「傷つかない選択をする」ってなかなか難しいように見えるもの。
何か嫌なことを言われたり、されたり、何かが起こったりしたとき、あるいは、自分が加害者となってしまったときに、つい、私たちは傷ついてしまうものです。
この“傷つく”というのは多く受け身で表現されるように“依存”のできごと。
また、傷つかないと言っても、その起きたことを無視してしまっては意味がありませんよね。
きついことを言われて、でも、聞かなかったことにする・・・
誰かにきついことを言って傷つけて、でも、見なかったことにする・・・
これは無視することですから、“自立”のできごと。
だから、どちらも真実ではないんですね。
そうではなく、そこで起きたことにしっかり向き合いつつ、でも、傷つかない。
だから、それは“選択”なんです。
何のために?
例えば、誰かを守るため。
例えば、夢を叶えるため。
例えば、自分が一皮むけるため。
仕事で取引先とトラブルになった時、マネジャーである自分が傷ついてしまったら、部下を守ることはできません。
意気消沈する部下の前で、大したことないって笑う。何とかなるだろ?ってお気楽になる。
不安や怖れ、痛み、様々な感情を通り抜けた先の、笑い。お気楽さ。
それが部下を救います。
夫婦喧嘩で罵り合い、ぼろぼろになってしまうと、子どもは不安になるでしょう?
めっちゃむかつくわー!って明るく笑い飛ばせたら、子どもも笑顔になるでしょう。
でも、自分のことしか見えてなかったら、子どもを巻き込んでしまうでしょう。
以前、私も師匠から「お前が傷つくなよ」って諭されたことがあります。
そのとき思わず、グッと来てしまったんですね。
何故、その言葉が胸を熱くするのか分からなかったけれど、後々気付きました。
「強さを信頼してくれたんだ」と。
傷つかないというのは、本当の強さだと思うのです。
痛み、弱さを突き抜けた先のできごとだから。
だから、傷つかない選択って自分の強さを信頼することに他ならないと思うのです。
もっともっと自分の強さを信頼してあげてください。
それだけの強さをきっと持っているのだから。