがいいのでは?と思って 良かれと思ってしている行動なのですが…。
そう、それでいいんです。
「私はそういう人だもんなー。今日履いてるパンツの色まで親しいからって人に言いたくないもん」でいいんです(笑)
で、自分軸を確立しつつ、親しい人に対してはふだんから「あなたのことが大切なんだー」とか「あなたのいいところは○○だよー」とか「いつも○○してくれてありがとー」って伝えていたらいいんですね。
そしたら、その人の中でAさんの重要度はますます高まります。
そしたら「なんで言ってくれへんかったん?」って言われても「まあ、あんたそういう人やもんな。聞かんかったあたしも悪いわ」って納得してくれるようになります。
ま、それも相手次第ではありますが、まずは自分軸を確立しましょう!って話です。
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