過去の私をどう許すのか?~切り離して責めるのではなく、受け入れて愛する方向へ~



例えば思春期にやんちゃをしていたことを大人になってとても恥じて、その自分を責めてしまうことがあります。
しかし、その自分にもそうなってしまう事情があったんですよね。
そうして過去を受け入れ、許していくことで人生が本当に楽に、生きやすくなるのです。

例えば若い頃やんちゃをしていて悪いことをしていた、とか、興味半分で体を売ってた頃がある、とか、若気の至りで人を傷つけていた、とか、その当時はあまり何とも思っていなかったけれど、大人になって自分でビジネスを立ち上げたり、結婚を考えるようになったりしたときに、ハタと「自分はいったい何をしていたんだろう?とんでもないことをしていたんじゃないだろうか?」と過去の自分を全否定したくなります。

だいたい24,5歳まではあまり何とも思っていなかったけど、そこを過ぎてからこの思いに到達される方が多いようです。


それは大人になった証拠でもあるのですが、その分、当時の自分を思い出すと、ほんと恥ずかしくて消したくなったり、強い強い自己嫌悪に駆られるのです。

それが取引先や従業員、恋人、その家族等にバレたらどうしよう・・・舐められたり、バカにされたり、不必要に扱われたり、嫌われたらどうしよう・・・そんな不安になることもあります。

そういう時って、その時の自分を自分の人生から隔離して、「あれは本当の自分ではなかったんだ、何かの間違いなんだ」と思い込もうとします。
そして、周りがその時の自分を否定するのを先取りするかのように、自分がその時の自分を思い切り否定するのです。

「あの時の自分のしていたことが本当に許せないんです。何も考えずになんであんなことをしていたのか。本当に最低です。もしパートナーがそれを知ったら失望し、私のことを嫌いになると思います。また、彼のご家族がそれを知ったらきっと結婚なんて反対されるでしょう。」

でも、その時の自分にもそれなりの事情があったと思いませんか?
私が知る限り、愛されて、平穏無事に育って来たとしたら、なかなかそういうことって起こりえませんし、そもそも平穏無事に何不自由なく育って来た、と言える方なんて実はそうは多くないのかもしれません(そう思い込んでいる方はいらっしゃいますけどね。かつての私もそうでしたが)。

両親が仲が良くなくてケンカばかりしていた、としたら、きっと多感な思春期を過ごしていた自分は毎日心を痛めていたと思います。そこから逃げ出す手段が欲しかったのかもしれません。

家の中や学校に居場所が無かった、としたら、自分を必要としてくれる人や場所を求めてしまったのかもしれません。

幼少期から自分の存在に疑問を感じていたとしたら、自分の存在を誇示したり、自分が自分であることを感じる手段を求めるのも自然なことです。

自分なんていない方がいいんだ、と思っていたら、自分の体を傷つける行為によって、生きている実感を味わいたかったのかもしれません。

その時の自分を「嫌う」のではなく、いかに「愛する」か?が大切なことだろうと思うのです。

かつてカウンセリングに来られたAさんは、高校時代に援助交際を繰り返し、数度の妊娠・中絶を体験します。その後も学生やOLをしながら風俗で働いていた時代もあったのですが、27歳の時、結婚を考える男性が現れたとき、その過去をどう扱っていいのかが分からなくなりました。
彼にバレることも怖かったですが、何よりも、こんなに穢れてしまった自分が彼に相応しいのか、ものすごく悩んだんですね。(もちろん、彼には相応しくない。彼のような素敵な人には私ではない、もっとちゃんとした女性が側に居てあげるべきだ、という結論を出していました。)

彼女の育った家庭は経済的には恵まれていましたが、心のつながりは乏しいと言える環境でした。寂しかったり、居場所がなかったり、愛されていないとは思わないけれど、それよりも世間体を気にする家だったんですね。
また幼少期に何度か性的ないたずらを受けたこともありました。そのことを誰にも言えずに彼女はずっと一人で抱え込み、自己嫌悪していたのです。

そうした過去を振り返って行ったとき、「当時の自分はそうせざるを得なかった」ということを彼女は受け入れて行きます。
そういう形でしか自分を表現できなかったこと、いい形とは言えないけれどそれくらい自分の存在価値を感じたかったということ。
他にもたくさんの気付きがありました。
そのプロセスの最中には、ちゃんとそんな自分の中にも愛があることにも気付きました。

そうして自分自身を許していったとき、勇気を出して過去を彼に告白することができたんです。
彼は笑って「まあ、そんなことだろうと思ってたけどね。辛かったんだろうね」と言って、話したことに感謝までしてくれたそうです。

その当時の自分を世界で一番嫌っているのは自分、です。
それが過去であるのであれば、もう許しはいつでも始められます。
それが現在起きているように感じるのであれば、まずは地に足を着けるところから始めましょう。きっと過去にすることができます。

その消したい過去も、大嫌いな時代もほんとうは無断なものではないのです。
そこにはちゃんと意味はあったのです。

その自分を許していくことは、本当に自分自身を楽にしてくれます。
そして、自分の中にたくさんある愛に気付かせてくれるのです。

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