「私、お母さんを必死に愛して来たんだな」と気付いてあげるだけでいい。



ひとつの問題を痛みの層から見ることもできるし、愛の層で見ることもできます。
どちらも大切だし、必要なことだけど、痛みの層は専門家に任せて、普段は愛の物語を見るのが楽で簡単で早いと思うんです。

根本先生。
いつもブログ拝見させて頂いております。ネタにしてください。
根本先生のおかげで、自分の心についてだんだんとわかってきました。。とても分かりやすく、もう感謝しかありません(泣)
私の両親は4歳の時に離婚(母に引き取られ、父とは、離婚以降一度も会わずに死別しました)し、例にもよらず、私はファザコンだったのだと気づきました(笑)父のことは、おかげさまで許せそうなのですが、母の事は、まだ許せていないのかも?と思うことがありました。
転職し、念願の職業に就いたのですが、一度言われたことを忘れてしまったり、とにかくきちんとやらなくては!とテンパってしまいます。
私は、幼い頃から、とにかく母に褒めてほしくて頑張ってきたことには気づいていました(ブログのおかげです)幼い頃から、母に怒られると頭がフリーズしてしまうのです。そして、それと同じことが職場でも起こるのです。
指示されたとき、理解しなくてはいけないとき、何か仕事のことで伝えなければならないことがあるとき、頭がフリーズしてしまうのです。
そして、そんな風に私を頑張らせた母をまだ許せていないのかと思いました。私を産まなければ、母にはもっと違う人生があったのでは…といまだに考えてしまいます。
(Mさん)

そもそもどうしてお母さんに褒めてほしくて頑張って来たんだと思います???

嫌われたくない?認められたい?

じゃあ、どうして認められたいの?

って感じで掘り下げて行くと、「お母さん、大好き」というのが出てきます。

まあ、子どもたちはみんなそうなんですけどね(^^)

子どもの頃のMさんはお母さんを全身全霊支えてきたんです。
お父さんと離婚して、一人で子どもを養っていかなきゃいけなくて不安で必死な上に、当然ですけど、お母さんも自信のない人で、感情的になってしまって、しかもそれを娘にぶつけてしまうお母さん。
そもそも自分の感情のやり繰りに苦労なさるタイプなのかもしれません。
自分で自分に振り回される感じ。

もちろん、Mさんのお母さんがほんとうにそうだったか?は分からないけれど、当たらずとも遠からず、というところではないでしょうか。

そんなお母さんに対して幼いMさんはどう思っていたのでしょう。
大好きなお父さんと離れ、寂しくもあり、当然不安でもあり。
4歳の時って頃は、きっとお父さんのこともまだまだ大好きでくっつきたかった頃。
そんな存在がある日突然いなくなってしまい、お母さんと一緒に生きて行くことになったわけですから。

そして、目の前にそんなお母さんの姿があります。

褒めてもらいたい、という気持ちはもちろん、愛されたい、必要とされたい、という気持ちと繋がるんじゃないでしょうか。
そして、その一方で、お母さんをこれ以上不安にさせたくない、困らせたくない、迷惑かけたくない、という思いが相当強かったんじゃないかな、と思うのです。

だから、フリーズするんです。
お母さんの期待に応えられない、と感じたときに。
それがお母さんが怒った時ですね。

あ、どうしよう、ほんとどうしよう・・・お母さんを困らせたくないと思っていたのに困らせてしまった・・・みたいな感じでしょうか。

次はもっと頑張ろう。もっとお母さんを困らせないようにしよう。お母さんが喜んでくれるように頑張ろうって思うんじゃないでしょうか。

ちなみにこの「困らせないように」「喜んでくれるように」という言葉は「褒められるように」と同じ意味なんですよね、子どもたちにとっては。

「褒められる」=「お母さんも喜んでる」=「お母さん、笑ってる」

ですよね。

そうして、必死にお母さんを支えて、自分も頑張って、やってきたんです。ずっと。
そして、それが癖になってしまいますから、きっと学校でも同じことを繰り返してきたんじゃないかな、と思うのです。

ね?自分ってすごいじゃん。よくやってきたじゃん。偉いじゃん。って思いません?

そして、その喜ばせたい、迷惑かけたくない、困らせたくない、という気持ちが、今も会社で出てるとしたらどうでしょう?

どれくらい自分が愛に満ちた存在か、分かりますか?
自分、すごいなあ、って思えませんか?

