本来持っている魅力や才能が逆にコンプレックスになる~カリスマ性とセクシャリティの才能を持った女性の運命は?~



セクシャリティの才能を持つ人はその才能ゆえに子どもの頃から好奇の目にさらされ、傷つくのでそれを隠して生きようとします。
しかし、隠しても状況は変わらないばかりか悪化してしまうのです。

先日、こんなツイートをしました。


自分が本来持っている“天然もの”の魅力に気付いて受け入れるにはかなりの勇気が要る。しかも、それがすばらしい才能であればあるほどそこに傷ついていたりして逆のように思っているから難しい。
例えば、元々カリスマ性がある人はどうしても目立ってしまうので攻撃の的となりやすい。そうすると自分を隠して目立たないような生き方を選ぶ。でもやっぱり目立つのでそんな自分を嫌悪しどうしたら隠れて生きれるかを葛藤する。そんな人が「それがあなたの才能だ」と言われても到底受け入れられない。

魅力や才能について私がかねがね感じていることは「本来持っている魅力が逆にコンプレックスになる」ということなんです。

こんなお話があります。

ある天使が地上に生まれ落ちるとき、神様に「君はどんな宝物を持っていくんだい?」って聞かれました。
彼は「みんなを安心して暮らせる世界にするために『平和』という宝物を持っていきます。」と答えました。
神様はにっこり微笑んで「それは素晴らしい。では、行っておいで」と言って送り出してくれました。

さて、『平和』という才能を持った天使はどんな家族を選ぶと思いますか?
夫婦・家族が仲良く、愛し合っている家庭に生まれたいと思うでしょうか?
それとも、夫婦喧嘩の絶えないギスギスした家庭に生まれたいと思うでしょうか?

もちろん、後者ですよね。
だって、その方が『平和』という才能は役立ちますもの。

ところがその才能を持って生まれたものの、両親は毎日のようにケンカを繰り返し、怒号や鳴き声が飛び交う中で彼は成長します。

彼は赤ちゃんの時からその『平和』という才能を使って何とか両親を幸せにしようとあれやこれやと手を尽くします。
言葉がしゃべれるようになったら「パパとママ、仲良くしてよ」って言ってみたり、ケンカする2人の間に入って止めようとしたり、病気や問題を起こして気を引いたりしました。
でも、小さい子供に親のケンカが止められるでしょうか?
ええ、そうですね。全然彼らはケンカをやめませんでした。

そのうち彼はその才能を信じなくなっていきます。
「平和になって欲しいと思って何とか頑張ったけど全然ダメなじゃないか。全然パパとママは仲直りしないじゃないか。」
そんな思いに駆られるようになり、その才能が大きい分だけ失望も大きく、無力感や罪悪感に苛まれるようになります。

そうして彼は両親から距離を置き、ケンカを続ける彼らを無視するようになりました。

しかし、元々『平和』という才能を持つ彼には両親以外にも“争い”を目にする機会は多かったのです。
学校の友達同士、先生と生徒、先輩と後輩。
テレビを点ければ国と国、企業と企業の揉め事ばかりが目につきます。

何とかそんな争いを収めようと自分なりにやってみるのですが、なかなかうまく行きません。
しかし、「何とかしたいけれど、僕には何もできない」と彼は思うようになっていきます。

そうして、平和という才能を持つが故に、才能を使わない世界に彼は足を踏み込んでいくのです。
ずっとその“争い”が気になりながらも。

『問題の陰に才能あり』という心理学の格言があるんですね。

“平和”という才能を持つがゆえに、“平和”を作れなくて悩むんです。
そして、そこに傷つき、無力感を感じ、やがてはその才能が邪魔になっていきます。
でも、才能であるがゆえに、常にその“平和”が必要な場面が目に付きます。
だからこそ、それが問題になっていくんです。

少なくても私たち全員には「愛」という才能が備わっています。
だから、私たちの問題はすべて「愛」で苦しむことになり、「愛」でもって解決していくことができます。

さて、そのほかにあなたはどんな「宝物」を神様から頂いて生まれてきたのでしょう?
ひとつやふたつではないと思いますよ。
それこそ、久しぶりに大切な友人の家を訪ねるときのように両手にいっぱいお土産を持って生まれて来てるんです。


