自分以上に苦労した人じゃないと幸せになることが許せない。


他者評価に委ねる生き方は、常に自分にダメ出しをし、他人と比較し、嫉妬や劣等感、競争心を生み出します。
そこではいかに「自己評価」に重みを置くか、なのですが。

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はじめまして。ここ数年毎日先生のブログを拝見している33歳の女です。
私の10年来のテーマは同性に対する嫉妬で、先生の嫉妬の記事は印刷して繰り返し読んでいます。
「嫉妬の対象は、あなたが価値を見ていて、かつ、興味を持っていることで、まだ手に入れてないものに限って起こる」と、最近ありました。
でも、自分の場合は少し違っているかもしれません。それとも自分のは嫉妬とは呼ばないのかな?

欲しいと思ったものは血を吐くように努力して全て手にしてきました。海外大学院留学も、国際結婚も、子供二人も、暖かな家庭も、望んだキャリアもです。
一方で、子供時代の思い出は明るいものではありません。ずっといじめられていました。束縛の強い母親の影に、最近までがんじがらめになっていました。自分にプレッシャーをかけすぎる傾向があり、それが原因で体を崩したことも何度もあります。

やがて自分と似たようなところのある女性と比較しては酷い嫉妬をするようになりました。おかしいのは、「まだ手に入れてないもの」ではなく、むしろ「自分が手に入れたものを将来的に手に入れそうな可能性を感じる人」に対して嫉妬する傾向があることです。例えば、まだ独りだけれど将来的に素敵な彼と出会いそうな人、とか。

傲慢を承知で言えば、まるで、自分が持っている「モノ」のリストにチェックを入れて、いつも自分が一番であることを確認したいようでも、自分以上に苦労した人じゃないと自分より幸せになってほしくない、と思っているようでもあります。

これまで人からの評価でしか自分を判断する傾向が強かったり、自分の過去をまだ受け入れきれていないからなのかもしれません。
ここ数年は少しずつよくなっていますが、なお他人と自分をオートチェックしてしまう自分にうんざりしています。たくさんの夢を叶えたのに、まだ満足できない自分は強欲で愚かです。

疲れて将来を悲観することもありますが、先生のブログは励ましとなっています。この上更に、厚かましいのですが、もし何かの機会がありましたら、一言コメントいただけたらありがたく思います。
(Mさん)
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Mさんはもう分かっていらっしゃるんですけどね。

>人からの評価でしか自分を判断する傾向が強かったり、自分の過去をまだ受け入れきれていないからなのかもしれません

ということに尽きるのかもしれません。

例えば、血のにじむような努力をしてようやくレギュラーを取った選手がいるとします。しかし、新たに入ってきた後輩はあまり努力をしていないのに天性の才能であっさりとその選手のポジションを奪ったとします。

ものすごく悔しくて、嫉妬して、地団駄を踏んで、自棄になって、やさぐれてしまうと思いませんか?

でも、その後輩が自分が知らないところで、それこそ自分以上に努力をし、かつ、恵まれない家庭で育ったためアルバイトをしながら練習をしていると知ったならば、嫉妬心はすぐになくなり、むしろ応援したり、励ましたりするようになる気持ち、分かるでしょう?
彼は「血のにじむよな努力」に価値を置いているのです。
「努力をした人は素晴らしい。してない人はダメだ」と思っています。
その背景に何があるかというと「自分には才能はない」という自己否定です。
「能力がないんだから努力しなければ自分はレギュラーを取れない」という思いがあるわけです。
だから、「努力していないのにレギュラーを取る人」が羨ましくて、嫉妬しますし、許せないし、失敗を願うようになります。

つまり、何に嫉妬しているかというと「天性の能力」というものです。
彼が自分を否定し、ダメ出しをしていて、自分にはないと思っているもの、でも、心から欲しているもの、が、それですよね。

これは誰にでもあるものだと思います。
特に自己嫌悪・自己否定が強い方は大いに頷かれることと思います。

でも、もう一つポイントがあって、自己嫌悪が強い人ほどその傾向が大きいのですが、「自分の価値を他者評価に委ねている」という問題です。

「レギュラーを取る」はもちろん、「テストで一番になる」「出世する」なども「他者評価」と言えますよね。
レギュラーを決めるのは監督・コーチですし、順位は他者との比較ですし、出世もまた上司など他者が決めるもの。

他者評価に委ねる、ということは、人目を気にし、競争し、比較しなければいけませんから、常に不安、怖れと共に嫉妬や優越感、劣等感などの感情がわんさか出てきます。
それは「依存」ですものね。

そこから「自立」していけば、「自分にできることをする」「自分なりのベストを尽くす」「結果はあとからついてくる」「なるようにしかならない」という思いが心の中心に出てくるので周りの評価や順位、状況などは気にならなくなります。
比較対象は過去の自分自身となり、自己ベストと競争しますから、不安や怖れからは抜け出せます。

他者比較がなぜ不安や怖れを引き起こすのかというと、自分にはどうにもならないものが相手だからです。

でも、私たちはもともと他者評価を気にしながら育ってきます。
どの家庭でも他ならぬ「親」が評価者であることが多いからです。

親に認められなければいけない、という環境にあれば、どうしたって親に評価されるために頑張りますし、自分がどれだけよくやったと思っても親にダメ出しされたら凹みます。
特に過保護・過干渉な親子関係では「ああせい、こうせい」という親のエゴが強く出てきますから、どうしたって「自己評価<他者評価」になってしまいますね。
自分なんてダメだ、という思いが強くなりますから。

Mさんの場合、親の束縛やいじめなど、どうしても他者評価の中で生きてこられました。
それが辛くて悔しくて見返してやりたい気持ちも強かったと思います。
そんな中で「努力すれば手に入る」という成功体験をすることになります。
そうすると「努力すること」が何よりの価値になってしまうんです。
努力せずに欲しいものを手に入れる人を見ると、まるで自分が否定されたように思います。
かつて血のにじむような努力をした自分が浮かばれないからです。

自己嫌悪、自己攻撃が強いと、自分が持っているものの価値が非常に低くなります。
他人が持っているときは素晴らしいものでも、それが自分のところに来ると途端に価値を失うのです。

そこではどれくらい自分自身が素晴らしいか、というテーマを受け取っていく必要があるんです。
ご主人がどこの国の方かは分かりませんが、彼はとってもMさんのことを褒めたり、価値を見たり、感謝したり、愛情を表現したくれたりしてくれてません?
その思い、受け取れてますか?

もし、彼が自己肯定感が高く、Mさんをたくさん認めてくれる方ならば、ぜひ彼を「先生」として、その思いを受け取ってみてください。

同時に、自分が今まで成し遂げてきたこと、親のためにしてきたことを、誰かとの比較ではなく承認してあげましょう。
そこで、例のお手紙作戦なんですけど、過去の自分、とっても頑張ってた頃の自分にお手紙を書いてもらいたいんですね。

例えば、12歳の歯を食いしばっていじめを耐えてた頃の自分、とか、海外に留学して必死に頑張ってた自分、とか。
その自分に叱咤激励するのではなく、もちろん、ダメ出しするのではなく、ただ、その存在を承認し、褒め、共感し、許し、ねぎらってあげます。
優しい言葉を自分自身にかけるのは苦手かもしれませんから、この手紙を通じてレッスンですね。

「私はただ素晴らしい」を学ぶために今の問題は起きています。
ぜひ、「何もしなくても私は素晴らしい」とか「今までの自分がいるから今ここにいる。今までの自分、ありがとう!」とかそんな思いで自分を認められるようになっていきましょう。

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