「愛を受け取っていい基準」



私たちにはどうも「愛を受け取っていい基準」というものがあるようです。

本当はオープンで、いつでも、どこでも愛は受け取れるものなんですが、私たちは自分に厳しく、何か条件や基準を満たさないと愛を受け取っていいとは思えないこともあるようです。

例えば、「これだけ頑張ってるんだから」という理由が必要な方がいます。
仕事や家事など、自分が頑張ってるって思えたときに「愛を受け取っていい」と許可できるわけです。

そうじゃないときは「まだまだ。俺は自分に甘いから」「もっと頑張んなくちゃ」「周りはもっとちゃんとやってる」などの理由を立てて受け取りません。


しんどい時にだけ、愛を受け取る許可を出す方もいます。
人間関係や体調、仕事のことなど、問題を抱えて行き詰ったときにヘルプメッセージを出し、愛を受け取ること(=助けてもらうこと)を自分に許します。

そうじゃないときは「うん。大丈夫。全然余裕」などと言いながら歯を食いしばって何とかしようと一人で頑張っています。
「そうするのが当然」とやはり思っているのかもしれません。

それ相応に「与えたとき」だけ、愛を受け取れる方もいます。
これは「与えたい人」にとても多い傾向なんですが、誰かに与え、その人が受け取って喜んでくれたときだけ、自分も愛を受け取れます。
同時でいいんですよね、ほんとうは。

喉がからからに乾いたときの水ってすごく美味しいですよね。そして、その水の価値もすごくよく分かります。
でも、そのぎりぎりの時まで我慢することはいいことなのでしょうか?
水を飲むのに、何か大義名分が必要なのでしょうか?

実は、こういうのを「遠慮」って言います。

上座を勧められ「いえいえ、滅相もございません。わたくしなど、こちらの席で十分でございます。」と辞去するのと同じです(笑)

こうした基準は幼少期から知らず知らずのうちに身についてしまっているようです。

さて、あなたの基準はいかがでしょうか?

特に「自分に甘い」とお感じの皆さんには考えていただきたいテーマかな、と思います。

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