*「こんなとき、どうしたらいいの?」にお答えする心の処方箋シリーズ*
私達には少なからず意地やプライドがあり、そこでは、誰かと競争したり、張り合ったりしてしまうものです。
勝てば優越感、負ければ劣等感。
しかし、その先には何となく虚しさが漂うものかもしれません。
「あたし、何をしてきたんでしょうね・・・」
溜息交じりのその言葉。私も幾度と無く耳にしてきました。
本質でないところでエネルギーを使うと、虚しさがおまけに付いてくるんでしょうか。
虚脱感、虚無感。そんな空っぽな心が見え隠れするものです。
でも、私が「それはしんどいやん!?」と思う競争相手。
それは人ではないんです。
例えば、“理想の人”。
もっと具体的には“理想の奥さん”とか“理想の自分”と競争します。
だれが?
もちろん、自分が?
「ふつうの奥さんはこうすべき」とか「奥さんになったらこういう風になりたい」とプレッシャー、掛けすぎていませんか?
その答えはもう始めから決まっているんです。
「君はちゃんとした奥さんではない。奥さんとしてとても情けない。恥ずかしい」
まるで、自分を責めることを目的とした競争みたい。
分かってるんですよね。でも、やってしまうんです。
自分のことが認められないから。自分のことを愛せないから。
競争もお互いを励まし、高めあうものだったら、素晴らしいものなんです。
「あいつも頑張ってるから、俺も、頑張ろう!」みたいな。
でも、足を引っ張ったり、劣等感や優越感(この両者は裏表なだけで実は同じものです)に振り回されたりするのは、やはり虚しいし・・・、うーん、寂しいですよね、すごく。
だって、それはあなたの本質でも何でもないのだから。
自分との競争を手放して・・・そうすると、共存の道が見えてきます。
助け合って生きる道。
それは内面の世界でも同じ事なのです。
あなたの頭は司令塔で、管制塔です。あれこれと指示を出します。
でも、動くのは体、感じるのは心。
この2つを切り離したら、空回りもいいところです。
自分の取扱説明書。作りましょうね。人生がすごく楽になります。
そのためにも、嫌ったり、競争するのではなく、今の自分を認めるところから。
それが私なのですから。
競争を手放すのは、自分を承認し、取り戻すことでもあるのです。