どうしたらこの虚無感を脱して大手を振って幸せを求めていけるようになれるでしょうか?


良きこと悪しきことは表裏一体なので、必ずしも虚無感が悪いのかどうかは検討の余地がありますね。

***
リクエストさせてください。

これまで1年半ほど面談や電話のカウンセリングを受けてきて、過干渉のお手本のような母への殺意のような怒りや、家族の中に居場所を作ってあげられなかった父(20年前に他界)への罪悪感などを聞いていただき、最近ではずいぶんマシになってきた気がします。

実際、「死んでも結婚なんかしない」と言っていた私が38歳にして婚活を始めました!また、身体がちぎれるような孤独感も、前はこんな場面で特に強く感じたのがそういえば今回は感じない、と気づいたり、友人からの応援の言葉が、以前は「適当にきれいな言葉を使っただけ」と思っていたのが心にしみるように嬉しかったり。

そんな風に少しずつ前進しているとは思うのですが、折に触れて「今更幸せを求めても無意味」という虚無感に襲われるのです。

私は以前から67か68歳くらいで死ねたらいいなと思っており(往生際悪く長生きしたくない)、そうするともう私の人生は残り30年なんですよね。
既に半分以上人生終わって後は死ぬだけなのに何を今更。むしろ自分が死んだ後誰にも迷惑かからないように今から手続きして、貯金だけ持って南の島に移住してそのまま海に還っていけば後腐れなくて良いんじゃ。私なんで生きてるんだろ。と思ってしまうのです。

でも本当は、私も幸せに生きて良いと思いながら生きたいのです。私も居場所がほしい。大事にされたい。(←これ言えるようになったのも進歩ですちなみに)

どうしたらこの虚無感を脱して大手を振って幸せを求めていけるようになれるでしょうか?

もし機会があれば、取り上げていただけましたら幸いです。
(Aさん)
***

まあ、居場所が欲しいとか思えるようになっちゃったんですね~!それは大変です!!おめでとう!!急ぎ、祝賀会の準備をしなければっ!やはり日本酒派ですか?それともワイン?いやあ、最近、私もちょっと焼酎を飲むようになったんですよね~。

物事は表裏一体で、良きことも悪しきことも見方によってコロコロと変わるものでございまして、一歩進んで良くなったかなあ、と思えば、他方、今まで目に着かなかった悪しき点がほろっと見えて来たりする。

それでもって、ああ、これは良くなったのか、悪くなったのか、よう分からんなあ、と店先で悩んでいたところ、ふらっとご隠居さんが暖簾をくぐって入ってくるではないか。

「やあ、ご隠居、ご隠居!ちょうどいいとこに来てくれた。ささ、こちらへ、ささ、こちらへ。」

「おやまあ、番頭さん、これまたそう老人を急かしなさんなって。まだ日も高いゆえ、時間はたっぷりとありますよ。で、どうなされたのかな?」

「いやね、あたしもいい年になりましてな、今までは1人で生きてく、連れ合いなどいらんと思ってたんですがね。最近、ちょっと寂しさっていうのか、自分にも居場所が欲しいな、とか思うようになっちまいましてね。」

「おや、番頭さん、そんな風になられましたか。それはまた吉兆で。いよいよ所帯を持とうかってことになりますかね?」

「いやそんな話を先に進められても困りまして、居場所が欲しい、大事にされたいとか思うようになりましたら、その一方で、なんか虚しさというか、虚無感が出て来たんですよ。これ、何とかならんもんですか?」

「そら、道理というものじゃよ。今まで居場所何ていらん、と思ってた人間が、居場所が欲しいと思い始めたのならば、それまで見ないようにしていた居場所絡みの感情がじゃな、あれやこれやと騒ぎだすものなのじゃ。
ほら、居場所が欲しいと思った途端、強い寂しさを感じる者もおるし、今までの癖で、そんなこと求めても意味がない、と再び否定しようとする者もおるがな。
でも、それかて、大きな一歩には違いがなく、それはそれで素晴らしいことなのじゃよ。
番頭さんはやはり日本酒でしたかな?葡萄酒なども嗜まれるか?さっそくこの後一杯ひっかけに行かぬか?」

