自分らしい人生を生きるためにはどうしたらいいですか?~祖父母の呪縛に捉われる今~



思春期特有の反抗期を抜けるとやがて親(祖父母)と和解する時期がやってきます。
そうすると親が期待した人生も、自分らしい人生を生きる上での選択肢になり得るんです。
そこで、まずは自分を許してあげましょう。

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いつも素晴らしいブログをありがとうございます。自立系女子の方が多いブログとのことですが、依存系男子から質問させてください。

「自分らしい人生を生きるためにはどうしたらいいですか?」私は、自分の人生を生きている気がしません。

このブログを読むうちに、原因は祖父母との関係かなと思うようになりました。私は祖父母と2世帯住宅で育ちました。祖父はある業界の名士です。
私は内孫で初めての男子で同居もしているので、祖父母に溺愛されました。私が8歳の時に祖父は亡くなっているのですが、祖母は現在も健在です。
そんな祖母から、祖父と同じようになることを期待されました。具体的には、いい大学に行き、祖父と同じ道に進むという期待です。私は勉強のみしていればよく、あとは周りが何でもやってくれました。
小・中学生の頃はがんばりました。勉強をサボったことを祖父の仏壇の前で謝る子供でした。

高校生になり祖母に嫌気を感じました。自分の人生を生きたいと思い、祖母が満足できる中から遠い大学を選び、以降は離れて暮らしています。
社会人になるにあたり、祖母の期待とは異なる仕事を選びました。しかし、いつも仕事がうまくいきません。
努力はしてきました。休日も仕事や勉強をしてきました。(休日にゆっくりすること、遊ぶことが最近まで苦手でした)
様々な仕事がうまくいかず、現在の仕事に至ります。今はある程度うまくいっています。私自身も楽しいです。ただ、現在の仕事は祖父の分野と一部かぶっているのです。

「祖父母から自由になろう」と、もがいたのにうまくいかず、祖父母の期待する道ではうまくいく。まるで祖父母の手のひらの上で踊っているような感覚です。

最近は、「祖父母から自由になれないなら、私が生きる意味なんてないのかな」という無力感を感じます。

昨年、根本さんの「癒着の心理学」に参加しました。祖母との癒着を実感し、学んだ言葉を唱え続けることで、祖母を客観的に見られるようになりました。革命的な進歩でした。

ただ、まだまだ自分の人生を生きている気がしません。最近はこのことばかり考え、苦しい日々です。

どうすれば、自分らしい人生に近づくことができるのでしょうか?妻が妊娠しており、自分の人生を生きる父親像を生まれてくる子供には見せたいと思っています。
何かヒントを頂けましたら幸いです。
(Tさん)
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依存系男子のご質問に、同じく依存系男子がお答えします!共依存にならないように注意しましょうね!!(笑)

たぶん、Tさんが期待されてるような答えは返せないかもなあ、と思いました・・・。

「自分の人生を生きてる気がしない理由」は一言で言えば「反抗期を終えていない」からではないでしょうか?

祖父母に反発する、あの高校時代に祖母に感じた嫌気は思春期の男子としてはとても正しいものです。
いわゆる第二次反抗期って奴ですね。
そうして、私たちはみな、精神的に親や庇護者から離れて自立してくのです。

ところが、その自立の仕方は10代に相応しい可愛らしいもので「親が右に行け、と言うから、左に行く」というスタンスです。
要するに“反面教師”ってやり方なんですね。

だって、まだまだ世の中のことは分からないし、自分に何が向いているのか、自分が何をしたいのか分からないわけですから、それまでの羅針盤である親の意見に反抗することくらいしかできないわけです。

しかし、そのお陰で自立し、葛藤しつつも自分自身のアイデンティティを求めていきます。
そのプロセスの最中に反面教師を手放して、親を許すプロセスがやってきます。

例えば「会社に勤めたらお父さんの苦労、気持ちが分かった」とか「子どもを産んで初めてお母さんの気持ちが分かった」という方も多いでしょう。

そういう体験を通じて最初は絶対に選びたくなかった「右」という選択肢も、だんだん受け入れられるようになっていくんですね。

反抗期を終えて、親と和解して、本当に成熟した大人になっていく、というわけです。

ところが、このプロセスは理想だけどもなかなか難しく、親子関係の複雑な心理を見事に描き、エディプスコンプレックスの傾向と解決策を提案してくれている名著「美味しんぼ」(小学館)に見られるように大人になってもついつい反抗を繰り返したり、競争心でいっぱいだったりすることもあるんですね。

大人になる葛藤が様々な形で出てきて、押しつぶされそうになるわけです。
そこを友達に支えられたり、先輩に厳しく叱咤されたり、恋人に救われたりしながら成長し、やがては親を許していくのです。

こうした心理は私の友人でもある長井正樹さんが父親から事業を引き継いだ2代目、3代目社長の話として紹介してくれています。
先代を超える「2代目社長」の101のルール(明日香出版)

良かったら一読下さい。この本では「父親」ですが、Tさんは「祖母」もしくは「祖父」として読んでみると気持ちが楽になるかもしれません。

反抗期を終えていない、というのはTさんのこの一文にも見て取れます。

>最近は、「祖父母から自由になれないなら、私が生きる意味なんてないのかな」という無力感を感じます。

すごく正直な気持ちだと思うのです。
Tさんと同じように、偉大な祖父、偉大な父を持つ方はみんなこの気持ちになる時期があるんじゃないかと思うくらいです。
偉大な分だけ、その手のひらから逃れるには大変なエネルギーが要りますよね。
それはTさんもよくよくお感じのことと思います。

