(渾身の7日間実践レポートを頂きました!)でも、それが私だから、それでいい。




9/14発売の新刊「敏感すぎるあなたが7日間で自己肯定感をあげる方法」(あさ出版)にて、今回はAMさん(女性)から頂いた7日間の懇親の実践レポート。
毎日じっくり自分と向き合い、読み進め、ワークをして下さった結果、彼女が辿り着いたのはまさに「自分軸」の状態であり、自己肯定感がぐぐぐーっとあがった世界でした。

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プロローグに、「本書のテーマは『自己肯定感を高めること』『他人軸ではなく自分軸で考えること』」と書かれていて、まさにいまの私に必要な本だ!と胸が高鳴りました。
しかもそれは「7日間のプログラム」に沿って実行すれば達成できるとのこと。マニュアル本が好きな私としては、なおのことそそられます。
これは性根を据えてかかろうと肚を決め、実際に7日間取り組んでみました。

〔1日目 今の自分に意識を向ける〕
私は、自分がどうしたいのかがわからない。それなのにいつも「だれかに認められたい、ホメられたい、スゴいと思われたい、好かれたい」という欲求だけが膨れ上がっていた。
ヒトに接すると、劣等感か優越感しか湧いてこない。そして、つねに相手の顔色をうかがい、その態度に振り回されっぱなしだ。
ヒトにホメられるとうれしい→幸せ、ヒトにホメられないとガッカリ→不幸という図式。相手の反応次第で自分の幸不幸が決まってしまうという、非常にイタい依存状態だった。というわけで、私は「他人が自分をホメるかホメないか」という一点において「超絶敏感すぎる人」なのだ。
「1日目セクション」で挙げられている事例には、そういう自分にぴったり当てはまるものがとても多くて驚いた。「~しなきゃいけない」にもがんじがらめになっていた。そして、とくに罪悪感が引き起こすイタい事例(自分を苦しめる行動をわざとする)や解説は、読んでいてもかなり苦しかった。まさに自分だよね、アイタタ……
セクションの終わりには「自己肯定感を高めるワーク」が示されていたので、新しいノートを用意してどんどん書き出していった。

〔2日目 過去を見つめなおす〕
最初からいきなり「学校生活は楽しかったですか?」との問いかけ。その瞬間もう読むのをやめたくなったが、ああ、そう感じるのも自分なんだよねえと思いながら読み進める。どん底だった思春期にはずっと目を背けていたが、そうか、2日目の課題だからやろう。やると決めたからにはやろう。
「ショックだった出来事は?」「恥ずかしかった出来事は?」と次々問いかけがあり、よくもまあ、「そこは突かんといてや」という内容ばかりでげんなり。しかし、クライアントさんの実例などもくわしく書かれているので、ああ、自分だけじゃないんだと救われる。
思い出したくない経験にフタをして「なかったこと」にしてはいけない。つらかった過去を淡々とノートに書き出し、そうだね、しんどかったねとただ感じることにした。
と同時に、私は傷つくことを極端に恐れていて、そういう状況が起こりそうになると、事前に巧妙に避ける行動ばかり取っていたことにも気づく。

〔3日目 過去の家族関係を見つめなおす〕
ついにこのときが来たか、と感慨深く3日目のタイトルを見つめ、今日を特別な日にしようと覚悟する。私は重症の母子癒着で、長年母から離れることができなかったからだ。一文一文根本先生の声を再現しながらじっくり読んでいく。
私の母はいつも怒っていた。怒鳴ったりわめいたり、殴る蹴るも日常茶飯だった。そんな母からしばしば「自分を無くしなさい」と言われた。そのときだけ母は冷静で、これは何よりも大切なことだから必ず守って欲しいというニュアンスを込めて「だれかを前にしたら、もう『自分は無い』んだよ。自分を無くして相手の言うとおりにしなさい」と諭した。
私は小さいころからその鉄則に従おうと努力したが、非常にむずかしかった。うっかり自分の考えを口にしては「わがままだ!」と激しく叱られた。母の望み通りになれない自分を責めたり、要求水準がとても高い母を恨んだり、延々と果てしなく悩み続けてきた。
「3日目セクション」には、そういった「ハイレベル?なお母さん」の例がたくさん挙げられている。そして、コドモがどんどん自分らしさを失っていく過程が描かれており、寒々とした思いに見舞われた。それは過去の自分にそっくり重なった。
「心配性なお母さん」もそのまま当てはまり、そうそう、母の心配を消して回るのが私の重要な仕事だったよね。だが、消しても消してもあちこちから火の手が上がるので絶望的になり、いつも無力感にさいなまれてきた。
この「3日目セクション」は予想通り読み進めるのがとても苦しかった。大量のワークを書くのもつらかった。けれども、自分がなぜ「どうしたらいいのかわからない」という状態に陥っているのか、その理由がわかってきた。
それは、これまですべて「母ちゃん軸」で生きてきたからだった。私は母の価値観以外の世界を知らない。だから、いま一人でどうやって生きたらいいのかがわからないのだ。

