「人は変わるのだ その2」



妻の食事療法を始めて早4ヶ月。私も適度にお付き合いしているお陰で食生活が一新され、その成果として体重は10kgも減って20歳頃の水準へと返り咲き、ここ数年徐々に悪化して、昨年はレーザー治療も受けた花粉症はほとんど症状が出ることなくGWを迎えている。
また、かつてはパツンパツンで履けなかったパンツにするっと足が通ったときの感動は筆舌にし難いものがあり、体にぴったりだったシャツもふわっとして見えたりするのである。

玄米菜食おそろしや、である。


・・・なんて話を自慢げに友人にしてたら「それだけ不摂生をしていて、余計なもんが体に付いてたってことやんな?」と冷静に分析され、うっ!と言葉に詰まる次第である。

確かに出張先では日々、各地の悪友たちと夜な夜な飲みに出かけ、牛飲してはカロリーオーバーばかりしていたし、家では毎日肉や魚をふつうに食べていたから、だいぶ、余計なものが体に溜まっていたに違いない。

出張を減らしているので、私の愛する不動前、五反田、武蔵小山、大井町、横浜、伏見(名古屋)、薬院(福岡)、大名(福岡)などへの参戦機会は激減した。
お気に入りのバーや大衆酒場への憧れは尽きないが、しかし、以前のような飢えた感覚はもはや乏しい。
お酒は相変わらず愛好家であるから出かけたい気持ちは山々ではあるが、むしろ、「酒」よりも、「人」が恋しいことにこの間気付いてしまったからである。

一緒に飲む仲間に、無口なマスター、気の合うバーテンさん、気が利くスタッフのお姉さんに、気さくで面白い大将。
酒、ではなく、そんな素敵な人たちから少し離れてしまって寂しいのである。
今度会うときは、またその有り難味を感じながら杯を開けたいと思っている。

さて、食事の好みもすっかり変わってしまった。
自分でも信じられないのだが、肉や揚げ物への興味はほとんど無くなってしまい、魚も甘みの強い煮付けや油っけのある刺身は求めず、塩焼きに欲求を残すのみである。
それもたまにでOKで、ふだんは野菜を煮たり、焼いたりで十分おいしく、満足してしまうのである。
もちろん、様々な料理法があって、作る楽しみ喜びも付加されているのである。

先日も、帰りが遅くなるからと朝から豆乳スープとトマトスープの二種類を作り、帰宅後はそこにパスタやマカロニをぶち込んで家族の晩飯とした。
そう、以前から薄々気付いていたのであるが、私は根っからのスープ好きらしく、朝はとりあえず味噌汁を作るところから始まり、3食それぞれに何らかのスープを添えることを常としている。
すなわち、ご飯、味噌汁、梅干で十分なのである。

なお、最近は心身ともに元気になってきた妻も料理する喜びに再び目覚めたようで、晩御飯にデザートまで作って帰りを待ってくれていると嬉しい反面、実はちょっと対抗心を燃やしてしまうのである。
しかも、盛り付けや見た目は圧倒的に妻の方がセンス良く、いわば、レストランの料理と川べりのBBQくらいの差があるのはちょっと悔しい。
ま、味がよければいいのだ、と無理やり自分を納得させているところである。

さて、食事療法は基本、旬のものを摂ることを基本としている。
というか、食材を購入する有機もしくは無農薬の店がハウス物を避けているせいで、結果的に旬のものしか手に入らないのである。

実は私、この冬に目覚めた食材が2つあった。
ひとつは蓮根。もうひとつは牛蒡。
しかし、どちらも旬は秋から冬であり、3月頃から全然見かけなくなってしまったのである。
これはなんだかとても悔しい。ふつうにスーパーに行けば売っているのだが、いまさらハウスで育てたものを買うには勇気がいる。

幸い、もともと大好きなキノコ類は今も余裕で手に入るし、春になり竹の子や見慣れぬ山菜が出回るようになって、新たな楽しみも増えているものの、せっかく気に入った食材が手に入らぬのは辛い。
しかも、この冬は牛蒡、玉ねぎ、ニンジン、蓮根と味噌で作った“しぐれ”がご飯の友として大活躍していただけに、秋までの間、どう凌ぐかも目下の課題なのである。

巷間、今の生活様式で旬を感じることは少ない、と言われていたが、しみじみと実感する。

そんな風に4ヶ月前までの常識はすっかり覆され、つくづく、人は変わるものだな、と思うのである。
その気になれば、これだけの短期間で味覚や好みまで変わってしまうのであるから、人は不思議である。

砂糖が体に悪いと聞いて避けていたら、いつしか、砂糖入りのものを食べたときに口内に違和感を覚えるようになった。
肉や魚の油を避けるようにしていたら、たまに食べたハンバーグがいつまでの口の中でべたついているようで気持ち悪く、食べたことを後悔するようになった。
電子レンジはよくないからと蒸し器を使うようになったら、あったまるまでの10分間が全然長いと感じなくなった。
圧力鍋も避けたほうがいいと聞き、玄米を土鍋で1時間かけて炊くことも苦痛に感じなくなった。

一見、動物性を断って玄米菜食な食生活はストイックかつ、偏っているように思えるのであるが、料理も含め、楽しいので続けられるのである。
かつての私にはそんな生活は信じられず、否定的ですらあったから、今、現実がそうなっていることがほんとうに不思議である。

さて、贅沢な悩みではあるが、10kgも痩せたとなれば、それまでの服はぶかぶかであり、かなりだぶだぶなファッションスタイルとなっている。
「痩せたんですね」と言われるうちはいいのだが、それが落ち着けば、きっと「根本さんってそんな服のセンス?」と言われるようになるに違いない。
それまでに何とか今の身にあった服を揃えたいのであるが、一抹の不安は残るのである。

「もし、どこかで気持ちが切れて、リバウンドを開始したら?」

実際、5月から7月にかけて、再び怒涛の出張週間が続くのである。
すなわち、誘惑物がちらつく機会も多いということで、やはりとても悩ましいのである。


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