自分の価値や魅力は、RPGで村人がくれるアイテムのようなものだと思えばいい。~無価値感の癒し方、価値の受け取り方~



どうやら私たちは自分の中にある魅力に価値を感じないようにしていて、自分にないと思っている魅力を追い求めているようなところがあります。
でも、少し視座を上げてみましょう。
そもそも私たちは存在自体に価値があるわけです。それを感じられないから、「きれい」とか「優しい」という魅力に惑わされてしまうのかもしれないのです。

カウンセリングなどで魅力や価値の話になると「うれしいですぅ~♪」と素直に受け取ってくれる輩はあんまりおらず、フリーズする、「それはそれでいいんですけど、こっちが・・」と話題を逸らそうとする、「いやいやいやいやいやいや」と全力で否定しに来る(←これは最近は少ない)、「えー、全然そんな風に思えないんですけどほんとうですか?」と疑う、といった反応が示されます。

もちろん、「カウンセラー人生=魅力を受け取れない奴らとのセッション」なので、「なぜ魅力や価値を受け取れないのか?」を研究して26年ってことになるのですが、今回は「そっかー、自分が持ってる魅力を魅力だと思ってないのか―」という説についてお話させていただこうと思います。

よく「優しい人は優しくするのが当たり前なので自分が優しい人だとは思っていない」という話をさせてもらってます。

そこにさらに「優しい人はその優しさを当たり前のことだと思っているので、自分の優しさに価値を感じていない」という話を付け加えさせていただきたいわけです。

なんだか禅問答みたいな表現ですけれど。

ちょっと違う角度からたとえ話をしましょう。

「小さい頃から英語を話す人たちがいる環境で育ってきたのでふつうに英語がしゃべれるんだけど、それ自体が魅力だとは思わないんだよね。」

「家がそこそこのお金持ちだったからお金があるのが当たり前だと思っていて、お金で苦労するって発想がなく、かつ、お金があることが価値のあることだとは思えない。」

「特に何もしなくても学校の授業が分かっちゃって、それで頭がいいとか言われるんだけど、その頭の良さは魅力なのか?と正直思っちゃう。ふつうのことじゃないのか?」

何となく言いたいことが伝わってたらうれしい。

つまり、自分が持っている魅力を魅力と見ていない、自分の持ってる魅力に価値を感じてない、ということです。

「正直、周りの人からかわいいとかきれいとかずっと言われてます。けど、それが何なんですか!?って思うんです。だからって幸せになれるわけじゃないじゃないですか!」

そんな彼女にとっては「きれい」「かわいい」は魅力ではないんです。
世間では魅力と呼ばれているものだと知ってはいるけど、自分にとってはそれが魅力とは思えない、と主張されるのです。

確かに「魅力・価値」と「幸せ」はリンクするものではなく、別次元のものなので、「かわいいから幸せになれる」わけじゃないことは皆さんご存じだと思います。

それに時に「魅力」は「問題」を引き起こすことがありますよね。

「きれい」「かわいい」という魅力があると、「外見だけで評価して中身を見てくれない」「あいつは遊んでる、男をたぶらかしてる、等の根も葉もない噂を流される」「同性から嫉妬される」「体目的の奴ばかりが近づいてくる」「アクセサリ扱いされる」等の問題が出てきます。そっちを見たら「きれい」「かわいい」は苦痛ですね。

「優しい」という魅力だって、「優しさに付け込まれる」「自己犠牲をしやすい」「他人軸になりやすい」「相手に気を使いすぎる」「甘えられるばかりで甘えることができない」みたいな問題につながることも多いです。

「魅力(価値)は諸刃の剣」なのです。

そうすると確かにその魅力で良い思いをすることもあれど、嫌な思いをすることもあり、その嫌な思いが重なれば、「こんな魅力いらねー!」と思っちゃうのも無理はないかもしれません。

そうして自分が持っている魅力に価値を感じないのもまた無価値感のひとつと言えるでしょう。

そうするとやはり「自分にはないと思っている魅力に価値を感じてしまう」ようになります。

「きれい、かわいい、はもうええねん。気が利くとか色気があるとか賢いとか料理が上手いとか仕事ができるとか、そんなんがほしいねん。」と“ないものねだり”をしてしまうようになるのですね。

ちなみに彼女曰く「あたしだって料理できるし、仕事だってデキる方やし、アホちゃうねんで?けど、外見だけで判断されて何もできない女の子みたいに見られるねん。それがムカつくっつーの!」とのことです。

「友達から『あんたは優しすぎる!』ってよく言われるんです。自分でも優しくしたくてしてるわけじゃないのについ相手の気持ちを考えて合わせちゃうことが多くて。みんなみたいにびしっと自分の意見を通せたり、わがまま言ったり、言いたいこと言ったりできるようになりたいんです。」

そんな彼女にとっては、自分の意見を主張したり、わがままになって相手を振り回したりすることが「魅力」に見えてるんですよね。

結局はみんな「幸せになりたい」のです。

だから、自分に魅力があっても、その魅力が自分を幸せにしてくれないと、そんな魅力いらねー!と思っちゃうわけです。

それで最近の根本くんは「魅力や価値ってのはオプションみたいなもんだと思えばいい」という説を唱えています。

まず、大前提として「そこにいるだけで価値がある」んです。

反論、疑い、反発、否定などのみなさまの反応は華麗にスルーして話を進めます!