〔4日目 自己肯定感を高める〕
この3日間、日ごとに落ち込みがひどくなっていったが、今日からやっと自分軸の確立に入るのでホッとする。
「最近、人から褒められたことを思い出す」ではほとんど思い浮かばなくて撃沈してしまったが、次の「自分の価値を瞬時に知る方法」はめざましく効果があった。根本先生のブログやセミナーで聞き知ってはいたものの、きちんとノートに書いてみるのははじめて。
ネタバレになるのでここでくわしく書くのは控えるが、私にはとても効果があったので、毎日ノートを見返してはニヤニヤしている。これはホントにすぐ効くよく効く。
それ以外にも、自己肯定感が低い人にありがちな具体例がたくさん挙げられており、では、そういうときにどうしたら自己肯定感をアップできるのか?という方法が、わかりやすいたとえ話などでたっぷり紹介されている。「落ち込んだときに、自己肯定感を高める二つの言葉」も、これから毎日唱えることにした。
といっても、長年沁みついた自己否定グセを直すのは容易ではない。そのあたりはもちろん根本先生がいちばんよくご存じなので、あの手この手で自己肯定感を高めようと、さまざまな方法を展開されていてまさに圧巻。
「心のなかの自分と対話する」という具体例まで記されていて、なんというか、失礼ながら涙ぐましいほど至れり尽くせりの方法を開示されているので、そりゃもう、ここまで書いてもらったら「とにかく実行あるのみ」と奮い立つ。
私はもう他人に振り回される人生にケリをつけたかった。もう母ちゃん軸には辟易していた。でも、この通りにやれば「自分軸」になれるんだ!
私は「本来の自分」を取り戻したい一心で、このセクションの内容を次々とノートに抜き書きしていった。

〔5日目 自分のペースで人間関係を築く〕
朝、目が覚めたとき、「ああ、どっちでもいいんだなあ」という思いが湧いてきた。どんなことでも、やってもいいしやらなくてもいい。Aを選んでもBを選んでもいい。お金を使ってもいいし使わなくてもいい。それを選ぶのは「自分だけ」で、そこに他人は関係しない。
まだぎこちないけれど、ああ、これが「自由」なのかなという感覚を味わいながら、「5日目セクション」に取り組みはじめた。まずは「感情の解放」ということで、根本先生のブログではおなじみの「お恨み帳」に当たるものからはじまる。
じつは「母ちゃんに対する恨みつらみ」はすでに吐き出し済みで、以前とりあえず200個書き出したことがある。まだ文句は尽きなかったが、そこそこスッキリした気分になれたのでそこで終了していた。
今日は、過去に書いたお恨みリストを読み返してみたのだが……常識では考えられないような母の言動が並んでいた。いったいなぜ母はこんなヒトになってしまったんだろう?
「5日目セクション」を読み進めながら考えていたら、ああ、やはりそうなんだと思い当たった。それは、母の生い立ちが深く影響しているにちがいない。母の実母は、母が6才のときに家を出てある男性と駆け落ちしてしまった。その後、継母が来たものの冷たくあしらわれる。母が11才のとき継母は子供を産んだが、のちに空襲の際その子は死んでしまい、けれども母は生き残ったため、いっそう悲惨な状況になった。
「私が死ねばよかった」「私なんか生まれてくるんじゃなかった」と、母はときどきひどく思い詰めた表情でつぶやいている。それは高齢になったいまでも変わらない。
これほど過酷な幼少期を過ごしたひとには、いくら自分の子供とはいえ、かわいがったりやさしくしたりする余裕はないよなあ。そもそも母自身、誰からもかわいがってもらったことがないので、ソレがどういうものなのかもわからない状態だろう。
母はいつも怒りをぶちまけていたが、あれはじつは自分の実母や継母に対してやりたかったことなのだ。
そして、母が私に言い聞かせていた「自分を無くしなさい」という言葉。あれは、母が生き延びるための唯一の信条だったのだと気づいた。ひたすら自分を無にして何も言わずに耐え続けてきた母。なんと哀れな女の子だろう!
私はしばらく涙が止まらなかったが、突然ある思いが降ってきた。いや、私は母の本当の姿を知っている!
「本当の母」は私に無償の愛を注いでくれている。あの怒鳴り散らしている母は「仮の姿」であって「本当の母の姿」は表立って見えないだけなのだ。母の心の奥底には子供への深い愛情が息づいている。それは何の根拠もないけれど真実にちがいないと私は確信した。そして、母に対してはじめて感謝の気もちが心の底からあふれてきた。
「5日目セクション」には、根本先生がご自身の両親に対する思いも綴られていて感慨深かった。私はまだまだ母に対して甘えが残っている。甘えさせてくれるというだけでも、いかに母が私を愛してくれているかという証拠だ。
このセクションには、自分軸で生きるとき、具体的にどのように他人と接するか?というやり方もくわしく書かれている。この具体的なレクチャーがとてもわかりやすくて、普段の生活ですぐにそのまま実践することができる。