カリスマ性とセクシャリティという才能を持った女性がいます。
彼女は小さいころから友達と遊んでいても目立ち、顔だちも体つきもほかの子よりも発育が早かったので周りから好奇の目で見られることも多かったんです。
性的ないたずらにあったこともあるし、色っぽい雰囲気を持っていたのでそれで先生に目を付けられたり、周りの生徒からも興味本位で見られることが多かったんです。
思春期に入るとさらにそれは加速します。
日本ではセクシャリティはタブーとされているので彼女の大人びた雰囲気は周りから攻撃の的となっていきます。
変な噂を立てられることなんてザラにあり、時には強引に彼女の体を求める男性も現れます。
全然望んでいないのに常に自分は人の目にさらされるのです。
そうしたできごとにいたく傷ついた彼女はどんどん目立たないように、目立たないように自分を隠すようになっていきます。
大人しい服を着て、発言もグッと押さえ、気配を消すように意識をしました。
ところが、そんな風に頑張っても才能ゆえにどうしても彼女は目立ってしまいます。
だから、全然周りの好奇の目や攻撃は止まりません。
だんだん彼女はその才能であるカリスマ性とセクシャリティを恨み、憎むようになります。
そんなものはいらないとばかりにその気配を消すようになっていくのです。

この彼女が男性不信、人間不信になり、ひどく自分を嫌悪し、人に壁を作り、したいことが見つからず、どう生きていいのか分からなくなるのは理解できますよね。
自分の才能を生かすどころか、まさにその反対の生き方になっていくのです。

ちなみにこの女性の文章を読んで「え?あたしのこと?」って思った方も多くないでしょうか?
私、ずっとこうした才能を持った方にお会いしてるんです。
うちの奥さんも実は似た体験をしています。
コラボセミナーを一緒にやってる真島あみちゃんはまさにこれを地で行ってました。

 奥さんのブログ。>http://ameblo.jp/rikazou3/
 あみちゃんのブログ。>http://majimaami.com/

過日、カウンセリングした女性もその最たるものでした。
だから、彼女は女性であることをできるだけ“消して”生きるようにしたんです。
仕事も男っぽいものを選び、普段着もオヤジ的色合いに終始しました。
セッションの後にクローゼットを開けたら思わず絶句したそうです。

“消す”のではなく“出す”こと。
彼女に提案したのはほとんどこれ一つでした。

実はこれが才能なので、彼女が消そうとしたり、隠そうとすればするほど「それは違うよ!」って周りが教えてくれるんです。
強く隠せば、より強くそういうできごとが起こるんです。

カリスマ性とセクシャリティの才能を持つ方は人の前に立ってみんなを導くリーダーシップを持っています。
だから、彼女たちには『女性をキラキラと美しく輝かせるお仕事が向いているよ』って話をします。
セラピストやコーディネータ、講師など。
もちろん、モデルや女優などにも向いてますね。

「あなたみたいな魅力的な女性は敵も作るかもしれないけれど濃密なファンも作るの。それであなたのファンになってくれた人に『あなたってこんな魅力があるのよ!こうしたらもっと輝くのよ!』って言ってあげたらその子、すごく喜んで自信が付くと思わない?あなたはそういうことができる人なんですよ」なんて話をするんですね。(若干オカマ口調で)

才能ゆえに傷つく。
だから、罪悪感を持ち、無力感に苛まれ、自分を否定し、その才能を隠して生きようとします。
しかし、才能だから何度もそれを使わなければいけない場面に遭遇します。
だから、ものすごく嫌悪してしまいます。
それが世間的にタブーとされているものであれば誤解されたり、変な目で見られたりもします。
しかし、“自分を信じて”その才能を開き始めると人生は大きく変わり始めます。

世界は光り輝き、これが自分のしたいことなんだ!と確信し、また、そこに喜びを感じられるようになります。
それまであった周りからの攻撃が「自分を強くするために必要なトレーニング」だったと思えるくらいになるんですね。

さて、あなたの人生でずっと悩んでいるもの、問題だったもの、隠してきたものは何でしょうか?
そこにあなたの魅力や才能が隠れてる、と聞いたらどう感じますか?

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