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「かわいそう」って愛の言葉なのでしょうか?
もちろんそういうケースだってあるかもしれませんが、それは同情というもので実は愛ではありません。
密かに上から目線になっていて優越感を覚えているもので、そうすると癒着がどんどん深まり、自分や相手の首をどんどん締めていくことになるのです。
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例えば、モラハラな夫との関係についてお話を伺っていくと、けっこうボロボロになっているにもかかわらず、なかなか離婚の覚悟ができない、という声をお聞きします。
もちろん私は離婚を推奨するわけではないのですが、夫の暴言がかなりひどく、散々人格まで否定されている状況を伺うと「距離を取る」ということをお勧めしたくなります。
たいていそういう場合は心理的な癒着が起きていることが多く、離れられなくなっていることが多いものです。
そういうときは「なぜそこまでされているのに離れられないのか?」という疑問を投げるのですが、「なんか彼がかわいそうだから」という答えが返ってくることが多いのです。
また、なかなか恋愛ができないとか結婚が遠い、というご相談を伺っていると、「母」との関係がクローズアップされることも少なくないものです。
いろいろと事情は異なりますがまるで「母と結婚しているような」「母の母を長年やってきているような」そんな様子がうかがえるのです。つまり、母との心理的距離がとても近い状態です。
そうすると無意識に「彼よりも母を選ぶ」ということをしてしまうので、なかなかパートナーシップがうまくいかないんですね。
そうするとやはり母とは適切な距離を取りたいと思うのですが、そこに抵抗があって、「なんだか母をひとりぼっちにするようでかわいそう」という声がやはり聞こえるのです。
この「かわいそう」という同情の気持ち。
実はちょっと危険な思いなのですね。
みなさんが誰かに対して「かわいそう」という気持ちを抱くシーンを想像してみてください。それは彼や母以外でも、後輩とか同僚とか友達とか子どもとかいろいろあるでしょう。
その相手のことを大切に思っていることは間違いありません。
でも、その相手のことを「下」に見ていることにお気づきでしょうか?
つまり、上から目線になってしまってるのではないでしょうか。
同時に、ちょっとした優越感のようなものはありませんか?
それが身近な人に対して感じている場合、その人と距離を取ることって難しいと思いませんか?
自分がひどいことをしているような、相手を傷つけるような、自分が悪人になったような感じはしませんか。
もし、手放してしまったら、相手がどうなるのか不安になったり、心配してしまったりしそうじゃないでしょうか?
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「かわいそう」という思いがあると、夫や母を手放すことができなくなります。
そして、その思いの分だけ、癒着は強くなっていきます。
モラハラな夫だけど、自分がいなくなったらちゃんとやっていけるか不安。
母を手放してしまったら、母がひとりぼっちになって誰も味方がいなくなってしまうような心配。
だから、「私が側にいてあげなければ・・・。私がちゃんとしてあげなければ・・・」という気持ちが生まれ、むしろ、自分からさらに距離を縮めようとしてしまいます。
これ以上近づくことができない状態を「癒着」と言います。
だから、お互いにお互いを傷つけ合い、苦しめ合う距離にあるのです。
「手放す」ということは「見捨てること」でも「未来永劫他人になること」でもありません。
心理的に適切な距離を取るための行動です。
適切な距離というのは、“お互いに”傷つけ合うことのない距離であり、心地よくいられる距離を指します。
距離が近すぎることによってしんどい思いをしたり、苦しくなったりすることを避けるためのアプローチなんです。
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「彼を助けなければ」という思いがあれば、ひどいことをしても「悪いのは自分」であり、「助けられない自分が悪い」「彼をこういう風にしてしまったのは私のせい」という風に感じてしまい、その罪悪感からさらに癒着が深まります。
頭では「こんな人と一緒にいても未来はない」と思います。
けれど、心はしっかりくっついてしまっているので、お互いに傷つけ合うことしかできなくなるのです。
だから、そういう場合はその状況をしっかり理解した上で「彼を自由にしてあげよう」という選択をしていきます。
また、「母の母役」を長年担っていればそれが当たり前になって、そのことにすら気づけなくなります。
「母がかわいそうだから自分がちゃんと面倒を見てあげなければ」と思う気持ちは愛情に見えるのですが、それは同情ですね。愛情と同情は別のものです。
だから、そこは母を信頼し、母もひとりの大人であることを改めて自覚し、そんなに弱い存在ではないことを受け入れていきます。
どちらのケースでも抵抗が強くなる分野です。
頭では分かるけれど・・・という。
そうした意識を持っていくことと同時に、自分をいたわる、自分を幸せにする、自分をこれ以上傷つけない、という意識も育てていきたいものです。
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「かわいそう」と感じているとき、夫軸、母軸などの他人軸になっているんですね。
自分のことを知らず知らずのうちに後回しにしています。
モラハラでカウンセリングを受けるまでって何か月って単位じゃなく、年単位になってることも多いです。
「ここ2,3年、夫のモラハラがひどくて」という風に。
つまり、2,3年、モラハラに耐えてきた自分がいるんです。
そして、そのうちに癒着が進み、夫軸になってしまっている、のですね。
他人軸になっているのですから自分のことは放置されます。
後回しになってしまいます。
だから、どれだけひどいことを言われて傷ついてもその場を動くことができなくなってしまうのです。
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リーダーシップの考え方のひとつに「まず、わたしが幸せになる。そして、その幸せを与える」というものがあります。
夫や母と距離を取ることは決して彼らを見捨てることではありません。
まず、自分が幸せになる、ということを選択し、その後に、彼らに幸せを与えるのです。
だから、自分軸を意識しながら、自分と相手の幸せのために「手放す」ということを選択していくのです。
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今の自分を知る、今の自分を受け入れる、そして、自分を大切にする、という“当たり前だけどつい忘れがちなこと”をしていきます。
また、私の個人セッションやリトリートセミナーでは、そうした関係を「体感」してもらうことをよくやっています。
夫や母との心理的な距離を測り、客観的に見てみます。
そこで、実際に夫や母から距離を取ってみて、そのときの感情を見ていきます。
そして、手放した後の感覚を感じてもらいます。
百聞は一見に如かず、で、そうして体感を得ると、いかに今の自分がしんどいかに気づき、手放したときにいかに心が軽くなるかが分かる上に、それが決して辛いものではないことも分かるので、今後の選択がしやすくなるのです。
そして、多くの場合、実際に手放してみると、夫の態度が急変する、とか、あっさり離婚の気持ちが固まった、とか、母はひとりでも全然大丈夫だった、母は母で元気でやってる、という現実が目の前に現れるものです。
もちろん、そのとき自分の心も軽く、自由になり、とっても楽になっているものです。
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