どうして結婚相手や恋人に父親のような人を選んでしまうのか?



慣れ?愛されたい欲求?助けたいから?いろいろな層からがっつり説明しています。
自分自身を振り返っていきましょう!

根本先生こんにちは。先日、名古屋のセミナーにはじめて参加させていただきました。とても穏やかな雰囲気の中、先生の分かりやすいお話を聞くことができて、有意義な時間を過ごすことができました。

今日は「無意識に父親のような人を選んでしまう」ことについてお聞きしたいです。

よく、女性は結婚相手や恋人に父親に似たような人を選ぶといわれますが、それはなぜなのでしょうか?
わたしの父はモラハラそのもので、母も子どもである姉やわたしも、常に父親の存在に怯えながら生きてきました。それは今現在も続いています。
わたしはこれまで、父の影響で男性が怖く、男の人とお付き合いをしたことがなかったのですが、昨年、初めてお付き合いをした方がいました。その方について知れば知るほど父に似ている部分(威圧的、自己中心的、自分より弱い立場の人間に威張る…など)があることを知り、わたしは恐ろしくなりその方とは別れました。そのときに、無意識のうちに父親のような人を選んでしまう…という話を知り、とてもショックでした。

父のことを恐ろしく思い、父のような人だけは選びたくないと思っていたにもかかわらず、無意識で選んでしまうのには、どんな理由があるのでしょうか?
また、そういう人を選ばないようにするためにはどうすればいいのでしょうか?

ぜひ、ブログでネタにしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

お忙しい毎日が続いていらっしゃると思いますが、お身体ご自愛ください。
(Aさん)

心理学的ないいネタをありがとうございます(^^)
ということで、今日は潜在意識のお話をさせていただくことになります。
皆さんもぜひ自分に照らし合わせてお読みいただくと良いかと思います。

>女性は結婚相手や恋人に父親に似たような人を選ぶといわれますが、それはなぜなのでしょうか?

まず、男性の場合は「母親と似たような人」になることはお分かりいただけるかと思います。
ただ、現代の日本では必ずしも女性が父親に似た人を選ぶ、というケースだけでなく、「母親に似たような人」が選ばれることもあります。
それはやはり家庭における距離感で母親の方が接する時間が長かったり、大きな影響を受けやすかったりする事情があるようです。

とはいえ、基本は「異性の親と似た人をパートナーとして選びやすい」という原則は揺るぎません。

でも、不思議ですよね。

Aさんのケースのように「モラハラ父」で正直、あまり父親のことが好きじゃない、いや、むしろ憎んでる!という状況の場合、父親とは反対のタイプを選びやすいと思うのですが、意外と同じタイプに行き着くことがよくあるんです。

例えば、「自分では父親と反対のタイプの優しい、穏やかなタイプだと思って付き合ったはずなのに、だんだん父親と同じ支配的、高圧的な態度が出て来て戸惑ってる」なんて話もよくあります。

また、これはモラハラ父のケースではなく「今から思えばダメンズな父。もうそんな男は嫌だと思っていたのに、なぜか、好きになる男はダメンズばかり」という方も私のブログ読者にはうじゃうじゃおりますね。

一言で答えを言ってしまうとすぐに終わってしまうので、冗長でだらだら長く続くのを売りとする我がブログにはふさわしくないのでこうした前置きを長くしているのですけど(笑)、、、そろそろネタが尽きて参りました。。。

なぜ、異性の親と似たタイプの人をパートナーとして選んでしまうのか?

