すごく愛してくれた、大切にしてくれた彼がいて、でも、二人の関係が深まるのが、なぜかわからないけれどすごく怖くて、それで、結果的に“逃げて”しまったこと、ありませんか?
もちろん、付き合う前でも構いません。
そこで「逃げる」場合もありますが、「暴れる」というパターンもあります。
悪態を付いたり、相手を否定したり、まるで彼をテストするかのような態度を取ってしまうことも。
カウンセリングで「恋がうまく行かない」というご相談の中で、意外と多いテーマなんです。
「出会いがあったり、好意を示してもらえたりするのって本当にありがたいことだと思うんですが。しかも、相手は素敵な方ですし。」
そういう彼女も、もちろん、そんな悩みを持つようには見えない素敵な女性なんですけどね。
心の中を掘り下げていくと、やはり未消化な心の痛みが出てくるんですよね。
過去の傷ついたひどい失恋が原因の場合もあります。
逆に誰かを傷つけてしまった深い罪悪感が根ざしていることもあります。
さらに、幼少期から一人でいることに慣れてしまった、孤独な自分と出会う場合もあります。
私たちは、そうした痛みを少しずつ癒し、緩和していくことを目指します。
またもう一度誰かを好きになれるように。
自分を許し、また誰かを愛せるように。
幼少期の孤独を愛で癒し、誰かとのつながりを感じられるように。
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すぐ近くに誰かがいて、安全で、無条件に愛を注がれる・・・。
そんな経験って誰もが欲しいものだと思うんですね。
そして、愛する人がいれば、誰でも与えてあげたいものだとも思うのです。
しかし、幼少期、特に0歳~3歳(あるいは6歳)くらいまでの間に、この安全や安心感、無条件の愛が不足していると、それは人生を通じて、あなたが追い求めるものになり、また、逆に欲しいけれど、受け取ることが怖いものになってしまうようです。
でも、この時代に、本当に充分与えられた、という人は実は稀です。
だから、ほとんどの方に、少なからず、この傾向はみられるのです。
大人になって恋した大好きな彼からの愛も、欲しいものなのに、受け取ることが怖くなります。
「本当に欲しいものを手に入れることは、失うことよりも、怖い。」
という理由により。
だから、それぞれ傷つくたびに私たちは自立します。
もう傷つかないように、一人で生きて行こうとします。
頑張って何とか愛を得ようとしたり、与えようとします。
それはあたかも心に空いた穴を埋めるかのように頑張りすぎることもあれば、自分の存在を誇示して愛を得ようとする場合もあります。
自立の陰には、いつも「私は一人」という孤独感が隠れています。
一人で生きてきた分、誰かと「二人」になることがとてつもなく怖いんです。
「一人でいるときの寂しさよりも、二人でいるときの寂しさの方が辛い」
だから、誰も心に入れられなくなることもあります。
距離が縮まると、なぜか、また距離を取りたくなったり、取られたりします。
「誰かに自分を愛させてみませんか?」
その提案は時にとても恐ろしいもののように聞こえます。
あるいは、「そのつもりです!」と主張したくなるかもしれません。
「あなたは誰の愛を、今、求めているのでしょうか?」
今、あなたに愛を与えてくれている人はいますか?もし思い当たる人がいたら、その人の愛をただ感じてみてください。
今ではなく、過去の誰かでも構いません。あなたに無償の愛を贈ってくれた誰かがいたとしたら、その人のことを少しだけ思い出してみましょう。
今なら、少し、心の中にその愛を受け入れられるはずですから。
ちょっとイメージしてみてください。
誰かの愛に、ただ満たされている自分。
柔らかな光の中で、深い呼吸ができ、誰かを愛している感覚。
そして、そのイメージの中のあたたかい空気の中で、何度も深呼吸してみてください。
もし、心がほかほかと温かくなってきたら、時々このイメージワークをしてみてください。
もし、全然何も感じず、感じられなかった場合は、もしかしたら合わなかったかもしれません。ごめんなさいね。
でも、直感的に続けたほうがいいと感じたら、何も感じなかった場合でも、ちょっとチャレンジしてみてください。
素直に愛が受け取れますように。