その存在自体に価値があり、人から言われる魅力や価値ってのは、その一部を言語化したものと言えるんです。

ここまで例として出してる、「きれい」「かわいい」人も、「優しい」人も、大前提として、その存在に価値があり、その価値を「きれい」「かわいい」「優しい」と表現しているだけなのです。

意味、分かります?なんとなくても通じていたらうれしい。

くどいようですけど、何度も説明を試みます。

そもそも自分自身に価値があり、魅力的なわけです。
それは「○○だから価値がある」とか「○○があなたの魅力です」とか説明不要で、ただただあなた自身の存在に価値があるんですね。(たぶん、ここに抵抗があると思うが)

だから、その「○○」というのは相手があなたに見た価値や魅力を分かりやすく説明してくれたもの、というわけです。

つまり、

「きれい」「かわいい」というのはあなたの存在価値のほんの一部を言語化したものなんですよ。

「優しい」というのはあなたという存在自体が持ってる価値のほんの一部を表現したものなんですよ。

ということです。

だから、あんまり「きれい」「かわいい」という価値にそんなにこだわることなく、それこそ、オプションみたいな感じで捉えたほうがいいんじゃない?と思うんです。

そうして、オプションのように“軽く”“ライトに”(同じ意味笑)捉えたらさ、それを「使おう」と思えるじゃん。

魅力や価値がそういうもんだと思えたら、受け取るのも抵抗なくない?と思うんですがどうでしょう?

いわば、人から伝えられるあなたの魅力や価値ってのはRPGで村人が渡してくれるアイテムみたいなもの。

「あなたは「かわいい」という武器を手に入れた!」というテロップが流れるやつです。

そして、婚活という戦場とか、営業という場面とか、社長との給料アップ交渉などの場で、そのアイテムを使うことを選択すればいいんです。

(なかなか根本くん、いいこと言うねえ、と自ら感心している。笑)

実際どう使うの?という話ではなく、それくらいに“軽く”“ライトに”捉えたらどう?という話です。

あなたという存在自体の持つ魅力(価値)に比べれば、「かわいい」「きれい」「優しい」という具体的な魅力(価値)は小さいものです。

自分の魅力や価値をいっぱい知ってる!ってことは、それだけ村人に会ってたくさんのアイテムを手に入れてきた!ということです。

実際、RPGをプレイしていれば、役に立つかどうか分かんないアイテムもたくさんあるじゃないですか。けど、一応、受け取っておきますよね?

だから、具体的な魅力や価値についてはあまり深く考えなくていいと思うんです。

そんな風に価値や魅力をRPGのアイテムみたいなものと捉えたら、受け取りやすくなると思うし、ないものねだりとかしなくて済むと思うんですけどどうでしょうか?やっぱりないものねだりはしちゃうかー。笑

ということは存在自体に価値を感じられるようにならなきゃいけないってわけで、無価値感を癒すゴールはまさにそこにあります。

私たちは存在自体に価値があるんだけど、それを実感することって難しいですよね。

たぶん、乳幼児の時代はそういう風に見られたと思います。
笑うだけで喜ばれる、うんこしたってほめられる、ご飯を食べただけで賞賛される、そんな時代ですから。

でも、そのうち私たちは「何かしないと愛されない」という風に考え始めます。
いい子でいたら褒められる、お手伝いしたら愛される、宿題ちゃんとしたら怒られない、大人しくしていたらお菓子を食べられる、みたいに。

「条件付きの愛」をたくさん経験してきました。

だから、その存在自体に価値を感じにくく、自分が何かすることで愛されたり、愛されなかったり、という風に思うようになったんです。

いわば、自分自身は「無」で、自分がした言動に「価値」があるように捉えているのです。

自分の存在自体に価値があることを実感するにはそれこそ神様とつながる覚悟がいるのかもしれませんが、けど、感度を高めればふだんの日常の中でもそれを実感することができます。

ただここにいる。
呼吸を整えて、心地よくここにいる。
気分は穏やかで、心は軽い。
ただただその感覚を味わう。

すると自然と背筋が伸びる。
深呼吸がしたくなる。
気分がどんどんよくなってくる。

自然体な状態になる。

そうすると勝手に目に浮かぶのはいろんな人の笑顔。
いろんな人の温かさ。
穏やかな平和な景色。

こんな瞑想をしてみると、そこにある景色のすべてが愛おしく、そして、感謝にあふれてきます。幸福感が出てきます。

それが「わたしがここにいるだけで価値がある」証拠であり、ついでに、自分を愛し、自分自身に感謝し、自分が神とつながっている証拠でもあります。

・・・・。

ちょっと訳の分からん話をしてしまいました。笑

でも、そういう気分で過ごしていたら周りの人が実際に笑顔になっていくのを感じられるはずですよ。

何もしてないのに、相手を笑顔にできるんです。

そんな存在って価値があると思いませんか?

そして、これは誰にでもできることなのです。
できないと思い込んでいるだけで。

存在自体に価値が感じられるようになれば、「きれい」だの「優しい」だの「料理がうまい」だの「コミュ力が高い」だのは人生という旅におけるアイテムのようなもので、それに振り回されることもなくなります。

ふつうに「そうだよ、わたし、きれいだもの」と思えるようになり、「優しさはたくさん持ってるよ。けど、それは今は使わない」と選択できるようになり、自分が持ってないアイテムを求めることもしなくなります。(欲しいなら取りに行けばいいと思える)

そしたらもっと受け取り上手になれるんじゃないかなあ?と思うのです。

つまり、いわゆる「価値」や「魅力」と呼ばれるものは、私たちの存在が持つ価値のほんの一部である、ということを理解したいよね、という話なのです。

ちょっと難しい話だったと思うので、「頭が良い」というアイテムをお持ちの方の解説を待とう!笑

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