その答えは

「慣れ」

でございます。この展開、最近、ちょっと前も見たな、と思った方もいらっしゃるでしょう。つまりは心の法則ってシンプルなんですね。

「習慣」

と言うとよりそれらしい響きがありますね。

子どもにとって最初に出会う人が母親、そして、父親です。
赤ちゃんの頃は男女の区別はありませんが、第一次反抗期(2,3歳~)を迎えると、性別が分かってくるようになります。
「お父ちゃんが男ってやつで、お母ちゃんが女って生き物なのね。そうするとお姉ちゃんは女で、弟はちんちんが付いてるから男なのね」という風に。

そうして、母親と父親を軸に、その2人の言動、価値観、考え方、在り方、生き方などから「男ってこういうもん、女ってこういうもん」という認識を持つようになります。

以前、こういう男の子がいましてね。
「小5の時に体育の授業の後で顔を洗ってたら父親に殴られた傷が染みていたかったので、『昨日、父ちゃんに殴られた後が痛いわ』って言ったら、周りの人にげっ!?て引かれたことがあるんですよ。それまで僕はどの家でもお父ちゃんってそういうもんだと思っていたので、それで僕も『他の家ではお父ちゃんは子どもを殴ったりしないんだ』って知ってびっくりしたんですよ」

つまり、幼少期は「そういうもん」としてすべてを受け入れるんです。

Aさんの「お父さんがモラハラがひどくて家族全員が震えて暮らしていた」というのは客観的な見方ですが、子どもは主観が強いのでそういう目を持ちません。
だから、「どの家でもお父ちゃんはそんなもんなんだ」みたいな認識を持っているのですね。
それが、思春期に入り、視野が広くなって他の家の環境と比べられるようになって初めて、「うちのお父ちゃん、おかしくない?変わってない?」って認識を持つんです。

ちなみにモラハラっていうのは内情でパッと見は分かりませんが、お金持ちの家だとか、お父ちゃんがいない家という状況はもっと前から認識可能ですね。

そうすると、大人になってからは理解不能なのですが、子ども心にAさんは「男ってのはモラハラをするもんだ」という認識を強く持つようになるわけです。

もちろん、モラハラなんて言葉は知りませんから、「男の人は怖いもんだ。暴力的なんだ。暴言を吐くんだ。面白くなかったら暴れるんだ。高圧的で威張ってるんだ」みたいな認識で、それを総括して「男って怖い人」という意識を持つようになるんです。

Aさんもお気付きのように男が怖いという認識を持つようになったのも、そうした生い立ちが影響してるわけです。

さて、じゃあ、なんでそういう男の人を好きになるのか?といろんな心の層で説明ができます。

まずは、「男というのはそういうもの」という認識から、『父親と同じタイプの男性にのみ、異性を感じる』というものです。
これが「慣れ」「習慣」というものです。

思春期になると心理的に親から自立をはじめ、それと同時に異性に興味を持つわけですが、その異性の定義というのが広義では「ちんちんが付いてる人」となる一方で、狭義には「父親と同じタイプ」となるわけです。

ちなみに敢えて広義・狭義という難しい言葉を使ったのは「ちんちん」という文字を打ちたかったからという筆者のエゴに他なりません!!!

すなわち、頭ではおよそ人口の半分を占めるちんちんの付いてる人を男性として認識するのですが、心理的には父親と同じタイプの人のみを男性として認識する、というわけです。

「いい人なんだけど、男としては感じられないんだよね~」というセリフはそれを表していると思ってください。

「どうしてもダメンズにばかり惹かれちゃうのよね。ダメって分かってるのにね~」というセリフもそれを表していると思ってください。

つまり「こいつが恋愛対象だ!」と認識する相手が、慣れ・習慣から「お父さんに似た人」になりやすい、というわけです。

ここでちょっと複雑な話をしますと、現実的には父親と同じタイプの人ばかりに惚れるわけではないんです。
実際、このブログをお読みの自立系武闘派女子の中には「父親はすごく優しくていい人だったけど、私はどういうわけか野良猫専門なのだけど?」と拳を振り上げている方も少なくないでしょう。

また、冷静に考えて「でも、接してきた男性って父親だけじゃないっしょ?なんでそんな父親の影響ばかりが強いの?」と思われる方もいるでしょう。

その通りで、例えば、モラハラ父だったとしても、お兄ちゃんがすごく優しかった、とか、家によく遊びに来てた親戚のおっちゃんが紳士だったとか、学校で仲良くなった先生がすごくかっこよかった、とか、その後の男性との関わりから父親の影響が薄まることって少なからずあります。

