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感情を優先させる、ということは、感情にいつも従う、という意味ではありません。
ちゃんと感情を認めて、感じて、その上で、行動を選択する、という意味です。
ややこしいですけどね。
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今日はリクエストにお応えしましょう(^^)
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思考より感情を、自分の好きなことを、ということが、大切なのだなぁ、ということをここ最近のブログを見させていただいて感じます。
もう少し踏み込んでお伺いしたいのですが、例えばケンカをして、感情的には自分からは連絡なんてしたくない!!と思ったとします。
でも、相手のことを考えると、こちらにも歩み寄る点はありそうだし、がんばれば歩み寄れそうだし、だから歩み寄ってあげたほうが、いいのかなぁ、と考えたりします。
そこで、、感情を優先させて、自分の気持ちが向くまで連絡を取らないことを選んで、結局破局してしまったとします。
その場合、「ああ、あの時もう少しぐっとこらえて歩み寄っていれば・・」と結果後悔するようなことにはならないのでしょうか・・?
一時の感情を優先させて後悔したくはないのですが、感情を優先させたほうが、結果うまくいくもんでしょうか?
感情を優先させて失敗、取り返しのつかない後悔することが起こらないものでしょうか?
なにかの折にでも触れていただけたらと思います。
(Hさん)
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なるほど~、確かにな~というご質問ありがとうございます。
>その場合、「ああ、あの時もう少しぐっとこらえて歩み寄っていれば・・」と結果後悔するようなことにはならないのでしょうか・・?
そういうことはすごくあると思います!!
でも、ちゃんと破局の可能性も考えた上で、感情を優先させた結果が破局だったとしたら、後悔は少ないと思います。
つまり、感情を優先させる、ということと、感情に流される、ということは別なんです。
そして、さらに大事なことは「感情と行動は別」なんです。
「今、自分はめっちゃ怒ってるし、もう近づきたくなんかない!」という感情があったとき、自分はそういう気持ちなんだ、と認めてあげることはすごく大事です。
でも、そこでその感情に任せて連絡を取らないのか、でも、その感情はあるけれどそれを乗り越えて連絡を取るのかは「選択」です。
だから、「うち、めっちゃ怒ってるねんけどなあ、やっぱり彼とのことが大事やから、近づいたほうがいいと思うねん。」という風になります。
よくやめたほうがいいですよって言ってる、「感情」よりも「思考」を優先させている、というのは、自分が怒っていることはさておいて(認めずに)、「ここは近づくべきだろう」と考えて近づくことなんです。いわば、感情は「無視」されています。
これらは似てるけれど全然違うことなんですね。
感情はただ認めてあげるもの。それは今の天気が晴れだとか雨だとかと同じこと。
行動は選択できるもの。雨が降っているから傘をさす、とか、今日は外に出ない、とか自分の意志で選べるもの。
でも、精神的に成熟さがないと、行動が感情に支配されてしまいます。いわゆる、感情に流される状態です。
難しいですけどね。
だから、パートナーとケンカしてめっちゃムカついたときに、「その怒りを大事にするの?それとも彼との関係を大事にするの?」という風に見るわけです。
怒りも大事だから、それを「御恨み帳」に散々書き殴って、友達に愚痴垂れ流してすっきりさせて、その上で、彼に「ごめん。仲直りしよう」って近づくのが理想なのかもしれません。
なんとなくイメージが湧きますでしょうか?
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ちゃんと心の声を聞きましょう、ということなんですよね。
自分の心と対話しましょう、と。
今、自分の心が「疲れてるなあ。今日は仕事したくないなあ」と言ってたら、「そうやなあ、したくないよなあ。でも、今日は大事な会議があるから行かなきゃいけないんだよな。その分、週末はゆっくりするから今日はちょっと頑張ってよ。お願い」なんて会話できたら心も納得するわけです。
でも、思考的になると、その心の声を無視するようになっちゃうわけですね。
それが辛いんです。
参考になりましたら幸いです。