〔6日目 敏感であることを強みにする〕
昨夜は、母に対するさまざまな思いが入り乱れて、なかなか寝付けなかった。まだ過渡期なんだろう。
さて、6日目のタイトルには励まされた。長年悩んでいたことが、逆に強みになるとはうれしい。読んでいるときに気がついたが、自分軸になると、本を読んでいても感じ方が変わってきた。まだ他人軸だったころは、書かれていることすべてを吸収しないといけないと気負っていたが、いまはそうでもない。たとえば「優しすぎる人」について書かれている項目はあっさり目を通すだけ。なぜなら私はそんなに優しくないから。
でも、優しくない自分を認められるようになったり、一字一句余さず読む完璧主義から逃れられたりと、本当にラクになったなあと実感する。
このセクションでは「他人軸→自分軸」に移行したひとたちの実例が挙げられていて、ますます心強い。「自分軸ステージ」ってこんなに魅力的なんだと感動。
そしてあらためて驚くのが、根本先生の切り口の多彩さだ。敏感すぎる人たちが、それを強みとしてどのように仕事に活かせばよいかを、いろいろな職業をあげて解説しているが、先生のセミナーと同様、よくまあこれだけ引出しが豊富にあるものだと、おこがましくも感心する。

〔7日目 自分が本当にしたいことを実現する〕
とうとう最終日を迎えた。
私は、長い間ずっと他人軸(とくに母ちゃん軸)で生きてきたが、いまは自分軸を知ることができた。で、自分軸になってはじめてわかったことがある。それは「他人軸で生きているときには、『自分軸で生きる感覚』がまったくわからない」ということだ。
そりゃあ、自分軸の経験がないのだから当たり前といえばそれまでなのだが、他人軸時代には想像すらできなかった「なんとも言えない不思議な境地」、それが自分軸だった。
他人軸から自分軸に移り変わるときは、思いがけない気づきがどんどん降ってくる。しかもいきなり突然すごいモノが降ってくるのでびっくり仰天の毎日だ。
いままで降ってきたなかでも、メガトン級の気づきがひとつあり、それは「私は、すでにいま、このままの状態で幸せなのだ」ということ。これは大きな衝撃だった。しかし、自分の根底から湧いてくる大きな充足感はまちがいなく本物であり、ああ、そういうことなのか、私はいまのままで十分幸せなのだとただ頷くばかりだった。
それで? じゃあ私は何をしたいのか? しかし何も思い浮かばない。すでに満足しきっているので、これ以上何も欲しいものがないというのが正直な気もちだった。
だから、この「7日目セクション」のタイトルに首をかしげながら、恐る恐る読みはじめた。そこでは「自分らしく生きるとはどういうことか」についてくわしく語られていた。私がとくに腑に落ちたのは、他人軸時代では機能していたやり方が、自分軸になるとうまくいかなくなるという点だ。
まったくその通りで、私がこれまでに手掛けてきたものは、ことごとく他人軸を強烈な原動力として動いてきたものばかりなので、自分軸となったいま、コヤツらは丸っきり役に立たなくなってしまった。
つまり「他人軸=だれかに評価される」なので、私が以前やっていたことはすべて「だれかにスゴいと言われたい、だれかにがんばったねと言われたい、だれかに役に立ったと言われたい」という欲求がベースになっていた。
それが、自分軸になったものだから、はは……やりたいことがなくなってしまった。確かにいま本当に幸せでゆったり安らげる毎日だが、長い他人軸時代につちかったモノはいったい何だったんだろうと少しばかり虚しさを覚えていた。