とはいえ、父親というのはとても近い存在ですから、その影響を薄めるくらいの存在となると、よほど親密な距離にある人じゃないとなかなか難しいんですね。
だから、「先生がすごく優しい人でそれで男性の印象が変わった」という場合にも、その先生がとても親身にあなたの話を聴いてくれたり、放課後一緒に勉強を見てくれたり、家に来て親との間に入ってくれたり、という「父親代わり」みたいな距離感まで近づく必要があるんです。

また、モラハラ父だったとしても、仕事が忙しくてふだん家に居なかった、とか、単身赴任で離れてた期間が長かった、とすると、心理的に父親との距離は空きますから、他の男性が入り込む隙間ができますよね?そうすると学校や塾の先生や親戚のおっちゃんなどの影響も受けやすくなります。

さて、父親との距離が近く、男性に対する恐怖心を幼少期から持つようになると、早い子は幼稚園・保育園くらいから男の人に近付くことができません。
だから、親身になってくれる先生と出会っても、やはり怖いので心理的距離が縮められず、父親の影響を薄めることが難しくなるんですね。
それで、より父親(男性)に対する恐怖心が際立ってしまう、ということになるのです。

その結果、「男=怖い」けれど、恋愛対象は「男性」なので、「怖いと感じる人」に恋心を抱く、という頭ではとても理解しにくい現実が目の前に現れることになるのです。

もう少し掘り下げていくことにしましょう。
そういうモラハラ父に対して、自立系武闘派女子の予備軍である少女たちは大きく二つの選択肢を持つようになります。
(1)なるべく父親の影響を受けないように距離を置いて生きる
(2)自分の地位を確立し、他の家族を守るため父親と戦う

ただ、武闘派ではないふつうの女子には
(3)父親に支配されたまま、従順に生きて大人になる
という選択肢も存在しているようですが、なぜか私のクライアントさん、受講生、友人、身近な家族にはあまりそういう女子は見当たりません。

何が言いたいか?というと私の周りには武闘派しかいないんですよ・・・という、いたいけな筆者の心の叫びと受け取っていただければ幸いです。
そして、私も気付くわけです。
「ああ、実家に帰れば元祖武闘派女子である母親がおり、妹がいる。そして、大阪の家には(諸事情により以下削除)。」という現実に。

さて、心が冷えて参りましたので、話を戻すことにしましょう(笑)

(1)のケースを選んだ場合、父親を否定し、距離を置いているのですが、心の中には「男性=父親」という図式を持ったまま距離を置くことになります。

つまり、その習慣、というか、男性とは?という基準を書き換えないまま距離を置いているので、心の中にはその図式は存在し続けるわけです。

だから、どうしてもお父さんと似たタイプを男性として認識しやすくなります。

(2)のケースを選んだ女性もとても多く、中には父親を完全に論破するまで成長した武闘派中の武闘派女子も少なくないのですが、この場合は、男性=怖いもの、という意識を払拭すべく長年、戦闘に明け暮れるわけですが、そうするとますます「男性=父親」というイメージが強くなります。
文面を読むとAさんはこのタイプではなさそうですけどね。

この場合、モラハラ的な男性に対して「敵意」を感じ、「潰しにかかる」という衝動を持ち、モラハラ的ではない男性に対しては「おもんない」「手応えがない」という感情を持ちやすくなります。
そして、いつしか「私より強い男を求む」という無理難題を男性陣に吹っ掛けるようになるのです。
この文章を読んで「にやり」としている読者はきっと多いと思いますが。

そういうわけで、ここでも「父親に似た男性を好きになりやすい」という傾向が説明できるわけです。

さて、さらに深堀しましょう。
疲れてきた方はまた時を改めて読んで頂ければ、と思います。
だいたい、個人セッションやリトリートセミナーもしくは、1DAYセミナーでは、この層を扱うのですね。