>「今更幸せを求めても無意味」という虚無感に襲われるのです。

出てくる感情はすべて正しくて必然って見方をします。
水が高いところから低いところに流れるように。

だからこの虚無感も出てくるべくして出て来てるものなんですよね。

Aさんの中で、居場所が欲しい、とか、大事にされたい、という革命が起きたでしょう?
そうしたら、それまでは自立一辺倒で頑張ってきたので、そんな虚無感が出て来なかったんですけど、その反対の方向に舵を切れば当然流れは変わってしまうんです。
見方を変えればずっとAさんの中にこの虚しさや虚無感はあったんだろうと思います。
でも、それが当たり前になっていたので何とも思わなかったんです。
それが方向転換により明らかになってしまったんじゃないでしょうか。

だから、この虚無感もまた良きことかな、ということになります。

それに今までそうじゃない人生を歩いてきたんなら、今からそう思うのも大変だと思いません?
慣れてませんもん。

38で新しい仕事覚えるようなもんですよ。
でも、これもまた「40の手習い」って言葉があるように、昔からの伝統なんですね。
アラフォーは人生の分岐点ですね。

>私は以前から67か68歳くらいで死ねたらいいなと思っており(往生際悪く長生きしたくない)、そうするともう私の人生は残り30年なんですよね。
>既に半分以上人生終わって後は死ぬだけなのに何を今更。むしろ自分が死んだ後誰にも迷惑かからないように今から手続きして、貯金だけ持って南の島に移住してそのまま海に還っていけば後腐れなくて良いんじゃ。私なんで生きてるんだろ。と思ってしまうのです。

こういう思いも実はその虚しさなり寂しさなりを肯定するための補償行為なんですよね。
今の自分の状態を正当化するためにこうしたファンタジーを描いてしまうんです。
だから、これは本音じゃないんですよね。

本気でそう思ってる人はすでに行動を起こしていますしね。

>でも本当は、私も幸せに生きて良いと思いながら生きたいのです。

この思いが本音で、かつ、実はずーっと昔からあった気持ちなんじゃないかと思います。
でも、それを素直に認められない状況にあり、それで今まで必死に蓋をしてきたんだけど、最近、誠に残念なことにその蓋が取れてきちゃったんですよね。

>折に触れて「今更幸せを求めても無意味」という虚無感に襲われるのです。

だから、こういう思いがやってきたときは、「おぉ、とても順調順調。私は正しい道を進んでるんだわ」と思うようにしてください。

でも、欲しいし、幸せになりたいのは本音ですからね。

つい先日、常連さまがこんな話をしてくれました。

「私、51年生きて来て初めて『私、幸せになっていいんだ』って思えたんですよ!自分でもびっくりしちゃって。今までそんなこと思ったことがないから。」

51年目で気付けたんならそれはハッピーです。
祝杯上げましょう。

幸せになっていい、って言葉はみんな知ってるし、ある意味、みんな思ってるんだけど、それが本当の意味で腑に落ちるとそれは感動体験になります。

>どうしたらこの虚無感を脱して大手を振って幸せを求めていけるようになれるでしょうか?

共に生きていきましょう。
虚無感と幸せ求める気持ちは表裏一体ってことで。
でも、虚無感があっても大手を振っていいんですよ。

まあ、30年あれば、できることなんていっぱいあります。
最近、私の加齢と共にお客様の年齢層も上がってきまして「元気で幸せな50代」によくお会いするんです。

でもまあ、慣れてない新しい世界ですから手探りで進みましょう。

まずは今、できることから。ひとつずつ。

毎日使える心理学講座
○根本のメールマガジン
○根本のセミナー・スケジュール
○根本のカウンセリング
☆音声配信サービス
【根本の講座が自宅で、電車で聴ける!】ココロノポッドキャスト
☆DVD
『「手放すほどの愛がすべてを変える! 今、ここから愛されて幸せ妻になる法則」セミナー』
『10年愛されるカウンセラーになる秘密』
☆根本本。
根本の著作

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter で心理カウンセラー根本裕幸をフォローしよう!


おすすめ関連記事