あ、ま、すぐには思えませんね(笑)

同じ出来事を痛みの層で見ることもできるし、愛の層で見ることもできます。

痛みの層で見れば、お母さんに怒られないように気を遣って自分を抑えてきたMさんがいて、そのために自己喪失しちゃった、という物語が描けます。
それもまた真実です。

だから自分のことをさておいて相手の顔色を窺って頑張ってしまう私がいて、それが会社でも出てしまってる、、、という風に。

自分がないんですよね・・・。何したいか、自分がどうしたいか、ということを考えられずに来てしまったのかもしれませんね、と言うとMさんは大いに頷かれることと思います。

でも、その問題をさらに深いところに掘り下げればすべて愛の物語として見ることができるんです。

今日はそんな見方をしてみました。

なぜって?天邪鬼なんです、私(笑)

痛みの層から問題を扱うときは、その痛みを癒しましょう、手放しましょう、というアプローチをしていきます。

お母さんを許しましょう、
自分自身を許しましょう、という話になります。

だから、感情を吐き出しましょう、書き出しましょう、お恨み帳作りましょう、という話になるんですね。

>私を産まなければ、母にはもっと違う人生があったのでは…といまだに考えてしまいます。

これなんてまんま罪悪感ですからね~
自分のせいでお母さんに迷惑をかけてしまった・・・だから、お母さんをこれ以上苦しめてはいけない、という。
でも、それも愛ですよね?

お母さんのことを愛してるからこのフレーズが出て来るんです。

でも、対極の感情である、

>そんな風に私を頑張らせた母をまだ許せていないのかと思いました。

という思いも当然あります。許せない気持ち、恨む気持ち、怒り、憤り。

愛と怒りが同居するのが私たちの心の世界です。一つには絞れません。

愛にフォーカスをすれば愛の物語ができますし、
怒りにフォーカスすれば怒りの物語ができます。

そして、どれもまた真実です。

で、どれがいいかは都度決めればいいんです。

「よっしゃ今日は怖れの層を扱いましょう」
「今日は愛の物語を描きましょう」
「今日はうんこうんこうんこと叫びましょう」

という風にね。

ちなみに一番癒しの効果が高いのは3番目だと思っております。はい。

で、再び愛の物語に戻りましょう。

「私はそれくらいお母さんを愛していた」と思ってください。

愛してるからこんなにも頑張ってた。
愛してるから一生懸命お母さんを助けていた。
愛してるからお母さんの困った顔が辛かった。
愛してるからお母さんの笑顔に救われた。

そして、それが私の生き方のベースになっている、と。
誰かの喜びのために頑張ることが自分の生き方になっている、と。

だから、職場でもきちんとして相手を喜ばせたい、という思いがその心の中に生きているんです。だから、こうなるわけです。

>理解しなくてはいけないとき、何か仕事のことで伝えなければならないことがあるとき、頭がフリーズしてしまうのです。

それくらい必死なんですね。
でも、その必死さは時にプレッシャーとなってしまうわけです。

常に頑張って来たから。

で、どうしたらいいのか?ってことですよね。

お母さんをすごく愛してたんだ、と思ってください。
そして、今の会社の人たち、今の仕事も愛しちゃってるんだ、と思ってください。

ピンとなんて来ないと思いますし、納得する必要はないです。
ただ、偉い先生がそうおっしゃってたからそうなんだろうなあ、と思ってくださればOKです。

痛みの層の向こう側にある愛の層なんてなかなか意識できるもんじゃないです。
ふーん、そうなのか、くらいでちょうどいいです。

でも、その意識を持ち始めるといろんなことに気付き始めると思います。
愛という視点から自分を、自分の人生を見つめ始めるからです。

ただただ、「わたしって頑張って来たよなあ。それくらい必死に愛して来たんだなあ。そうなんだなあ。」と思っておいてくださいね。

一番シンプルで強力なヒーリング方法だと実は思ってるんです、これ。
でも、なかなかすぐに明確な効果が表れない上に、知らないうちに自分の思考が変わっているので、「根本さんのお陰です!!」って思われないのであんまり紹介しないんですけどね(笑)
痛みの層を扱った方が分かりやすいし、ドラマティックだし、感情が動くからインパクト強いし、演出としては効果的なんですけどね。

こういう愛は静かに、ただ、そこにずっとある、という存在なのです。

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