すなわち「愛」という視点です。

この「愛」という目線で行くと、まずは子どもらしい思いが出てきます。

つまり「お父さんに愛されたかった」という痛みの層です。
怖いけれど、やっぱり近い存在だから好きなんですよね。これはもうどうしようもない子どものいたいけな気持ちです。
そして、そんな好きなお父さんから「愛されたい」という思いを持つんです。

でも、そんなお父さんですから全然愛してもらえません。
そこで子供心にいっぱい傷を負うわけですが、当然ですが、その愛されたい衝動は大きくなっても失いません。
そこで、「お父さんに直接愛されないのならば、お父さんに似た人に愛してもらおう」という計画が潜在意識に芽生えます。これは思春期に入ってからですね。

異性を感じるお父さんに似た人から愛されることで、子ども時代の寂しさや悲しさを癒そう、という試みです。
これは理解できる方が多いと思いますがいかがでしょうか?

だから、どうしてもお父さんに似た人にこだわってしまうのです。

それでセミナーなどでこの層を扱う時は、お父さんからの愛を受け取る、というセッションを作ることになります。
父親の愛を受け取りましょう!というテーマはこの層の痛みを癒し、開放していくことを目指しています。

また、これは「愛されたい」という受身の姿勢での解釈なのですが、さらに深いところにある思い、それは「愛したい」というどうしようもない人としての衝動です。

モラハラ父に恐怖しながら生きている中で、子どもたちはその感性からある事実に気付きます。

「お父ちゃん、深く、傷ついている。怒っているけれど、悲しそう。寂しそう。」

それで、そんなお父ちゃんを助けたい、と思ってしまうのです。

子どもたちは愛の塊ですから、傷ついた人を見つけ、その人が身近な男性であるお父さんならば、全身全霊命をかけて愛そうとします。

そもそもそれを目的に生まれてきた女性も少なくありません。
ちなみにそういう女性は「男性を癒す」という才能を持っているものですけどね。

ところが、そんなお父ちゃんを助けようとしても、とても子供心にそれは難しい現実です。
だから、どういうことが起きるか?というと、「助けたいのに、助けられなかった」という無力感と、罪悪感です。

そして、その痛みを癒すためもあり、また、その助けたい衝動に駆られて野に放たれた女子たちは、傷ついた男性を見ると放っておけなくなって愛したくなるのです。

それが「父親と似たタイプの男性」ということになるのです。

だから、Aさんもそうだったように、なぜか、そういうタイプの人たちばかりを好きになり、愛し、助けようとします。
もちろん、愛されたいし、助けられたいし、甘えたいという思いも抱えます。

じゃあ、その思いはどうしたらいいのか?というと、特にモラハラ父の元では自己肯定感が著しく低く、自信が持てません。

だから、その自己肯定感を高める、という試みが必要なのですが、それは今度出る新刊にばっちり書いてありますので、読んでみるといいですよ!という宣伝です(笑)

Aさんにとっては、まずは、自分を深く見つめていく機会を持つことをお勧めしたいのです。
自分ってどんな人間なのか?
自分の長所とは?魅力とは?
自分が今まで頑張ってきたこととは?

そういうところにまずは目を向けます。

そして、、、なかなか自分では気付けないかもしれませんが、Aさんが、お父さんや家族のためにしてきたこと、与えてきたものに価値を見ていきます。
つまり「自分なりにお父さんや家族を助けてきた」という現実に気付くのです。

愛したい、助けたい衝動が強い人ほど、それは見つからないものです。
だって現実にお父さんは助かってないし、家族は震えて暮らしているわけですから。

でも、本当はたくさん役立ってるし、助けられているし、与えて来たんですよね。
それに気付くと自己肯定感はグッとアップします。

ちゃんと時間を確保して、そんな自分自身と向き合う時間をぜひ作ってみてください。
そして、自分が愛の存在である、ということ、愛をたくさん与えてきた“事実”に気付いてください。

そうして、自分自身の存在意義や価値に気付いていけるとお父さんへの思いを卒業して、「別のタイプの人」を選べるようになっていきますし、似たタイプの人と結婚しても幸せになることができるのです。


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