ところが!「心配は無用です。」と、まるで私の気もちを見透かしたかのようにくわしく記されていた。それを読んで、なるほど、これは必要な変化であって、コヤツらとは「ありがとう、さようなら」をするのがよろしいとわかった。
いまの私には、必要なものがすべて与えられていて本当に満足している。いまはそれだけで十分だ。そして、それは当たり前のことではないのだから日々感謝しよう。
将来もし「本当に自分がしたいこと」がさらに生じるのであれば、きっとそのときは何かサインがあるはずだ。私の潜在意識は高性能だから、もう自動操縦におまかせしよう。それまではのんびり過ごしていたらいい。
濃密な7日間のあいだ、私に起こった大きな変化は、もしかすると一般的にはそれほど多く見られないかもしれない。というのも、私にはたっぷり時間があって毎日この本にだけ向き合って来られた。ノートもほぼ一冊使い切るほどワークや抜き書きができた。
私がそういう恵まれた生活を送ることができるのは、多くの人たちが私を支えてくれるからである。私を大切にしてくれる人たちにただ感謝。

〔そして、8日目〕
目が覚めて、ふと降りてきたのは「捧げる」ということば。
一週間の心の旅の終着点はそういうことなのか。
「捧げる」にふさわしいものを、ああそうだ、私は持っている。
父と母が私に授けてくれたものだ。
そしてそれは、父が敬愛し大切にしていた純粋な世界だ。
その世界に対して、ほんの少しだけでも何かを捧げること、
それが私の役割なのかもしれない。
いまはその方向だけを確認しておこう。
私のキャパはとても小さいから、どんなことでも少しずつしかできない。
でも、それが私だから、それでいい。

〔最後に根本先生へ〕
すばらしい著書をありがとうございました。
僭越ですが、本当に渾身の一冊であることがひしひしと感じられました。その熱い想いのおかげで、夢中になって7日間取り組むことができました。
ブログやセミナーでも十分に助けていただいていますが、こうして体系的な一冊の本にしてくださると、やはりわかりやすさもいっそう際立っていました。
これからも何度も読み返したいと思います。
できれば将来、どこかに一週間こもって、もう一度じっくり読んだり書いたりしてみたいです。それにはやっぱり海が見えるホテルが最適でしょうか(笑)
ひとりでも多くのかたが、この本に出会って「本来の自分」に立ち戻れますようお祈りしています。


ありがとうございます。
AMさんほど、懇親の1週間を過ごしてくださって、本当にありがとうございます。
私の意図をはるかに通り過ぎた素晴らしい成果を上げて下さってうれしいです。
感動的な言葉がたくさん並んでいましたが、中でも

>いまの私には、必要なものがすべて与えられていて本当に満足している。いまはそれだけで十分だ。そして、それは当たり前のことではないのだから日々感謝しよう。

これはもう「悟り」と言っていいと思いますし、これこそが、本書で私が皆さんにお伝えしたいことでもありました。
汲み取っていただいて嬉しいですし、こうした感性の豊かさが「敏感すぎる」が故の長所だと思うのです。

そして、締めの一言

>でも、それが私だから、それでいい。

そう、そうなんですね。これが腑に落ちてしまえばもう何も怖くないですよね。
自分軸で生き、自己肯定感が最高レベルに達したことを表してる一言だと思いました。

ほんと、ありがとうございました!


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