しかし、それくらい未だに祖父母の呪縛から逃れられずに、逃れようともがいている、つまり「祖母が右に行けというから、左に行く人生」を継続されているのかもしれないですね。

もう疲れるでしょう?
ずっと祖母の目を気にしながら逃げ回っているようなものですからね。

Tさんの心に潜むのは「罪悪感」です。その罪悪感がまずはTさんに無力感を感じさせています。

「おじいちゃん、おばあちゃんの思いを遂げられなくてごめんなさい」

いや、もっと言えばこんな感じです。

「ぼくはおじいちゃんみたいになって、おじいちゃん、おばあちゃんをよろこばせてあげたかったんだ。でも、ぼくはそれができないばかりか、だいすきなおばあちゃんをかなしませてしまってます。ほんとうにごめんなさい。」

小学生の頃、Tさんはおじいちゃん、おばあちゃんが喜んでくれることが何よりも嬉しかった、幸せだったんではないでしょうか?

もうその記憶はありませんか?

そのとき、誓うんです。
「おじいちゃんみたいになる!」って。

それは祖父母を喜ばせたい一心でそう思うんですね。
そこには「愛」しかありません。

しかし、反抗期を迎えてアイデンティティの確立を目指し始めるとその心は揺らぎ始めます。
このままでいいんだろうか?と。
しかも、その期待度が想像以上に大きいことに気付けば、そこからドロップアウトしたくなるのも仕方がないでしょう。

だから、思春期の頃もTさんは深く懊悩していたものと思います。

でもTさんの心の中にはずっと祖父母を喜ばせたい気持ちがずっと続いているんです。
もちろん、これはTさんに限った話ではありません。
私たち全員が多かれ少なかれ、親の期待、祖父母の思いを背負っています。
そして、それに応えられなかった自分を責めているんです。
それが罪悪感という感情です。

ちょっと上から目線な話になってしまいますが、Tさんがもし反抗期を終えられたらどういう思いになるか?というと、

「祖父母の手のひらの上で生きる、という人生もありだな。それが俺には相応しいのかもしれないな」

です。

それは決して恥ずかしいことでもないし、惨めなことでもないし、情けないことでもありません。
長井さんの本を紹介したのも、実は親との確執を越えて和解すると世界が広がることを教えてくれているからです。

こういう話って聞いたことありません?
「親に反発して家を飛び出して東京で働いていたけれど、大人になるにつれて農業の素晴らしさを知り、30代になって実感に戻って跡を継ぐことを決めた息子」
「自分は商売人には向いてないとサラリーマンをずっと続けていたが、親父が倒れて仕方なく実家に舞い戻り、いやいや商売を継いだのだが、そこでサラリーマン時代の経験が生き、また周りの人たちの温かいサポートがあって、今では家を継いだことを感謝している息子」
みたいな。

私のクライアントさんでも、「医者家系に嫌気がさして医師の国家試験まで通ったところで全然違う仕事に就いた(親が医学部以外の進学を認めなかったため)。周りは嘆き悲しんだがザマアミロという気分だった。しかし、その違うはずの仕事で出会うのはなぜか医師ばかりだった。それも素晴らしい人格の。
ある時、雇い主が『あなたはそろそろ自分の道に生きた方がいいんじゃないの?』って言ってくれた。そのときハッとして医師として生きることを決めた」という方がいらっしゃいます。

人生で寄り道するのは悪いことではありません。むしろ、良いことだと思います。
私のように気付けば寄り道が本業になってしまった人間にとっては人生を豊かにするのが寄り道だと思ってます。

さて、どうして祖父母の期待する道を歩くことが恥ずかしくないし、惨めでもないと言い切れるかというと、

>「祖父母から自由になろう」と、もがいたのにうまくいかず、祖父母の期待する道ではうまくいく。まるで祖父母の手のひらの上で踊っているような感覚です。

これは他ならぬTさん自身が望んだ人生だからじゃないのかな?と思うからなんです。
期待に応えたいTさんがいて、祖父母を喜ばせたいTさんがいて、だとすると、その道に入ればうまく行くに決まってますよね?

だって、それが本当は自分がしたいことなんですから!
幼少期に決めた生き方なんですから!

「うまく行く」という現実が教えてくれるんです。
「君にはこれが似合っているんだよ。」と。

後は、それを受け入れる勇気、覚悟があるかどうか?です。

なぜ、自分の人生を生きているような気がしないのか?
それはすぐ目の前にある自分の人生に目を背けているだけかもしれません。

まずは、祖父母の期待に応えられなかった自分を許しましょう。
たぶん、たくさんの涙が流れることと思います。

子ども時代に見たおじいちゃん、おばあちゃんを思い出してほしいんです。
特に、おじいちゃんの嬉しそうな笑顔。

そのおじいちゃんに「ごめんなさい」って言ってみてください。
かつて仏壇の前でそうしたように。

そして、もう一度、あのおじいちゃんの愛を感じましょう。
同時に、おばあちゃんのあの愛も受け取りましょう。

意外かもしれませんが、祖父母から自由になる、とは、愛を受け取る、ということなんです。
反抗することではなく、受け入れ、愛し、愛を受け取り、与える、ということが「自由になる」ということなのです。

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